憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜
38、告白 前
レオの処置は正しく、翌日にはアシェルの熱は引いた。もちろん起き出すことは無理だが、食欲がやや戻り、母もエマも抱き合って喜んだ。
「ダイアナにはエマから伝えて。アシェルの容体の他に、知らせたいこともたくさんあるでしょうから」
母の言葉に彼女は頷きつつも頬を染めた。レオからの求婚は、既に彼自身から母に許可をもらってある。
「気を揉んでいるでしょうから、早く書いて送ってあげてね。待たせるのは可哀想だから」
午前は、手紙を書くことで過ぎて行った。嬉しい報告を出来るのは心が軽い。アシェルの快方を伝える文は、筆が鈍く感じるほど言葉が溢れ出てきた。
(問題は、レオの件ね…)
何から伝えて良いか、迷う。ともかく、出来事だけを簡潔に伝えた。再会し、彼の求婚を受けたこと、だ。
(わたしもわからないことが多いもの)
母の言葉通り、ダイアナは連絡を首を長くして待っている。待たせるのは残酷だ。続きはまた書き送ると記し、メイドに急いで出して来て欲しいと頼んだ。
「急便を頼んで頂戴ね」
このまま村まで自分で出しに行きたいところだが、館を開けられない。レオが来るからだ。
昨日、彼は母への挨拶と報告を済ますと、シャロックへ戻って行った。そちらに用があるらしい。
アシェルに付き添っていると、レオの来訪が伝えられた。
「レオが来たの?」
「ええ。お呼びする?」
「うん」
階下では、母が彼の応対をしていた。昨日の今日で、彼女は彼の姿を見ると、恥ずかしさが頬を上る。
彼の視線を避けるようにして二階へ伴った。
先を行く彼女の指を彼が取った。
「どうして逃げるの?」
「…逃げてなんかないわ」
「僕を見ない」
「……恥ずかしいの。それだけよ」
何がおかしいのか、くすくすと笑う。
アシェルを見舞った後で、庭を歩いた。吹く風が、以前彼と歩いた時より冷たい。咲く花々の色も違う。時間の移ろいを感じるが、変わらない愛情を注がれ、エマの心はふっくらと満たされている。
「祖母が君に早く会いたいと言っていたよ」
「お祖母様は何かおっしゃって?」
「…喜んでいたよ」
少しだけ返答が遅れた気がした。エマはそれが気がかりで、彼の横顔をひっそりうかがった。孫の結婚相手として、相応しいとは思われなかったのではないか。
(わたしとのことは、レオがお祖母様を押し切ったのかも)
彼が彼女の手を握った。
「こんな話を後からするのは、きっと卑怯だ。…僕が君の前から去った理由にもつながる」
「卑怯だなんて…」
かつて彼が急にこの地を去った訳を彼女はまだ知らない。邸内の事情や来客がそうであろうと、何となく想像はしていた。
ダイアナが散々強調したように、不審さもある。
(しっくりとはこないけれど)
彼が斜めに顔を向け、彼女へ視線を投げた。そうすると、やはり半年前より頬が削いだように痩せている。
「問題が解決しないと、君に会うことは出来なかった…」
「おっしゃらなくてもいいわ。わたしが知らなくてもいいことかも」
「いや、僕の妻になる君には、知っていて欲しい」
口調が硬くなった。この先、嫌な話が続きそうで彼女は視線を落とした。今の二人が幸せであるのなら、過去のことはどうでも良かった。
しかし、彼が聞いて欲しいと望むのなら、自分は聞くべきだろうとも思う。
「僕がボウマン邸を急に立ったのは、祖母から手紙が届いたことが理由だ。深夜に近かった。それを読んで、早朝には立つことを決めた。君に知らせることは、その時思いつかなかった。申し訳なく思う」
深刻な内容だったに違いない。彼女は相槌の代わりに首を振った。
「僕の叔父、ジェラルドが失踪したと書かれていた。命を断つような書き置きが残されていたとあった。祖母は取り乱した様子で書き送って来たよ」
あまりの内容に、彼女は歩が止まった。それでつないだ指先が引かれ、彼も足を止めた。
そこで、ワーグスビューの出来事がよみがえる。経緯は不明だが、彼は失踪した叔父をあの地に迎えにやって来たのだろう。
