破滅予定の悪役令嬢ですが、なぜか執事が溺愛してきます
 そこへ、先ほどリリカと遭遇していた給仕係がやって来た。
「飲み物はいかがですか?」

 若い男性だが、具合でも悪いのか顔色が冴えないし、どことなく不自然だ。
 頼んでもいないのに給仕係がわざわざバルコニーまで飲み物を持ってくるだろうか。
 もしやバルコニーでわたしたちがいけないことでもしていると勘ぐられ、誰かに様子を見てこいとでも言われたんだろうか。

 グラスを受け取ったオスカーが飲む……のではなく、香りを嗅いで険しい顔をした。
「何を入れた」
 低い声で問われた給仕係がトレーを捨てて逃げようとする。
 その手首をすかさずオスカーが掴み、ひねり上げた。

 どういうこと? 飲み物に何か入って――!
 大変、リリカが!!

 わたしはアデルと談笑しているリリカに向かって駆け出した。
 リリカは笑いながらいまにもグラスに口をつけようとしている。

「リリカっ!!」
 大声で叫び、飛びつくようにグラスを叩き落した。

 間に合ってよかった……。
 ホッとしたのも束の間、周囲がしん、と静まり返っていることに気付いてハッとする。

「ドリスちゃん……?」
 リリカが驚いて目を見開いてこちらを見ている。
 叩き落したグラスは角度が悪く、アデルのドレスにかかって大きなシミを作っている。

 ああ、やってしまった。
 事情を知らない人が見たら、これはまるっきり悪役令嬢ドリスがヒロインをいじめているシーンと重なる。

「どうなさったの?」
 カタリナもやってきた。
「リリカの飲み物に……」
 確証はないのに咄嗟に体が動いてしまった。どう説明しようか。

 迷っていると、背後からオスカーの声がした。
「飲み物に何か混入していたようです」
 給仕係をひねりあげて引きずりながらこちらへやって来るオスカーがいる。

 リリカとアデルは青ざめ、周りはどういうことだとザワつきはじめる。
 そこへ騒ぎを聞きつけたアルトと数名の騎士が駆けつけた。
 事情を説明するため、わたしたちは別室へと移動することになった。なぜかカタリナまでついてくる。

「カタリナは関係ないから、舞踏会を楽しんでちょうだい」
 廊下を歩く途中で言ってみたけれど、カタリナはあごをツンと上げ冷たい視線をこちらに向ける。
「仲間外れはよろしくなくってよ」

 こんな時なのに、カタリナの反応に思わず笑みが漏れる。
「わたしたちを心配してくれているのね。ありがとう」
「違いますわっ」
 耳を少々赤くしてカタリナがそっぽを向く。そんないつもの様子に、少し緊張がほぐれた。

 ホールから少し離れた個室に全員入ると、もう逃げられないと観念したのか給仕係は騎士たちの尋問に素直に答えはじめた。
「金をやるから、飲み物にこの薬を入れてドリス・エーレンベルク伯爵令嬢に飲ませろと見知らぬ男に頼まれました……」

 どういうこと? ターゲットはわたしだったの!?

 男がポケットから小瓶を取り出した。
 アルトが受け取ってふたを開け、匂いを嗅ぐ。
「この甘ったるい香りは……媚薬かな?」
「俺もそうだと思う」
 オスカーが頷いている。

 この男が白状した話によれば、ギャンブルで借金がかさみ首が回らなくなっているところへ、いい仕事があると持ち掛けられたようだ。
 リリカはターゲットではなかったが、渡さないと不自然におもわれるだろうと仕方なく渡してしまったらしい。
 挙句、挙動不審すぎてわたしにもオスカーにも疑われてしまったのだから、結局意味がなかったのだけれど。

「媚薬を使った目的はなに?」
 アルトが問うと、男は首を激しく左右に振った。
「知りません! この薬を飲み物に混ぜて飲ませろと言われただけです。瓶の中身がどんな薬なのかも聞いていません!」

 もしもわたしがあのグラスの中身を飲んでいたとしたら……?
 オスカーに迫って痴態を晒していたかもしれない。
 わたしに恥をかかせたかったってこと?

 依頼者の人相を問われた男は、これもあっさり白状した。
「ネズミみたいな顔の男でした」

 ああ……。
 オスカーと顔を見合わせて小さく頷きあう。
 もしもローレンの仕組んだことなのだとしたら、どうしてそこまでしつこくわたしたちを狙うんだろうか。

「国王主催の舞踏会でこのようなことが起きて、陛下は大変お怒りだよ」
 アルトが冷え切った声と表情で男に告げる。
 そう、これがアルトの裏の顔だ。
 自分のしでかした罪の大きさをようやく悟ったのか、男が蒼白な顔でブルブル震えはじめた。
 
 騎士たちが男を縛って連れて行った。
 残ったアルトがこちらを振り返り、いつもの人懐っこそうな笑顔を見せる。

 この切り替えの早さも怖いのよね。

「僕らが警備していたのにこんなことになってしまって、申し訳ありません」
 アルトに頭を下げられて、わたしたちは恐縮してしまう。
 ただしオスカーを除いて。
「まったくだ。おまえらがいながら誰もあの男のことを怪しいと思わなかったのか?」
「だから、ごめんって!」

 わたしはリリカたちに向き直った。
「突然リリカに飛び掛かってごめんね。アデルも、せっかく素敵なドレスを台無しにしてごめんなさい。弁償で済む話ではないけど、代わりのドレスを仕立ててお返しするわ」
 謝罪すると、リリカとアデルが笑った。
「ちょっと驚いただけだから大丈夫だよう! それよりもありがとう」
「ドリスさんの身のこなしはお見事でした! ドレスは気にしないでください。みなさん何事もなくて結果オーライです!」
 
 ここでカタリナが口をはさむ。
「わたくし、替えのドレスを持参していますの。丈が少々合わないかもしれないけど、アデルさんそれに着替えたらいかが?」
「ありがとうございます!」
 アデルの顔がパッと輝いた。
 
 さすが公爵家のご令嬢だ。
 不測の事態に備えて替えのドレスまで持ってきているとは!

「わーい! わたしにもある?」
「ありませんわ!」
「まあまあ」
 いつものやり取りに妙に安心する。

 3人が着替えに向かったところで、わたしとオスカーはそのネズミ顔の不審者に心当たりがあることと、その経緯をアルトに説明しておいた。

 
 
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