憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜

32、ハミルトン邸

 ホープ州のハミルトン邸に馬車が着いたのは、夜更けだった。

 エマもダイアナもすぐに寝室に引き取った。ハミルトン氏の姉妹はもう休んでいるため、翌日の朝食の席での挨拶となった。

 旅の途中も、ダイアナとハミルトン氏の幸せな雰囲気が溢れ、エマの心も落ち着いていた。はにかみながらも頬に笑みが上る姉の顔を見れば、余計なことを考えずにいられた。

 一人の寝室も、旅の疲れもあって悩まずに眠ることが出来た。

 翌朝だ。身支度を終えて部屋を出ると、すぐにぎやかな少女の声が届く。早起きの姉妹たちが、階下で父の土産に喜んでいる様子だ。

 大階段の前でダイアナに会った。二人で下へおりた。

 朝食の間に入ると、ダイアナに姉妹たちが駆け寄って来る。ドレスにまとわりついた。

「お帰りなさい、ミス・ダイアナ。夕べ、起きて待っていたのに。途中で眠っちゃった」

「眠っちゃったの」

「おはよう、ジュリア、アメリア。昨夜は遅かったから、ご挨拶出来なかったわ。彼女は妹のエマよ」

 交互に姉妹たちは彼女へお辞儀をした。

「初めまして」

「そっくりね。髪の色が違うけれど」

「そっくりじゃないわ。似ているけれど。アメリア、よく見て。目の色も違うわ。ミス・エマの方が少し背もお高いわ」

 エマとダイアナは顔を見合わせて笑った。

(確かに。本当、愛らしいわ)

 しばらくして、ハミルトン氏も加わり、朝食の席に着いた。

 その後、ハミルトン姉妹はダイアナの指導で勉強を始めた。エマも姉の手伝いをした。

 そこへ、ハミルトン氏が顔を出し、ダイアナに何か囁いた。それを受けて、姉は頬を染めていた。

 書き取りの勉強の次は、それぞれに本の朗読をさせる。それが終わればピアノが続く。午前はずっと勉強で埋まっていく。

 彼女自身も幼い頃、家庭教師の指導の元そうであった、と思い返した。

 昼食を挟み、午後は絵を描き、散策を行う。

 姉は少女たちに細やかに目を配っている。教え方も巧い。決して感情をむき出しにせず、思いやりを持って接していた。子供達が懐くのも当然の、優しい先生だ。

 それを言って褒めると、ダイアナは首を振る。

「そうではないわ。二人がお利口なの。だから、仕事は楽なの」

 ハミルトン氏は仕事があり、書斎にこもっている。留守にした間の目を通すべき手紙も多いようだ。

 邸は広く美しく整っている。華美ではないが洗練されて、明るく手入れも行き届いていた。周囲はのどかで緑も多いが、エマたちの館のある地域より人家も多い。

 近い将来、姉はここに住まい、ハミルトン邸の女主人になる。エマも時には訪れることもあるだろう。旅の機会も増える。

(外を知れるわ)

 ダイアナが嫁ぐことで、確かに彼女は寂しさを感じるに違いない。しかし、そればかりではなく、別な喜びが加わることに気づいた。姪になった姉妹たちと触れ合うことも、きっと楽しい。

 お茶の後で、姉妹たちが庭で遊んでいる。来客中のハミルトン氏から離れ、エマと姉はテラスで寛いでいた。

 花冠を作る子供たちを眺めながら、エマは言った。

「ダイアナ、ここであなた幸せになれるわ」

「そうね」

 はにかみながらも、もう否定はしない。

 それでいい、と彼女は深く思う。

(ダイアナが絶対に手にすべき幸せだもの)

「お母様には報告をどうするの?」

「ええ、手紙を書いて下さるそうよ。あなたを送りがてら、お母様にご挨拶なさるって」

 朝食の間でのダイアナへの彼の囁きは、これを伝えたものだったのかも、と彼女は思った。


 ハミルトン邸では晩餐会が催され、またハミルトン氏の友人・知人を招くことも多かった。

 名所となっている古城を見に出かけたり、エマには刺激の多い日々が続く。

 人々と交わるのは、近く妻に迎えるダイアナを彼らに紹介する目的もあるようだ。

 しかし、

「ウィリーと話すといい。彼は数年異国に旅行していて見聞が広い。話も面白いから気に入るよ」

 ハミルトン氏はさりげなく、エマに自身の友人たちと触れ合うことを勧めてくる。最初は気にも留めなかったが、数度重なると、

(わたしに男性を紹介して下さっているのだわ)

 と流石に気づいた。

 その優しさは嬉しいが、少しだけ面倒に思った。たとえ、新しい誰かと知り合い親しくなったとしても、それだけで終わる。どうせその先には進めないだろうと、冷めた気持ちが奥底にある。

 リュークとのことで、懲りてもいた。自分の素振りが恋を匂わせるものであれば、相手を誤解させてしまうかもしれない。それによって起きる間違いと罪悪感の後味の悪さは、簡単に忘れ去れない。

 出来るだけ控えめな態度に努めた。

 彼女の一歩二歩引いた様子が目につくのか、ダイアナが気遣う。

「どうかして?」

「いいえ。フィッツのご友人は良い方ばかりね」

「ええ。独身で、身元も品行もいい方たちばかりだそうよ。どの方もお薦めだとおっしゃっていたわ」

 求婚を受け入れた後では距離も縮まり、ダイアナとハミルトン氏はごく親しげに言葉を交わし合うことも見られた。

 二人の会話では、エマに決まった相手がいないことも話題に上るのだろう。

「まだ考えられないの。フィッツには申し訳ないけれど…」

「そうね。急いでどうにかなるものではないもの。ただ、前のことを引きずっているのではないかと思って…。ご縁がなかったことは、決してあなたのせいではないわ」

 姉が言うのは、リュークの件だ。彼女の中に残る罪悪感を見抜き、助言してくれている。

 声をひそめた。

「あなたが悪いのなら、わたしも悪いわ。…キースの好意を見て見ぬ振りしてきた」

「それは違う。ダイアナはきちんと線を引いていたわ」

「拒絶は無礼だと考えて、曖昧にしていたことも多いの」

「それはしょうがないことよ」

「ね、だから全部は受け取れないの。わかるでしょう? あなたは悪くない」

 言葉の後で、彼女の手を握った。その手に、ハミルトン氏から贈られた腕輪が輝いていた。

「ありがとう」

 ダイアナの言葉は彼女の屈託を軽くしてくれた。

「二人の関心事として、相手のいないわたしのことが話題になるのなら、これでも役には立っているのね」

「嫌ね。フィッツはあなたのことを褒めているの。妹のような思いでいらっしゃるのよ」

 それは本人からも聞いたことがあった。兄のいない彼女にとって、とてもありがたく思う。

「嬉しいわ」

「今は男性との出会いに前向きになれなくても、お喋りを楽しむだけでも良くなくて? 気持ちも変わってくるかもしれないもの」

「そうね。その内、レオが霞むかも」

 エマの言葉にダイアナが微笑んだ。そうあって欲しい密かな気持ちが滲んでいる。

「前にね、ワーグスビューで、レオに会ったの」

「え」

 そこへハミルトン氏の声がかかった。彼女たちを呼んでいる。

 ダイアナが、驚きに彼へ応じることを忘れていた。代わりにエマが手を振り、姉を促した。
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