「邸に帰ってすぐに僕は叔父を捜す旅に出た。しかし、ヒントなんかない。地図を持って方々を捜し回った。命を断とうとする人が足の向きそうな場所を」
のんきな相槌は打てない。彼女は片方の手で口元を覆った。
「人目につきたくなかった。祖母も噂をひどく恐れた。おそらく叔父の心境もそうだろう。時間もない。当てもなく王都を捜し、その後は都市を避け、国の半分は回ったのじゃないかな」
彼のこけた頬の理由がこんな今つながる。途方もない旅は壮絶で、過酷だったに違いない。
そこで、ふと教誨師夫人のベルの話を思い出す。夫がある地域の僧院前でレオと行き合った、と。言葉も短く、彼はすぐに去ったと言っていた。
快適で愉快なはずの知人・友人の邸ではなく、教誨師の質素な宿坊に宿を取ったのは人目を避けるためだ。
「ベルのご夫君のアーネスト教誨師が、あなたをある僧院で見たって…」
「ああ、覚えている。まずいと思ったけれど、あの人物なら余計な他言もしないだろうと、少し話したよ。君のことも考えていたけれど、とにかく、余裕がなかった。……許されることでもなかったし。あの段階で、果たす目処の立たない約束は出来なかった。申し訳ない」
彼女は強く首を振った。
「いいの」
彼が自分の知らない離れた場所で苦しんでいたのを思うと、胸が詰まるようだ。彼の変心を疑ってばかりいた軽はずみな自分を責めた。知らず唇を噛む。
「祖母に連絡を送りながら、ともかく捜し続けた。見つけた後の説得もあるから、他人には任せられない。倦んだ嫌な気分にもなったよ。君にどこか似た人を見つけた。そっくりじゃない。でも少しだけ似ている。どうしているだろうかと考えた。…旅の自分が堪らなくなった」
エマはつないだ指をぎゅっと握る。
「ねえ、レオ、わたし不思議な葉書を受け取ったの。何も書かれていない、真っ白な葉書。あれは…」
「僕だよ。君に忘れられているのじゃないかと不安だった。どうしようも出来ないが、何か伝えたかった。昨日は誰のものになっていても奪うと言ったが、怖かったよ。別な誰かを受け入れる君を想像して、勝手に腹が立った」
エマは息をのんだ。実際、彼が送ったあの白いだけの葉書が、リュークの求婚を妨げている。もし、リュークを受け入れていたとしたら、とレオへの大きな裏切りの未遂を恐ろしく思う。
「あの葉書、取っておいてあるわ。姉はきっとあなたからだと譲らないの」
「勘がいいね」
彼は微笑んだ。つないだ指を口元に運び、口づける。
「お姉さんは、僕を恨んでいるだろう。実のない男だって。君を放り出して消えたのだから」
「ううん、逆よ。忘れなくちゃと言っていたわたしを慰めて、希望を持たせてくれたのがダイアナなの」
「優しいね。君たち姉妹はよく似ていそうだ」
「似ているとよく言われるけれど、ダイアナの方がずっと美人で優しいわ。頭もすごくいいの」
「だからオリヴィアは君をやっかむのか」
「止めて」
「僕には君以上の美人はいないよ」
注ぐ視線が熱くて痛い。羞恥が頬を染める。赤くなった顔を見られたくない。横に背けた。
彼が話を戻す。
捜し続けて辿り着いた季節外れのワーグスビューに、目当ての叔父はいた。
「ジェラルドはのんきにサロンで寛いでいた。死体を見つけることになるのじゃないかと半分思っていたから、安堵したよ。話して、落ち着き払った様子が憎たらしくなった」
「ご無事で良かったわ」
悲劇的な話に落着せず、彼女はほっとした。彼の叔父のジェラルドは、マシューという連れが出来て、気分転換になったのかもしれない。それで死までを思い詰めた感情が緩んだのだろうか。
「叔父様はお帰りになったの?」
「…ああ」
彼の返事は素っ気ないが、叔父への腹立たしさも残るのだろう。時間も労力も費やした挙句の決着だ。
それでも彼女は緊張が解け、寛いだ気分になる。
名門にも家族の問題はある。家名に触る醜聞を恐れるから、人目を憚りより深刻になるのだろう。叔父を連れ帰ることが出来た彼を、祖母は誇らしく頼もしく思ったに違いない。
エマも重責を全うした彼を偉いと感じた。場違いに、思う。アシェルも今後ミドルスクールに進み、紳士の教育を受けて成長する。長じて、頼り甲斐のあるレオのような男性になって欲しいと願った。
