憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜
26、オリヴィアの言うこと
散策の折りだ。キースの馬車がエマたちの側にやって来て止まった。
隣には妹のオリヴィアを乗せている。兄の見回りにつき合う様子は珍しい。長く滞在した友人たちも帰り、変化のない毎日が暇になったのだろう。
挨拶を交わし、兄妹をやり過ごそうとした。キースは未練があるようにダイアナを見ているし、オリヴィアはそれを急かしもしない。
「では、さようなら」
ダイアナがエマを促した。彼女も早く二人と別れたかった。キースは嫌いでもないが、オリヴィアの方ははっきりと苦手だ。
姉に従い歩を進めると、背に声がかかった。オリヴィアだ。
「前に誘ったのに、どうして来なかったの?」
ダイアナが答えた。
「ごめんなさい。急ぎの手紙を書いてしまいたくて」
「エマは来られたでしょう? 手紙を書く相手なんていないのだから」
姉が妹を見た。誘いを断っただけで、嫌な詰問を受ける。
吐息の後で、エマはオリヴィアを見た。
「わたしはあなた好みのお話も出来ないし、お互いにいい時間が持てないと思うの。もうお邸にお邪魔するのはご遠慮するわ」
彼女の言葉にオリヴィアはややぽかんとしていた。はっきりと彼女が言い返したのが意外で、驚いたのだろう。
真意を何重にも包んだ温和な言葉になったが、オリヴィアに宣言出来たことで、胸がすっとしていた。
(もっと早く言えばよかった)
軽く辞儀をし、二人から離れた。
駆けて来る音がし、振り返ると同時に腕をつかまれた。オリヴィアが追いかけて来たのだ。その行為にエマはちょっと面食らう。
「レオが婚約したの」
それは言葉のつぶてだった。思いもよらないところから、彼女が一番痛む場所を狙い正確に撃ってくる。
「ほら。やっぱり、立ち止まるのね」
勝ち誇ったにんまりした笑顔がある。いつかこんな表情で、レオの出立を唐突に突きつけられたことがあった。
「本当よ」
エマは自分の腕をつかむオリヴィアの手を払った。今は醜いと思うしたり顔を見つめ返す。
「弱い者いじめが楽しそうね、オリヴィア」
それきりで、身を翻した。ダイアナを促し、歩き出す。
もうオリヴィアは追いかけて来なかった。
距離が出来たところで、隣のダイアナが囁いた。
「大丈夫? エマ」
「ええ」
「あなた、勇敢だったわ。あのオリヴィアにきちんと言い返した。誇らしいわ」
「早くそうすればよかった」
「どうしてキースは妹を諌めないのかしら? ぼんやりと見ているだけだなんて、紳士らしくないわ」
珍しくダイアナが人を責める口調だ。
敢えてか、オリヴィアの言ったレオの件には互いに触れなかった。
ウェリントン領地の果樹園の柵にもたれ、ツルを引っ張って遊ぶ子供たちを眺めた。その時に、ようやくダイアナが話し出した。
「オリヴィアの話は信じなくていいわ。腹立ち紛れの妄言よ」
「本当かも」
「どうしてそう思うの?」
「レオの家は大変な名家だし、断り切れない筋との縁談もあり得るのじゃない? 考えられる話だわ」
「そう割り切ってしまえるの?」
見つめるダイアナの視線に、彼女の瞳は下がる。
「そうするより、ないわ」
「あの葉書は? 婚約するならなぜ送って来るの? おかしいわ」
「さあ……。田舎娘をすっかりその気にさせる人だから。意味のない気紛れかも」
自虐的にそう呟いた。
胸が塞がるようだった。息が深く吸えない。
不意に嗚咽が込み上げ、しゃがみ込んだ。膝を抱え顔をそこに埋める。すぐにダイアナが同じ位置にしゃがむ。背を撫ぜてくれる。
泣きながら、何度目だろうと思った。
(レオのために泣くのはこれで何度目だろう)
ハミルトン氏から娘たちの無事を知らせる手紙が届いた。
母が読み上げた部分を聞き、ダイアナが大きく息をついた。エマも姉妹の快復を喜んだ。
手紙は終わらず、母がその続きを読んで聞かせる。しかし、途中でその声が止まった。
「お母様、どうしたの?」
「あら、困ったわ。どうしましょう……」
狼狽える母がそれでも続きを読んだ。
『……アシェル君の件のご説明もしたく、
一度ご家族の方々にお目にかかりたいと思います。
直接お会いし、わたしの真意をご理解いただければ、
