憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜
21、将来の考え方
教誨師館からの帰り、空のカゴを提げて歩く。
「ベルはわたしとリュークさんをくっつけて、間を取り持った手柄にでもしたいのかしら?」
エマは冗談めかして言った。
「信徒の結婚を促すのは、教誨師夫人の務めと言えないこともないわね」
そのベルが、以前のガーデンパーティーでレオの噂を彼女に話したことは記憶に新しい。「またこちらにやって来るかもしれない」と、彼女に彼を諦めるのは早いと説いたのに。
ダイアナにもそのことは話してある。
「彼を諦めるなと言ったり、リュークさんの気を惹けと忠告したり。ベルの心はどっちなの?」
「状況が変わったのよ」
ダイアナが彼女の腕に触れた。
エマは姉を見た。ボンネットの下の横顔に西陽が差し、輝いて見える。きれいだと思った。
「リュークさんが現れる前までは、ベルは本心からレオを待つべきだと考えたのよ。あなたが彼を忘れていないのがわかったから。残る可能性を見て欲しいと思ったのではない?」
「今は、可能性がないの?」
自分の声がやや拗ねたものになっているのに、気づいた。相手がダイアナだと、つい甘えが出て心の弱さがのぞいてしまう。
(泣いて、レオを忘れたいと言ったくせに)
「そうではないわ。それは変わらないの。でも、ベルはきっと別な要素と比較したのだと思う。あなたのこれからの幸せについて、とよ」
「え」
「嫌な話をするわ。レオとの可能性と比べて、リュークさんとの未来が、よりあなたの幸福につながると感じたのよ。それに、きっと実現度も高いわ」
エマは深く吐息した。
(「実現度も高いわ」は、ダイアナの言葉ね)
「恥ずかしいわ、先走って。リュークさんから、何を言われた訳でもないのに……」
「そう? 見ていて、何となくはわかるけれど。彼は恋をしていらっしゃると思うわ」
「お年もずっと上だわ」
「あら、ハミルトンさんと同じお年よ。おかしな歳の差でもないはず」
ダイアナの何気ない言葉から、ハミルトン氏への気持ちの傾きが知れた。意識していなければ、口をついてそんな答えは出ないだろう。
(でも、聞いてもダイアナははぐらかすはず)
教えている子供たちへの責任感や、生来の慎重さがそうさせるのだろうとは思う。それは慎ましさと同時に臆病さでもある。
エマから強いて本意を探りたくはない。いつか姉自身が打ち明けてくれるはず、と信じていた。
「さっき、ベルは大事なことを言ってくれたと思うの」
「彼以上の男性はもう現れないってこと? だから、ぼやぼやしないで、逃しちゃ駄目だってことね」
ダイアナはちょっと笑った。
「それはわからないけれど…。でも、思うの。もし、リュークさんとあなたが結婚となれば、お母様はとても喜ぶわ。娘が信頼出来るウェリントン領地に嫁ぐのですもの。こんないい条件、なかなかなくてよ」
ダイアナの言葉にエマははっとなる。そんなことは考えたことがなかった。
リュークは軍人で、年の半分を留守にする。その間、娘のエヴィを兄のバート氏が養育している。エマがもしリュークと結婚するならば、他所ではなく、ウェリントン領地で新生活を送ることになるだろう。そこで、夫となったリュークを待つ生活を始める……。
頻繁に実家に行き来も叶うし、今の生活にそう変化もないだろう。
「あなたの負担も少ないと思うの。リュークさんも、留守の間の不安が随分と減るでしょうね」
彼の前妻でエヴィの母親が、夫の長い不在を耐えかねて家出してしまったことは、ダイアナにのみ伝えてあった。それを踏まえて姉は言うのだと、彼女は思う。
(誰もがきっと望むわ)
ダイアナと知事の息子のキースの縁談のように。条件がすこぶるいい。傍目には良縁に見える。玉の輿だ、得難い幸運だ、と。
けれど、そこには嫁ぐ女性の気持ちが欠けている。
「それでいいの?」
「決して間違いではないわ」
「キースのことは絶対に受け入れないのに。わたしでは何が違うの? 相手に恋をしていないのは同じだわ」
「キースの場合は、あちらのお母様の件や彼自身の性質もあって、幸せな結婚につながるとは思えないもの。でも、リュークさんは違うわ。精神的に大人で強い方よ。何かあっても、きっとあなたを守って下さるわ」
「すごく褒めるのね」
「だって、良い方だもの」
「じゃあ、ダイアナがわたしの立場なら、どうするの? ベルの言うように、積極的になって頑張るの? 例のセリフをもらうまで」
「まさか、そんな」と、やんわりとした否定が返ると思っての問いかけだった。しとやかな姉が、恋もしていない相手に、そんな思い切った振る舞いは出来ないだろうと。
(わたしにだけ勧めるのはおかしいのじゃない?)
