憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜
34、姉の結婚
ハミルトン氏がスタイルズ家の母宛に送った手紙には、しばらくして返信があった。ダイアナとの結婚許可を願う内容であったため、母の文面には喜びの言葉が溢れていた。
姉妹はそれを代わる代わる読んで微笑み合った。
人々との交流もあり、エマの滞在は賑やかに過ぎて行く。新しい出会いの積極的になれなくても、ハミルトン氏の厚意は親愛の情の表れでもある。
(それに、殻に閉じこもったままでいたって、失恋の痛みが癒える訳でもないし)
朗らかな様子に努めて過ごした。
また、ダイアナのせっかくの幸福な時間に水を差したくない。その気持ちも大きい。
ハミルトン邸での滞在が一月を越えた頃だ。期限を切った滞在ではなかったが、そろそろエマは帰宅を考え出した。
母に直接会って報告をしたいこともある。姉が二人とも消え、アシェルも寂しがっているだろうとも思えば、気にかかる。
それをハミルトン氏に伝えると、
「もう一月残ってくれれば、一緒に送って行ける。そうしないか?」
と言う。事業で立て込む事案があるという。
流石にもう一月の延長は難しい。エマは感謝しながらその提案を断った。
彼は残念がるが、彼女の気持ちが固いと知ると、折れてくれた。邸の馬車でのメイドも付けた安全な旅を約束してくれる。
彼女は礼を言い、ありがたく厚意を受けた。付き添いのメイドがいるとはいえ、家族のいないほぼ一人旅と同義だ。不安もあるが、初めての体験でちょっと興奮もある。
旅立ちを明日に控えた午後だ。ダイアナの様子がややおかしい。ハミルトン氏を避けるような素振りがあった。いつも睦まじい様子の二人に珍しいことで、エマは怪訝だった。
ダイアナに問うより前に、ハミルトン氏が彼女に声をかけた。表情が少し曇っている。促されて、書斎に入った。
「ダイアナを説得してくれないか? エマの話なら頷いてくれるのじゃないかと思う。わたしが話しても、耳を貸してくれない」
「どういったことかしら?」
「彼女に花嫁衣装を贈りたい。伝えても、何が困るのか、首を振ってばかりだ」
エマは頷いた。資産家で裕福な彼には、未来の妻に結婚のドレスを贈るなど、ごく当然のことなのだろう。
しかし、姉妹だけあって、彼女には姉の考えがすぐにわかる。スタイルズ家は父を亡くして、より倹約を旨としてきた。決して貧しくはないが、将来の家族の安寧のためだ。実際的な理由の他に、母の心配性もその起因になっていた。
自分たちのドレスなど、仕立てたこともほぼない。母が針仕事が上手な人で、姉妹もそれに倣ってきた。
そういう育ちのダイアナにとって、高価な仕立てたウエディングドレスを贈られることは、自然な抵抗感が強いのかもしれない。
(フィッツの奥様になった後ならともかく、その前までは、今のままの自分でいたい気持ちはよくわかるわ)
彼には当然、スタイルズ家の経済状況は見えている。結婚に際し、費用の嵩む部分を自らが提供することで、母の負担を減らしてやりたいという親切に他ならない。
「姉に話してみます。ただ、折れないかもしれないわ」
「とにかく、頼むよ。もうわたしに対して遠慮などして欲しくないのだから」
その後で、彼女はダイアナを探した。姉は居間でエマに託すアシェルへの手紙を書いていた。側に、アメリアとジュリアが同じくアシェルへ向けて書いたものもある。
「少し、いいかしら?」
「ええ…」
ダイアナはペンを置いた。向き合って、すぐにエマの話の内容がわかるようで、やんわりと首を振る。
「頼まれたあなたには申し訳ないけれど、考えは変わらないわ」
「そう……。どうしても? わたしたちには仕立てられない、難しい技術を使ったドレスかも。オリヴィアが自慢していたような」
「そういうドレスは要らないの。彼の横で恥ずかしくさえなければ」
「そうね」
エマにも姉の言葉は至極納得だ。
説得して欲しいと頼まれたが、その気持ちは初めから萎えている。人生で一度きりの晴れの日に、心地よく自分らしくいられるドレスを着るのは、花嫁の権利のようにも思う。
「ただでさえ、色々としていただいているのに……」
ダイアナが言うのはアシェルの学費支援の件だ。篤志家としての務めだろうが、きっかけは絶対に姉への好意だ。そうでなければ、スタイルズ家のアシェルを選ぶことはない。
「ただ、フィッツには何の負担でもないわ。わたしたちと立場が違うから…」