彼女が手を引いて促し、木陰に腰を下ろした。
「ダイアナにはエマから伝えて。アシェルの容体の他に、知らせたいこともたくさんあるでしょうから」
母の言葉に彼女は頷きつつも頬を染めた。レオからの求婚は、既に彼自身から母に許可をもらってある。
「気を揉んでいるでしょうから、早く書いて送ってあげてね。待たせるのは可哀想だから」
午前は、手紙を書くことで過ぎて行った。嬉しい報告を出来るのは心が軽い。アシェルの快方を伝える文は、筆が鈍く感じるほど言葉が溢れ出てきた。
(問題は、レオの件ね…)
何から伝えて良いか、迷う。ともかく、出来事だけを簡潔に伝えた。再会し、彼の求婚を受けたこと、だ。
(わたしもわからないことが多いもの)
母の言葉通り、ダイアナは連絡を首を長くして待っている。待たせるのは残酷だ。続きはまた書き送ると記し、メイドに急いで出して来て欲しいと頼んだ。
「急便を頼んで頂戴ね」
このまま村まで自分で出しに行きたいところだが、館を開けられない。レオが来るからだ。
昨日、彼は母への挨拶と報告を済ますと、シャロックへ戻って行った。そちらに用があるらしい。
アシェルに付き添っていると、レオの来訪が伝えられた。
「レオが来たの?」
「ええ。お呼びする?」
「うん」
階下では、母が彼の応対をしていた。昨日の今日で、彼女は彼の姿を見ると、恥ずかしさが頬を上る。
彼の視線を避けるようにして二階へ伴った。
先を行く彼女の指を彼が取った。
「どうして逃げるの?」
「…逃げてなんかないわ」
「僕を見ない」
「……恥ずかしいの。それだけよ」
何がおかしいのか、くすくすと笑う。
アシェルを見舞った後で、庭を歩いた。吹く風が、以前彼と歩いた時より冷たい。咲く花々の色も違う。時間の移ろいを感じるが、変わらない愛情を注がれ、エマの心はふっくらと満たされている。
「祖母が君に早く会いたいと言っていたよ」
「お祖母様は何かおっしゃって?」
「…喜んでいたよ」
少しだけ返答が遅れた気がした。エマはそれが気がかりで、彼の横顔をひっそりうかがった。孫の結婚相手として、相応しいとは思われなかったのではないか。
(わたしとのことは、レオがお祖母様を押し切ったのかも)
彼が彼女の手を握った。
「こんな話を後からするのは、きっと卑怯だ。…僕が君の前から去った理由にもつながる」
「卑怯だなんて…」
かつて彼が急にこの地を去った訳を彼女はまだ知らない。邸内の事情や来客がそうであろうと、何となく想像はしていた。
ダイアナが散々強調したように、不審さもある。
(しっくりとはこないけれど)
彼が斜めに顔を向け、彼女へ視線を投げた。そうすると、やはり半年前より頬が削いだように痩せている。
「問題が解決しないと、君に会うことは出来なかった…」
「おっしゃらなくてもいいわ。わたしが知らなくてもいいことかも」
「いや、僕の妻になる君には、知っていて欲しい」
口調が硬くなった。この先、嫌な話が続きそうで彼女は視線を落とした。今の二人が幸せであるのなら、過去のことはどうでも良かった。
しかし、彼が聞いて欲しいと望むのなら、自分は聞くべきだろうとも思う。
「僕がボウマン邸を急に立ったのは、祖母から手紙が届いたことが理由だ。深夜に近かった。それを読んで、早朝には立つことを決めた。君に知らせることは、その時思いつかなかった。申し訳なく思う」
深刻な内容だったに違いない。彼女は相槌の代わりに首を振った。
「僕の叔父、ジェラルドが失踪したと書かれていた。命を断つような書き置きが残されていたとあった。祖母は取り乱した様子で書き送って来たよ」
あまりの内容に、彼女は歩が止まった。それでつないだ指先が引かれ、彼も足を止めた。
そこで、ワーグスビューの出来事がよみがえる。経緯は不明だが、彼は失踪した叔父をあの地に迎えにやって来たのだろう。
「邸に帰ってすぐに僕は叔父を捜す旅に出た。しかし、ヒントなんかない。地図を持って方々を捜し回った。命を断とうとする人が足の向きそうな場所を」