そう笑うつもりだった。
「そうね。自分を含めて皆が幸せになれるのなら。その価値はあると思うの。そんな結婚なら、遠からず気持ちはついて来てくれると信じたいわ」
意外な言葉だった。エマはふと歩が止まる。
遅れた彼女に気づき、ダイアナも足を止めた。振り返る。
「嫌な話だった?」
「別に…、そんなことないわ。でも、やっぱり先走り過ぎているわ。まだ何も……。あなたたちの思い込みかも」
姉が彼女の腕を引いた。
「心構えくらいはしていてもいいのじゃない? どうお答えするのかは、あなたの自由だけれども」
エマはそれに返せなかった。
「ベルはわたしとリュークさんをくっつけて、間を取り持った手柄にでもしたいのかしら?」
エマは冗談めかして言った。
「信徒の結婚を促すのは、教誨師夫人の務めと言えないこともないわね」
そのベルが、以前のガーデンパーティーでレオの噂を彼女に話したことは記憶に新しい。「またこちらにやって来るかもしれない」と、彼女に彼を諦めるのは早いと説いたのに。
ダイアナにもそのことは話してある。
「彼を諦めるなと言ったり、リュークさんの気を惹けと忠告したり。ベルの心はどっちなの?」
「状況が変わったのよ」
ダイアナが彼女の腕に触れた。
エマは姉を見た。ボンネットの下の横顔に西陽が差し、輝いて見える。きれいだと思った。
「リュークさんが現れる前までは、ベルは本心からレオを待つべきだと考えたのよ。あなたが彼を忘れていないのがわかったから。残る可能性を見て欲しいと思ったのではない?」
「今は、可能性がないの?」
自分の声がやや拗ねたものになっているのに、気づいた。相手がダイアナだと、つい甘えが出て心の弱さがのぞいてしまう。
(泣いて、レオを忘れたいと言ったくせに)
「そうではないわ。それは変わらないの。でも、ベルはきっと別な要素と比較したのだと思う。あなたのこれからの幸せについて、とよ」
「え」
「嫌な話をするわ。レオとの可能性と比べて、リュークさんとの未来が、よりあなたの幸福につながると感じたのよ。それに、きっと実現度も高いわ」
エマは深く吐息した。
(「実現度も高いわ」は、ダイアナの言葉ね)
「恥ずかしいわ、先走って。リュークさんから、何を言われた訳でもないのに……」
「そう? 見ていて、何となくはわかるけれど。彼は恋をしていらっしゃると思うわ」
「お年もずっと上だわ」
「あら、ハミルトンさんと同じお年よ。おかしな歳の差でもないはず」
ダイアナの何気ない言葉から、ハミルトン氏への気持ちの傾きが知れた。意識していなければ、口をついてそんな答えは出ないだろう。
(でも、聞いてもダイアナははぐらかすはず)
教えている子供たちへの責任感や、生来の慎重さがそうさせるのだろうとは思う。それは慎ましさと同時に臆病さでもある。
エマから強いて本意を探りたくはない。いつか姉自身が打ち明けてくれるはず、と信じていた。
「さっき、ベルは大事なことを言ってくれたと思うの」
「彼以上の男性はもう現れないってこと? だから、ぼやぼやしないで、逃しちゃ駄目だってことね」
ダイアナはちょっと笑った。
「それはわからないけれど…。でも、思うの。もし、リュークさんとあなたが結婚となれば、お母様はとても喜ぶわ。娘が信頼出来るウェリントン領地に嫁ぐのですもの。こんないい条件、なかなかなくてよ」
ダイアナの言葉にエマははっとなる。そんなことは考えたことがなかった。
リュークは軍人で、年の半分を留守にする。その間、娘のエヴィを兄のバート氏が養育している。エマがもしリュークと結婚するならば、他所ではなく、ウェリントン領地で新生活を送ることになるだろう。そこで、夫となったリュークを待つ生活を始める……。
頻繁に実家に行き来も叶うし、今の生活にそう変化もないだろう。
「あなたの負担も少ないと思うの。リュークさんも、留守の間の不安が随分と減るでしょうね」
彼の前妻でエヴィの母親が、夫の長い不在を耐えかねて家出してしまったことは、ダイアナにのみ伝えてあった。それを踏まえて姉は言うのだと、彼女は思う。
(誰もがきっと望むわ)
ダイアナと知事の息子のキースの縁談のように。条件がすこぶるいい。傍目には良縁に見える。玉の輿だ、得難い幸運だ、と。
けれど、そこには嫁ぐ女性の気持ちが欠けている。
「それでいいの?」
「決して間違いではないわ」
「キースのことは絶対に受け入れないのに。わたしでは何が違うの? 相手に恋をしていないのは同じだわ」
「キースの場合は、あちらのお母様の件や彼自身の性質もあって、幸せな結婚につながるとは思えないもの。でも、リュークさんは違うわ。精神的に大人で強い方よ。何かあっても、きっとあなたを守って下さるわ」
「すごく褒めるのね」
「だって、良い方だもの」
「じゃあ、ダイアナがわたしの立場なら、どうするの? ベルの言うように、積極的になって頑張るの? 例のセリフをもらうまで」
「まさか、そんな」と、やんわりとした否定が返ると思っての問いかけだった。しとやかな姉が、恋もしていない相手に、そんな思い切った振る舞いは出来ないだろうと。
(わたしにだけ勧めるのはおかしいのじゃない?)
そう笑うつもりだった。
「そうね。自分を含めて皆が幸せになれるのなら。その価値はあると思うの。そんな結婚なら、遠からず気持ちはついて来てくれると信じたいわ」
意外な言葉だった。エマはふと歩が止まる。
遅れた彼女に気づき、ダイアナも足を止めた。振り返る。
「嫌な話だった?」
「別に…、そんなことないわ。でも、やっぱり先走り過ぎているわ。まだ何も……。あなたたちの思い込みかも」
姉が彼女の腕を引いた。
「心構えくらいはしていてもいいのじゃない? どうお答えするのかは、あなたの自由だけれども」
エマはそれに返せなかった。