幸いです……』
更に手紙では、スタイルズ家からはホープ州への帰路になるため、ダイアナを同行したいとも告げられていた。女性一人の旅の不安と負担が減るため、ぜひそうさせてほしいとある。
「お優しいわね、ハミルトンさんは」
エマは戸惑った様子の姉を見ながら言った。
母は続きを読む。
『もし母上のお許しとご本人の意向がそろえば、
エマさんもご一緒いただけないかと思います。
我が家に滞在し、ダイアナさんの生活をご覧になり、
安心していただきたいのです。
娘たちも楽しみにしております……』
次に驚いたのはエマだ。手紙の内容に声も出ない。
アシェルの支援の説明に館に現れるのも丁寧だ。その帰りにはダイアナを伴い帰路に就くという。
「ハミルトンさんがこちらにいらしたついでに、ダイアナをお連れ下さるのは安心出来てとてもありがたいわ。若い娘の一人旅は不安ですもの。でも、エマまでお邸にご招待下さるなんて…」
「お母様のお許しが出たら、ぜひ一緒に来てほしいわ」
ダイアナの弾んだ声がする。
エマはこの地以外を知らない。父が存命の頃訪れたシャロックがせいぜいで、その先を知らない。
遅れて嬉しさがやって来る。
「ええ、行きたいわ。ぜひ」
姉妹の喜びようを見ながら、母は困った風に首を傾げる。
「そこまでハミルトンさんに甘えていいのかしら……。旅を知らないエマに経験させてあげたい気持ちはあるのだけれど」
「お母様、お願い」
姉妹で手を組んでねだった。こんな風に何かを親に頼むことは久しくない。
母は弱ったようにため息をついた。ほどなく首を振り、
「いいわ。エマも色々あったから、気分転換にもいいだろうし」
と言い微笑んだ。
母の言葉の「色々あった」とは、レオとの恋を指すのだろう。最近のリュークの求婚の件は知らないはずだ。
何気なく過ごしていたつもりが、母には普段との違いが透けて見えていたようだ。
滞在中、レオはスタイルズの館によく訪れていた。そんな親しんだ彼が不意に去った。不審に思ったに違いない。
それでも追及もせず、その後を知らぬ振りで眺めていてくれた。失恋には時間薬が何よりと思ってくれたようだ。もう子供でもない。不憫がった慰めや励ましは、より彼女を惨めにしたかもしれない。
隣には妹のオリヴィアを乗せている。兄の見回りにつき合う様子は珍しい。長く滞在した友人たちも帰り、変化のない毎日が暇になったのだろう。
挨拶を交わし、兄妹をやり過ごそうとした。キースは未練があるようにダイアナを見ているし、オリヴィアはそれを急かしもしない。
「では、さようなら」
ダイアナがエマを促した。彼女も早く二人と別れたかった。キースは嫌いでもないが、オリヴィアの方ははっきりと苦手だ。
姉に従い歩を進めると、背に声がかかった。オリヴィアだ。
「前に誘ったのに、どうして来なかったの?」
ダイアナが答えた。
「ごめんなさい。急ぎの手紙を書いてしまいたくて」
「エマは来られたでしょう? 手紙を書く相手なんていないのだから」
姉が妹を見た。誘いを断っただけで、嫌な詰問を受ける。
吐息の後で、エマはオリヴィアを見た。
「わたしはあなた好みのお話も出来ないし、お互いにいい時間が持てないと思うの。もうお邸にお邪魔するのはご遠慮するわ」
彼女の言葉にオリヴィアはややぽかんとしていた。はっきりと彼女が言い返したのが意外で、驚いたのだろう。
真意を何重にも包んだ温和な言葉になったが、オリヴィアに宣言出来たことで、胸がすっとしていた。
(もっと早く言えばよかった)
軽く辞儀をし、二人から離れた。
駆けて来る音がし、振り返ると同時に腕をつかまれた。オリヴィアが追いかけて来たのだ。その行為にエマはちょっと面食らう。
「レオが婚約したの」
それは言葉のつぶてだった。思いもよらないところから、彼女が一番痛む場所を狙い正確に撃ってくる。
「ほら。やっぱり、立ち止まるのね」
勝ち誇ったにんまりした笑顔がある。いつかこんな表情で、レオの出立を唐突に突きつけられたことがあった。
「本当よ」
エマは自分の腕をつかむオリヴィアの手を払った。今は醜いと思うしたり顔を見つめ返す。
「弱い者いじめが楽しそうね、オリヴィア」
それきりで、身を翻した。ダイアナを促し、歩き出す。
