憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜

33、脱げ出した心の先

 ワーグスビューでのレオとの邂逅をダイアナに話したのは、その夜更けになった。

 スタイルズの館のように一方の寝室を訪れ、話し合う。

 夜衣に着替え、寛いだ姿だ。姉はベッドの淵に腰掛け、エマは一人掛けの椅子に膝を抱いて座った。

 あったことを告げると、ダイアナは真剣な表情で問う。

「何も話さなかったの?」

「ええ。驚いて、反射的に逃げ出しちゃったの。追いかけて来てくれて、転びかけたところを助けてくれたわ」

 彼女の腕をつかみ、支えてくれた。

「急に走り出すと危ない」。

 その声は、今も耳に容易によみがえる。

「どうして? せっかく会えたのに、惜しい気がするわ」

「ご用でいらしたようだし。何を言っていいのかもわからなかった。相手は婚約している方だし…。怖くなったのよ」

「婚約は本当かしら? オリヴィアの言うことはあまり当てにならないわ」

 エマは首を振る。

「…レオだって、何も言わなかった。それが全てよ」

 彼女への思いがあるなり、伝えたいものがあれば言葉にしたはずだ。

(なのに、それがなかった)

 ショックが遠のき、心の整理は出来た。しかし、思いは複雑だった。

 再会したことで、過去の記憶がより鮮明となった。彼への思いが強く自分の中に根付いているのを感じてしまう。

(どうにもならないのに)

 再び彼を見てしまったことで、忘れ難くなった。

(会えなければ良かった)

 そうであれば、時間薬で薄らぎ、その内過去の思い出として封じ込めるだろうと考えていた。時間はかかっても。いつか、きっと。

 葬らなくてはならない恋心が、不意の再会でまた大きくなった。まるで、彼と別れたばかりの振り出しに戻ったようだ。これが薄らいで消えるまで、どれほど耐えればいいのか。

(嫌になる)

 ため息に似た吐息だ。

「ごめんなさい。暗い話になって。だから、黙っていたの。ダイアナは幸せの最中なのに、気の滅入るようなことを言って」

「そんな。もっと早く言って欲しかったわ。あなた一人で抱えるのには重過ぎるもの」

 ダイアナも長く吐息した。

「そんなことがあれば、新しく男性と親しくなろうなんて、簡単に考えられないわ。当然ね。こっちこそ、知らずにごめんなさい」

「二人の思いは嬉しいの。ありがたいの。ただ…、すぐには、切り替えが出来そうになくて…」

「レオは、どうしてワーグスビューにいらしたの? ご用って、何かしら? あんな時期、特別な事情でもなければ、足の向かない場所のはずよ。あなたの知り合ったマシューさんは、何かおっしゃっていなかった?」

「マシューさんのお連れの方に来客があったそうよ。それで彼は席を外したと。きっとその来客がレオのことだと思うわ」

 マシューの言葉を辿れば、そろそろ滞在を切り上げることになりそうだと言っていた。彼自身は静かなあの土地を気に入っていたのに。

「それは、レオがいらしたからではない? レオは季節外れのワーグスビューに、彼らを迎えに来たのではないかしら?」

 以前あったように、ダイアナは事実から物事を推理している。前は、なぜレオが急に消えたかを彼女のために考えてくれた。今は、レオがワーグスビューに現れた理由を探っている。

 姉が指すように、彼はマシューたちを迎えに訪れたのかもしれない。それ以外に、あの地に彼が来る理由は見つけにくい。

 マシューのことは「コックス君」と呼び、その連れの男性を「ジェラルド」と呼び捨てていた。

(親しいご友人かも)

「では、彼が迎えに来たのはそのジェラルドさんの方だと思うわ。ねえ、エマ、お二人がどうしてワーグスビューを選んだのか、お聞きしていない?」

「いいえ。ジェラルドさんが美術にお詳しいそうよ。それで、彫刻の豊富なあの地を訪れたのかも…。マシューさんは、お連れさん任せのように感じたわ。行き先も滞在期間も、ご自分で選んでいないような口ぶりだった」

「お若い方よね。なら、ジェラルドさんはお歳上でしょうし、旅の費用も持っているのかも。だから、選択権は譲っているのかもしれないわ」

 事実に妥当な想像を混ぜ、状況を読み解いていく。ダイアナの分析は、確かにそうであろうと納得がいくものだった。

 レオがあの場にいた理由は、おぼろげながら浮かんで来た。

 けれど、それがわかったとしても何にもならない。

 エマは自分と彼を、はまらないパズルのピースのように思った。もうそれぞれ形が違い、組み合わせてもきれいにつながることはない。

(それはいつから?)

 別れてすぐだったのか、元々がそうだったのかもしれない。

 レオに関することは、考えても答えが出ない。彼はそれをくれないし、たとえもらったとて、今更、彼女にも意味がないと思ってしまっているから。

 胸の奥に重く居座ったままのしこりは恋の残滓だ。

(溶けていくのを待つのも辛い)

 初めて、彼への恋を後悔した。

(レオと出会わなければよかった)
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