憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜
25、後のしまつ
エマがダイアナにリュークの求婚を話したのは、翌日の午後だった。既に彼は立ち、この地にはいない。
よく知るのどかな道を歩きながら、姉は静かに話を聞いてくれた。
「そんなにレオへの思いが溢れたのなら、お受けしようがないわね」
吐息交じりだ。
「馬鹿みたいね。今更…」
「リュークさんはお怒りではなかった?」
「いいえ。館まで送り届けてくれて、母への態度も慇懃で。わたしにも最後までお優しかった。本当に大人で紳士な方だった」
リュークとの時間を多く割いたのは、彼の気持ちに寄り添おうとしたことだった。しかし、それは彼にとって思わせぶりな態度以外の何ものでもなかった。
「失礼だったわ。だから、あの方も勘違いして求婚まで……」
「あなたが前向きに努力した結果よ。誰も悪くないわ」
「もったいないと思うでしょう? お母様には言わないで。求婚を断ったなんて知ったら、塞ぎ込んでしまうわ」
「ええ、内緒にするわ。立派な方で惜しいとは思うけれど、心が沿わないのなら、辛いもの。リュークさんは軍人さんで、その奥方は帰りを待つのが務めよ。愛する人を待つのならその間も幸せでしょうけれど、そうでなければ心が迷いそうね」
姉の言葉に、エマはふと瞳が落ちた。
レオを散々待った。もう待つのは、心が疲れたはず。だから、忘れようとした。
(なのに、まだ待とうとしているの?)
リュークの求婚を断ったのは、レオへの思い以外に理由はない。それは、答えをくれない彼を待ち続けることを意味する。
自分でも自分の心の所在がつかめない。安定を望みながら、リュークがそれをくれようとした土壇場で、違うと悲鳴を上げてしまう。
今も葉書からの何らかの意図は感じる。レオ以外であれを彼女に届ける者は浮かばない。
ダイアナもエマの意見には賛成だ。
「差出人は、わたしもレオだと思うわ。宛名書きが女性の筆跡なのは、外聞を憚った代筆でしょうね。二通も送るのは、やはり意味があるのよ」
姉は励ますように彼女の肩に手を置いた。
答えの出ない話題だった。エマの中に、再びレオの面影が色濃くよみがえるだけだ。
十日も経たずにダイアナは休暇を終え、ホープ州へ立つことが決まっている。リュークに続き姉も消えれば、彼女の生活はひどく静かになるに違いない。
日々の繰り返しを淡々とこなしていくばかりだ。それで平気だった過去の自分を恋しく思う。
ため息によく似た吐息だ。
「ハミルトンさんからの求婚は断らないで。わたし、二人の子供の面倒を見るって、決めてあるのだから」
「嫌ね。そんなことないわ……」
その否定の声はほっそりとしていた。
ダイアナの出立を明後日に控えた朝、急ぎの手紙がスタイルズ家に届けられた。
差出人はハミルトン氏で、母宛のものになっていた。彼の娘たちが流感を患い病床にいる内容で、追って知らせるまで、戻るのは猶予してほしいとあった。
知らせに、ダイアナは顔を青ざめさせた。詳しい病状など記されていないのに、手紙を何度も読み返している。
母もエマも姉と共に幼い姉妹の快復を願った。
ダイアナはアシェルにハミルトン姉妹を見舞う手紙を書くように勧めた。エマへも絵を描いてほしいと頼み、彼女は喜んで応じた。
果樹園の果実が実る様子を描き、色を重ねて仕上げた。姉妹それぞれ違う絵を描き、メッセージを添えた。
「小さい子には流感は重篤な場合も多いから……」
普段に変わりなく日を送るダイアナも、エマと二人では病床の姉妹への心配を隠さなかった。そんな姉に、彼女は優しさの他に姉妹への愛情も感じた。
「ハミルトンさんは腕のいい医師を呼ばれているわ。小さい子は逆に治りも早いから、もう快復に向かっているのかも」
「ええ、そうね」
そんな日々の中、オリヴィアからお茶の招待を受けることもあった。これまでは母への気遣いから断れずにきたが、今はもう迷いもない。丁重に断った。
ダイアナもボウマン邸へ出向くことは望まないため、妹の判断を喜んだ。
幼なじみが二人、続けて婚礼を挙げた。一人は地域の青年と結ばれて残るが、もう一人は州外に嫁いで行った。
「みんな同じだったのに。少しずつ違ってきているわ」
仲間の誰かが口にした。身近な者の結婚は、適齢期の独身女性たちにこれからの人生を投げかけてくるようだ。
十年ほど前までは、人形遊びを繰り返し草原を走り回った。背丈の多少の差くらいで、大した違いなどなく、ごっこ遊びの中で幸せな少女でいられた。
そうではないと、気づいたのはいつなのだろう。無邪気さをなくした境目はどこなのか。
(わたしの場合は、オリヴィアがきっかけね)
父を亡くし、喪が明けてすぐだった。遊びの場で直接言われた言葉は今も忘れられないでいる。
「スタイルズの姉妹はもう駄目ね。だって、お父様がいないのだもの。まともな紳士との結婚は出来ないわ」。
意地悪で口にしているのだと、すぐに気づいた。なぜなら、嬉し気だったから。反感より先に、人の剥き出しの悪意に触れ、ぞっとしたのを覚えている。
誰もが同じほどの親しみで触れ合えていた時代は終わっていた。そう肌で知った出来事だった。
アシェルとエヴィを連れ、牧場へ行ったり村へ用足しに出かける。受け取った手紙の中にハミルトン氏からのものがないと、ダイアナの表情は一瞬曇った。
エマ宛にあの葉書も来ない。
よく知るのどかな道を歩きながら、姉は静かに話を聞いてくれた。
「そんなにレオへの思いが溢れたのなら、お受けしようがないわね」
吐息交じりだ。
「馬鹿みたいね。今更…」
「リュークさんはお怒りではなかった?」
「いいえ。館まで送り届けてくれて、母への態度も慇懃で。わたしにも最後までお優しかった。本当に大人で紳士な方だった」
リュークとの時間を多く割いたのは、彼の気持ちに寄り添おうとしたことだった。しかし、それは彼にとって思わせぶりな態度以外の何ものでもなかった。
「失礼だったわ。だから、あの方も勘違いして求婚まで……」
「あなたが前向きに努力した結果よ。誰も悪くないわ」
「もったいないと思うでしょう? お母様には言わないで。求婚を断ったなんて知ったら、塞ぎ込んでしまうわ」
「ええ、内緒にするわ。立派な方で惜しいとは思うけれど、心が沿わないのなら、辛いもの。リュークさんは軍人さんで、その奥方は帰りを待つのが務めよ。愛する人を待つのならその間も幸せでしょうけれど、そうでなければ心が迷いそうね」
姉の言葉に、エマはふと瞳が落ちた。
レオを散々待った。もう待つのは、心が疲れたはず。だから、忘れようとした。
(なのに、まだ待とうとしているの?)