「だからよ。わたしは我が家にとって、とても有利な結婚をするの。大きな資産のある紳士と結婚することは、地元でも噂になるわ。だから、尚のこと。その資産で買われたように見られるのは嫌なの」
ダイアナは彼女の考えの一歩先を読んでいる。反論が出来なかった。
「資産で買われた」。
ハミルトン氏と祭壇に並んだ姉へは、祝福の他、羨ましさ妬ましさから来る中傷も囁かれるだろう。ごく小さな声であっても、絶対にそんなものはある。
彼から贈られた高価なウエディングドレスは、そんな誰かの思いを煽ることも考えられる。
「お母様やあなたにまで、嫌な声が届きそうなことは絶対に避けたいの」
ダイアナの配慮は、彼女や母にまで及んでいた。
(聞きたくない噂ほど、なぜか当人にはすんなり届くもの)
姉の真意を聞き、もう説得は諦めていた。あらかじめ、ハミルトン氏にも無理そうなことは伝えてある。
それに、彼女自身が姉のウエディングドレスを縫いたいと思った。母も同じ思いだろうから、一緒に心を込めて縫う。
「お母様がドレスを縫うことを望んでいると言えば、納得して下さるわ。彼は単純に親切でおっしゃっているのだもの」
「そうしてくれる? ただの遠慮をしていると誤解なさっているの。だからか、繰り返されて困るわ」
「ええ。でもあなたに避けられて、フィッツはしょげていらしたわ。仲直りをしてあげてね」
「避けてなんて…」
エマの言葉に、ダイアナは恥ずかしげに頷いた。
姉との話の後で、彼女はハミルトン氏にやはりドレスを断る旨を伝えた。もちろん、会話の全ては話せない。母が嫁ぐ娘のために縫いたがっている気持ちを伝えると、理解し引き下がってくれる。
「わたしの妻になる女性はなんて強情な人だと、弱っていたんだ」
「今回は特別だわ」
「悪かったね、先走った行為だった。決して母上のお気持ちを軽んじた訳ではない」
「ええ、もちろん」
「そういうことなら、受け入れるよ。結婚前からこれでは、今後も何も贈らせてもらえないのかと、不安になっただけなのだから」
事の顛末に納得し、笑みを見せる彼をエマはちょっとだけおかしく思う。
慎ましさや控えめな挙措もダイアナの魅力を形成する大きな一つだ。そこが欠ければ、全く違う人間になってしまう。
なのに、魅力とは逆のことを求めて、受け入れてもらえないと不思議がっている。
(フィッツは遠慮するなとおっしゃるけれど、きっと遠慮のない女性はお嫌いだわ)
姉妹はそれを代わる代わる読んで微笑み合った。
人々との交流もあり、エマの滞在は賑やかに過ぎて行く。新しい出会いの積極的になれなくても、ハミルトン氏の厚意は親愛の情の表れでもある。
(それに、殻に閉じこもったままでいたって、失恋の痛みが癒える訳でもないし)
朗らかな様子に努めて過ごした。
また、ダイアナのせっかくの幸福な時間に水を差したくない。その気持ちも大きい。
ハミルトン邸での滞在が一月を越えた頃だ。期限を切った滞在ではなかったが、そろそろエマは帰宅を考え出した。
母に直接会って報告をしたいこともある。姉が二人とも消え、アシェルも寂しがっているだろうとも思えば、気にかかる。
それをハミルトン氏に伝えると、
「もう一月残ってくれれば、一緒に送って行ける。そうしないか?」
と言う。事業で立て込む事案があるという。
流石にもう一月の延長は難しい。エマは感謝しながらその提案を断った。
彼は残念がるが、彼女の気持ちが固いと知ると、折れてくれた。邸の馬車でのメイドも付けた安全な旅を約束してくれる。
彼女は礼を言い、ありがたく厚意を受けた。付き添いのメイドがいるとはいえ、家族のいないほぼ一人旅と同義だ。不安もあるが、初めての体験でちょっと興奮もある。
旅立ちを明日に控えた午後だ。ダイアナの様子がややおかしい。ハミルトン氏を避けるような素振りがあった。いつも睦まじい様子の二人に珍しいことで、エマは怪訝だった。
ダイアナに問うより前に、ハミルトン氏が彼女に声をかけた。表情が少し曇っている。促されて、書斎に入った。
「ダイアナを説得してくれないか? エマの話なら頷いてくれるのじゃないかと思う。わたしが話しても、耳を貸してくれない」
「どういったことかしら?」
「彼女に花嫁衣装を贈りたい。伝えても、何が困るのか、首を振ってばかりだ」
エマは頷いた。資産家で裕福な彼には、未来の妻に結婚のドレスを贈るなど、ごく当然のことなのだろう。