もうオリヴィアは追いかけて来なかった。
距離が出来たところで、隣のダイアナが囁いた。
「大丈夫? エマ」
「ええ」
「あなた、勇敢だったわ。あのオリヴィアにきちんと言い返した。誇らしいわ」
「早くそうすればよかった」
「どうしてキースは妹を諌めないのかしら? ぼんやりと見ているだけだなんて、紳士らしくないわ」
珍しくダイアナが人を責める口調だ。
敢えてか、オリヴィアの言ったレオの件には互いに触れなかった。
ウェリントン領地の果樹園の柵にもたれ、ツルを引っ張って遊ぶ子供たちを眺めた。その時に、ようやくダイアナが話し出した。
「オリヴィアの話は信じなくていいわ。腹立ち紛れの妄言よ」
「本当かも」
「どうしてそう思うの?」
「レオの家は大変な名家だし、断り切れない筋との縁談もあり得るのじゃない? 考えられる話だわ」
「そう割り切ってしまえるの?」
見つめるダイアナの視線に、彼女の瞳は下がる。
「そうするより、ないわ」
「あの葉書は? 婚約するならなぜ送って来るの? おかしいわ」
「さあ……。田舎娘をすっかりその気にさせる人だから。意味のない気紛れかも」
自虐的にそう呟いた。
胸が塞がるようだった。息が深く吸えない。
不意に嗚咽が込み上げ、しゃがみ込んだ。膝を抱え顔をそこに埋める。すぐにダイアナが同じ位置にしゃがむ。背を撫ぜてくれる。
泣きながら、何度目だろうと思った。
(レオのために泣くのはこれで何度目だろう)
ハミルトン氏から娘たちの無事を知らせる手紙が届いた。
母が読み上げた部分を聞き、ダイアナが大きく息をついた。エマも姉妹の快復を喜んだ。
手紙は終わらず、母がその続きを読んで聞かせる。しかし、途中でその声が止まった。
「お母様、どうしたの?」
「あら、困ったわ。どうしましょう……」
狼狽える母がそれでも続きを読んだ。
『……アシェル君の件のご説明もしたく、
一度ご家族の方々にお目にかかりたいと思います。
直接お会いし、わたしの真意をご理解いただければ、
幸いです……』
更に手紙では、スタイルズ家からはホープ州への帰路になるため、ダイアナを同行したいとも告げられていた。女性一人の旅の不安と負担が減るため、ぜひそうさせてほしいとある。
「お優しいわね、ハミルトンさんは」
エマは戸惑った様子の姉を見ながら言った。
母は続きを読む。
『もし母上のお許しとご本人の意向がそろえば、
エマさんもご一緒いただけないかと思います。
我が家に滞在し、ダイアナさんの生活をご覧になり、
安心していただきたいのです。
娘たちも楽しみにしております……』
次に驚いたのはエマだ。手紙の内容に声も出ない。
アシェルの支援の説明に館に現れるのも丁寧だ。その帰りにはダイアナを伴い帰路に就くという。
「ハミルトンさんがこちらにいらしたついでに、ダイアナをお連れ下さるのは安心出来てとてもありがたいわ。若い娘の一人旅は不安ですもの。でも、エマまでお邸にご招待下さるなんて…」
「お母様のお許しが出たら、ぜひ一緒に来てほしいわ」
ダイアナの弾んだ声がする。
エマはこの地以外を知らない。父が存命の頃訪れたシャロックがせいぜいで、その先を知らない。
遅れて嬉しさがやって来る。
「ええ、行きたいわ。ぜひ」
姉妹の喜びようを見ながら、母は困った風に首を傾げる。
「そこまでハミルトンさんに甘えていいのかしら……。旅を知らないエマに経験させてあげたい気持ちはあるのだけれど」
「お母様、お願い」
姉妹で手を組んでねだった。こんな風に何かを親に頼むことは久しくない。
母は弱ったようにため息をついた。ほどなく首を振り、
「いいわ。エマも色々あったから、気分転換にもいいだろうし」
と言い微笑んだ。
母の言葉の「色々あった」とは、レオとの恋を指すのだろう。最近のリュークの求婚の件は知らないはずだ。
何気なく過ごしていたつもりが、母には普段との違いが透けて見えていたようだ。
滞在中、レオはスタイルズの館によく訪れていた。そんな親しんだ彼が不意に去った。不審に思ったに違いない。
それでも追及もせず、その後を知らぬ振りで眺めていてくれた。失恋には時間薬が何よりと思ってくれたようだ。もう子供でもない。不憫がった慰めや励ましは、より彼女を惨めにしたかもしれない。