リュークの求婚を断ったのは、レオへの思い以外に理由はない。それは、答えをくれない彼を待ち続けることを意味する。
自分でも自分の心の所在がつかめない。安定を望みながら、リュークがそれをくれようとした土壇場で、違うと悲鳴を上げてしまう。
今も葉書からの何らかの意図は感じる。レオ以外であれを彼女に届ける者は浮かばない。
ダイアナもエマの意見には賛成だ。
「差出人は、わたしもレオだと思うわ。宛名書きが女性の筆跡なのは、外聞を憚った代筆でしょうね。二通も送るのは、やはり意味があるのよ」
姉は励ますように彼女の肩に手を置いた。
答えの出ない話題だった。エマの中に、再びレオの面影が色濃くよみがえるだけだ。
十日も経たずにダイアナは休暇を終え、ホープ州へ立つことが決まっている。リュークに続き姉も消えれば、彼女の生活はひどく静かになるに違いない。
日々の繰り返しを淡々とこなしていくばかりだ。それで平気だった過去の自分を恋しく思う。
ため息によく似た吐息だ。
「ハミルトンさんからの求婚は断らないで。わたし、二人の子供の面倒を見るって、決めてあるのだから」
「嫌ね。そんなことないわ……」
その否定の声はほっそりとしていた。
ダイアナの出立を明後日に控えた朝、急ぎの手紙がスタイルズ家に届けられた。
差出人はハミルトン氏で、母宛のものになっていた。彼の娘たちが流感を患い病床にいる内容で、追って知らせるまで、戻るのは猶予してほしいとあった。
知らせに、ダイアナは顔を青ざめさせた。詳しい病状など記されていないのに、手紙を何度も読み返している。
母もエマも姉と共に幼い姉妹の快復を願った。
ダイアナはアシェルにハミルトン姉妹を見舞う手紙を書くように勧めた。エマへも絵を描いてほしいと頼み、彼女は喜んで応じた。
果樹園の果実が実る様子を描き、色を重ねて仕上げた。姉妹それぞれ違う絵を描き、メッセージを添えた。
「小さい子には流感は重篤な場合も多いから……」
普段に変わりなく日を送るダイアナも、エマと二人では病床の姉妹への心配を隠さなかった。そんな姉に、彼女は優しさの他に姉妹への愛情も感じた。
「ハミルトンさんは腕のいい医師を呼ばれているわ。小さい子は逆に治りも早いから、もう快復に向かっているのかも」
「ええ、そうね」
そんな日々の中、オリヴィアからお茶の招待を受けることもあった。これまでは母への気遣いから断れずにきたが、今はもう迷いもない。丁重に断った。
ダイアナもボウマン邸へ出向くことは望まないため、妹の判断を喜んだ。
幼なじみが二人、続けて婚礼を挙げた。一人は地域の青年と結ばれて残るが、もう一人は州外に嫁いで行った。
「みんな同じだったのに。少しずつ違ってきているわ」
仲間の誰かが口にした。身近な者の結婚は、適齢期の独身女性たちにこれからの人生を投げかけてくるようだ。
十年ほど前までは、人形遊びを繰り返し草原を走り回った。背丈の多少の差くらいで、大した違いなどなく、ごっこ遊びの中で幸せな少女でいられた。
そうではないと、気づいたのはいつなのだろう。無邪気さをなくした境目はどこなのか。
(わたしの場合は、オリヴィアがきっかけね)
父を亡くし、喪が明けてすぐだった。遊びの場で直接言われた言葉は今も忘れられないでいる。
「スタイルズの姉妹はもう駄目ね。だって、お父様がいないのだもの。まともな紳士との結婚は出来ないわ」。
意地悪で口にしているのだと、すぐに気づいた。なぜなら、嬉し気だったから。反感より先に、人の剥き出しの悪意に触れ、ぞっとしたのを覚えている。
誰もが同じほどの親しみで触れ合えていた時代は終わっていた。そう肌で知った出来事だった。
アシェルとエヴィを連れ、牧場へ行ったり村へ用足しに出かける。受け取った手紙の中にハミルトン氏からのものがないと、ダイアナの表情は一瞬曇った。
エマ宛にあの葉書も来ない。