しかし、姉妹だけあって、彼女には姉の考えがすぐにわかる。スタイルズ家は父を亡くして、より倹約を旨としてきた。決して貧しくはないが、将来の家族の安寧のためだ。実際的な理由の他に、母の心配性もその起因になっていた。
自分たちのドレスなど、仕立てたこともほぼない。母が針仕事が上手な人で、姉妹もそれに倣ってきた。
そういう育ちのダイアナにとって、高価な仕立てたウエディングドレスを贈られることは、自然な抵抗感が強いのかもしれない。
(フィッツの奥様になった後ならともかく、その前までは、今のままの自分でいたい気持ちはよくわかるわ)
彼には当然、スタイルズ家の経済状況は見えている。結婚に際し、費用の嵩む部分を自らが提供することで、母の負担を減らしてやりたいという親切に他ならない。
「姉に話してみます。ただ、折れないかもしれないわ」
「とにかく、頼むよ。もうわたしに対して遠慮などして欲しくないのだから」
その後で、彼女はダイアナを探した。姉は居間でエマに託すアシェルへの手紙を書いていた。側に、アメリアとジュリアが同じくアシェルへ向けて書いたものもある。
「少し、いいかしら?」
「ええ…」
ダイアナはペンを置いた。向き合って、すぐにエマの話の内容がわかるようで、やんわりと首を振る。
「頼まれたあなたには申し訳ないけれど、考えは変わらないわ」
「そう……。どうしても? わたしたちには仕立てられない、難しい技術を使ったドレスかも。オリヴィアが自慢していたような」
「そういうドレスは要らないの。彼の横で恥ずかしくさえなければ」
「そうね」
エマにも姉の言葉は至極納得だ。
説得して欲しいと頼まれたが、その気持ちは初めから萎えている。人生で一度きりの晴れの日に、心地よく自分らしくいられるドレスを着るのは、花嫁の権利のようにも思う。
「ただでさえ、色々としていただいているのに……」
ダイアナが言うのはアシェルの学費支援の件だ。篤志家としての務めだろうが、きっかけは絶対に姉への好意だ。そうでなければ、スタイルズ家のアシェルを選ぶことはない。
「ただ、フィッツには何の負担でもないわ。わたしたちと立場が違うから…」
「だからよ。わたしは我が家にとって、とても有利な結婚をするの。大きな資産のある紳士と結婚することは、地元でも噂になるわ。だから、尚のこと。その資産で買われたように見られるのは嫌なの」
ダイアナは彼女の考えの一歩先を読んでいる。反論が出来なかった。
「資産で買われた」。
ハミルトン氏と祭壇に並んだ姉へは、祝福の他、羨ましさ妬ましさから来る中傷も囁かれるだろう。ごく小さな声であっても、絶対にそんなものはある。
彼から贈られた高価なウエディングドレスは、そんな誰かの思いを煽ることも考えられる。
「お母様やあなたにまで、嫌な声が届きそうなことは絶対に避けたいの」
ダイアナの配慮は、彼女や母にまで及んでいた。
(聞きたくない噂ほど、なぜか当人にはすんなり届くもの)
姉の真意を聞き、もう説得は諦めていた。あらかじめ、ハミルトン氏にも無理そうなことは伝えてある。
それに、彼女自身が姉のウエディングドレスを縫いたいと思った。母も同じ思いだろうから、一緒に心を込めて縫う。
「お母様がドレスを縫うことを望んでいると言えば、納得して下さるわ。彼は単純に親切でおっしゃっているのだもの」
「そうしてくれる? ただの遠慮をしていると誤解なさっているの。だからか、繰り返されて困るわ」
「ええ。でもあなたに避けられて、フィッツはしょげていらしたわ。仲直りをしてあげてね」
「避けてなんて…」
エマの言葉に、ダイアナは恥ずかしげに頷いた。
姉との話の後で、彼女はハミルトン氏にやはりドレスを断る旨を伝えた。もちろん、会話の全ては話せない。母が嫁ぐ娘のために縫いたがっている気持ちを伝えると、理解し引き下がってくれる。
「わたしの妻になる女性はなんて強情な人だと、弱っていたんだ」
「今回は特別だわ」
「悪かったね、先走った行為だった。決して母上のお気持ちを軽んじた訳ではない」
「ええ、もちろん」
「そういうことなら、受け入れるよ。結婚前からこれでは、今後も何も贈らせてもらえないのかと、不安になっただけなのだから」
事の顛末に納得し、笑みを見せる彼をエマはちょっとだけおかしく思う。
慎ましさや控えめな挙措もダイアナの魅力を形成する大きな一つだ。そこが欠ければ、全く違う人間になってしまう。
なのに、魅力とは逆のことを求めて、受け入れてもらえないと不思議がっている。
(フィッツは遠慮するなとおっしゃるけれど、きっと遠慮のない女性はお嫌いだわ)