憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜

20、ベルの思惑

 リュークがエヴィを連れて帰って行った。

 見送った後で、エマは館に入る。手紙を母に渡す時、妙な一通に気づいた。葉書で、宛名は彼女になっていた。裏面には何も書かれていない。筆跡は女性のものに思われた。

(何かしら?)

 彼女にはダイアナ以外から手紙が届いたことがない。外に知り合いがいないからだ。

 そこで、ふと胸にレオの影がよぎった。

(まさか)

 すぐに打ち消す。

(あり得ない)

 文字も何もなく、ただ彼女に届けられただけの葉書。そのどこにレオを指し示すものがあるのか。よく眺めてみるが、何も見出せなかった。

(彼の字とも違う)

 不可思議な葉書だった。しかし、捨てることも出来ず、彼女はそれを他の手紙と一緒に小箱にしまった。


 朝早く、スタイルズ家にリュークが訪れた。

 朝食の後で、姉妹は花を摘みに庭に出ていた。館の前で馬から降りた彼が、足早にエマの元にやって来る。

「用でシャロックまで行きます。何か要り用などありませんか?」

 シャロックはこの地域では一番近い都市だ。馬では一日の距離になる。

「ご親切に、ありがとうございます。母に聞いて来ます」

 ダイアナが礼を述べて、すぐに屋内に入った。二人の時間を作るために気を利かせたのがわかる。エマは気恥ずかしくなった。

 この日リュークは軍服に肩からのマントを重ねていた。剣も帯びているようだ。威儀を正した装いで、ひどく凛々しく颯爽としていた。

「軍の御用ですの?」

「ええ。部下の問題です。書面で済むと思ったが、それでは弱いようだ。急ぎで出向くことになりました」

 以前、彼が部下の懲罰に関わる手紙を受け取っていたことを思い出す。わずかに不快さを見せていたことも。部下の不始末が、上司の彼にも影響するのかもしれない。

「ご自身に及ぶことですの?」

 エマの問いに彼は首を振った。

「いえ、わたしは情状斟酌のための証人です」

「そうですか、それなら…」

「心配してくれるのですか?」

「それは、…そうですわ。懲罰とか審議とか、恐ろしい言葉を聞きましたもの」

 視線を感じ、エマは摘んだ花束を胸に顔を背けた。

「嬉しいな」

 呟くような声が聞こえた。

「美しい女性に見惚れる感性しか持たない普通の男が、一体何を釈明してやれるのか……」

「え」

 言葉の意図が読めず、彼女は顔を上げた。

 そこへダイアナが戻って来る。母は頼む用はないらしい。

「戻るのは明後日になります」

 リュークは騎馬し、姉妹に見送られて立って行った。

 午後は、仕上がった衣服を持って教誨師館に向かった。教誨師夫人のベルの依頼で縫った寄付用の衣装だ。母の分もあり、姉妹二人で大きなカゴに抱えて歩く。

「さすが、手が早くて助かるわ。出来た分から主人が届けてくれるそうなの。困っている人たちにはその方が都合がいいから」

 ベルの居間には、他の婦人の手による衣装も届いていた。それらを大きさや種類ごとに分け、箱に詰めた。

「お茶にしましょう。頂き物のケーキがあるの」

 お茶が振る舞われた。

「そう、今朝、主人が言っていたわ。馬で行くリュークさんを見かけたって。急いでいるようだったそうよ」

「ええ、シャロックへ行かれたの。軍のご用のようだったわ」

「あら、早い時間だったのに、よく知っているのね」

「朝食の後にいらしたのよ。シャロックに何か用がないか、聞いて下さったの」

「スタイルズ館に寄ったら、通りへ迂回することになるわ。お急ぎなのにご親切ね」

「お兄様のバートさんとうちの母が親しいから、気を遣って下さったのよ」

「バートさんとはうちの主人も親しいわ。領地から真っ直ぐの教誨師館には、ご親切のお声がなかったのだけれども。街への用をことづかるのは、よくあるご近所づき合いなのに」

「ベルったら、人が悪いわ」

 ダイアナがくすくすと笑う。エマにも気づいていた。ベルがリュークの親切を当てこすって面白がっているのだ。

「よく耳にするのよ、スタイルズ家の姉妹とリュークさんの話題は。子供たちも連れて、あなたたちまるで夫婦のようだと噂よ」

「夫婦のよう」には、エマもお茶が喉でむせかけた。

「教えて。あの素敵な将校さんは、スタイルズ家の姉妹を品定めして迷っているの?」

「まさか。おかしなことを言わないで」

 エマが否定すると、ダイアナがつなぐ。

「初め、リュークさんがわたしに話しかけたのは、儀礼よ。姉だからに過ぎないわ。会話も上の空でいらっしゃるのが、こちらにもわかったもの。わたしではないわ」

 初耳だった。

 リュークはダイアナの方を「何も返してくれない」と言った。余計な男には心を許すことがない用心深さを指摘していた。

 姉には、その彼こそ自分への気のなさを感じさせていたという。

(知らなかった)

 気に入った姉を脈なしと見て、次点の妹に鞍替えした訳ではないらしい。

 それはエマの中で、リュークへの印象をやや変えた。彼女を「知りたい」と言った彼の言葉に、今重みが増すのがわかる。

「紳士方の集いでもおっしゃっていたそうよ。「相手さえいれば、すぐにでも結婚したい」と。留守を守る奥方を求めるお気持ちは強そうね。お嬢さんのためにも」

「エヴィの側には、バートさんも家庭教師のミス・ハンナもいるわ」

「それは安心でしょうけれど、ご自身の家庭のことを言われたのではない?」

 ダイアナの言葉にベルも頷く。

「もう中佐まで上られたなら、この先のご出世も疑いがないわ。海軍は財産を築く方も珍しくないから、頼もしいわね。あの方、お幾つかしら?」

「次に三十三歳になるとおっしゃっていたわ」

「そう。ねえ、エマ、何かそれらしいお言葉を聞いていない? ダイアナでないなら、彼のお目当てはあなたよ」

 エマは首を振る。好意のかけらのようなものは、確かに感じる。

(でも、それだけ)

 仮に彼女を思ってくれていたとしても、出会って一月にも満たない。彼が何かを決断するには早過ぎるだろう。

「休暇のぎりぎりまでをこちらでお過ごしだそうよ。それまでが勝負ね。積極的になって気持ちを惹きつけるべきよ。彼から求婚の決め台詞を引っ張り出すために」

 ベルの言葉がおかしくて、姉妹で顔を見合わせて笑った。

「自分の気持ちもわからないのに、相手を予約するみたいなこと、無理よ」

「エマ、これは親友としても言っているの」

 と、ベルは彼女の手を取った。朗らかなベルに真剣な声音は珍しい。

「リュークさんほどの条件のいい方、もうなかなか現れてくれないと思うの。逃すのは、惜しいわ」

「だって、まだ何もないのに…」

「巧く彼の心を捕らえるのよ。もう網に引っかかっているの。後は簡単よ。そっと網をから外して、袋に入れるだけ」

 露骨な例え話に相槌も打てない。
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