のんきな相槌は打てない。彼女は片方の手で口元を覆った。
「人目につきたくなかった。祖母も噂をひどく恐れた。おそらく叔父の心境もそうだろう。時間もない。当てもなく王都を捜し、その後は都市を避け、国の半分は回ったのじゃないかな」
彼のこけた頬の理由がこんな今つながる。途方もない旅は壮絶で、過酷だったに違いない。
そこで、ふと教誨師夫人のベルの話を思い出す。夫がある地域の僧院前でレオと行き合った、と。言葉も短く、彼はすぐに去ったと言っていた。
快適で愉快なはずの知人・友人の邸ではなく、教誨師の質素な宿坊に宿を取ったのは人目を避けるためだ。
「ベルのご夫君のアーネスト教誨師が、あなたをある僧院で見たって…」
「ああ、覚えている。まずいと思ったけれど、あの人物なら余計な他言もしないだろうと、少し話したよ。君のことも考えていたけれど、とにかく、余裕がなかった。……許されることでもなかったし。あの段階で、果たす目処の立たない約束は出来なかった。申し訳ない」
彼女は強く首を振った。
「いいの」
彼が自分の知らない離れた場所で苦しんでいたのを思うと、胸が詰まるようだ。彼の変心を疑ってばかりいた軽はずみな自分を責めた。知らず唇を噛む。
「祖母に連絡を送りながら、ともかく捜し続けた。見つけた後の説得もあるから、他人には任せられない。倦んだ嫌な気分にもなったよ。君にどこか似た人を見つけた。そっくりじゃない。でも少しだけ似ている。どうしているだろうかと考えた。…旅の自分が堪らなくなった」
エマはつないだ指をぎゅっと握る。
「ねえ、レオ、わたし不思議な葉書を受け取ったの。何も書かれていない、真っ白な葉書。あれは…」
「僕だよ。君に忘れられているのじゃないかと不安だった。どうしようも出来ないが、何か伝えたかった。昨日は誰のものになっていても奪うと言ったが、怖かったよ。別な誰かを受け入れる君を想像して、勝手に腹が立った」
エマは息をのんだ。実際、彼が送ったあの白いだけの葉書が、リュークの求婚を妨げている。もし、リュークを受け入れていたとしたら、とレオへの大きな裏切りの未遂を恐ろしく思う。
「あの葉書、取っておいてあるわ。姉はきっとあなたからだと譲らないの」
「勘がいいね」
彼は微笑んだ。つないだ指を口元に運び、口づける。
「お姉さんは、僕を恨んでいるだろう。実のない男だって。君を放り出して消えたのだから」
「ううん、逆よ。忘れなくちゃと言っていたわたしを慰めて、希望を持たせてくれたのがダイアナなの」
「優しいね。君たち姉妹はよく似ていそうだ」
「似ているとよく言われるけれど、ダイアナの方がずっと美人で優しいわ。頭もすごくいいの」
「だからオリヴィアは君をやっかむのか」
「止めて」
「僕には君以上の美人はいないよ」
注ぐ視線が熱くて痛い。羞恥が頬を染める。赤くなった顔を見られたくない。横に背けた。
彼が話を戻す。
捜し続けて辿り着いた季節外れのワーグスビューに、目当ての叔父はいた。
「ジェラルドはのんきにサロンで寛いでいた。死体を見つけることになるのじゃないかと半分思っていたから、安堵したよ。話して、落ち着き払った様子が憎たらしくなった」
「ご無事で良かったわ」
悲劇的な話に落着せず、彼女はほっとした。彼の叔父のジェラルドは、マシューという連れが出来て、気分転換になったのかもしれない。それで死までを思い詰めた感情が緩んだのだろうか。
「叔父様はお帰りになったの?」
「…ああ」
彼の返事は素っ気ないが、叔父への腹立たしさも残るのだろう。時間も労力も費やした挙句の決着だ。
それでも彼女は緊張が解け、寛いだ気分になる。
名門にも家族の問題はある。家名に触る醜聞を恐れるから、人目を憚りより深刻になるのだろう。叔父を連れ帰ることが出来た彼を、祖母は誇らしく頼もしく思ったに違いない。
エマも重責を全うした彼を偉いと感じた。場違いに、思う。アシェルも今後ミドルスクールに進み、紳士の教育を受けて成長する。長じて、頼り甲斐のあるレオのような男性になって欲しいと願った。
彼女が手を引いて促し、木陰に腰を下ろした。