憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜

41、バート氏の解釈

「バートさん、どう思われて?」

「ああ、例の……」

 二人のやり取りがエマには意味不明だ。しかし続いた母の言葉に、彼女ははっとなった。

「我が家のことはよろしいの。ただ、ダイアナの方に何か障りがあればと、それが気がかりで。ハミルトンさんはとても良い方だけれど、こればかりはお考えが読めなくて…」

 母はバート氏にレオの叔父の事情を打ち明けたのだ。軽率な母の行為が信じ難い。彼女は驚きに固まってしまう。

 遅れて反応が出た。

「お母様……!」

 固く秘して守るべきウォルシャー家の内情だ。レオも母を信用し話したはず。

(それを明け透けに話してしまうなんて)

 驚きに怒りが混じり、裏切られたような悲しみもある。咄嗟に涙が浮かんだ。レオのいない場で、その話を第三者に持ち出すのも卑怯な気がした。

 肘掛けの手を握りしめる。

「どうして?」

「わたしでは判断がつかないのよ」

「だからって、もらすのは違うのじゃなくて?」

 気も昂り、そして親しんだバート氏への気安さもあり、その前でも母につい反論が出た。

「あなたの幸せと同じように、ダイアナのそれも大事なの。ハミルトンさんは篤志家で事業もなさる方よ。もし、嫌な噂がそちらに影響が出ると判断されて、ダイアナの件を破談にするとお決めになったら、と怖いの……」

 母の言葉にエマは言葉を失った。瞬時、昂った感情も冷めて消えてしまう。

 彼女は顔に手を押し当てる。

 レオだって口にしていた。「お姉さんに迷惑がかかるかもしれない」と。当事者の彼だって危惧してくれた。

(お母様の不安は当然だわ)

 恋が叶い実った。急に溢れ出したその幸福の泉に彼女は夢中で、周囲が見えていない。

(わたしが我がままだった)

 どうであっても「我が家のことはいい」と、母はレオとの結婚を認めてくれた。その上でのバート氏への不安の吐露だ。信頼出来る第三者の意見を知り、例えば噂の対処の方法などを探ったって少しもおかしくはない。

 エマは落ち着いた声で母に詫びた。椅子を立ち、その手を取った。母は手を握り返し、

「レオを思ってのことよ。あなたは悪くないわ。でも、バートさんに失礼だったわね」

 と言った。

 エマはそれを受け、すぐにバート氏にも詫びを繰り返した。彼を手をちょっと上げて笑みでそれを流した。 

「身内に同性愛者がいれば、それは噂になりましょうな。これは確実に」

 バート氏は当たり前に「同性愛者」という言葉を使った。その存在をとうに了解しているかのようだった。

「バートさんはご存知なのですか? その…、そういった男性方を」

「海軍は大きな男所帯だ。中には変わり種もいます。わたしも何人も見た。能力資質に問題がなければ、事を荒立てずに、艦から下ろすだけに留めました。後方の勤務であれば、軍籍でも問題もない」

 バート氏の言葉に、エマはちょっとした引っ掛かりを感じた。記憶のどこかにある。似た文言を誰かが口にしていたはず。

(リュークさん……)

 思わず名が口をついて出そうになる。唇を指で押さえた。以前、リュークの部下に懲戒者が出そうで、彼がその弁護をすると聞いたことがある。

「美しい女性に見惚れる感性しか持たない普通の男に、何の弁護が出来るのか……」。

 妙な呟きだと当時は感じた。軍関係のことで不用意な質問は躊躇われ、彼女はそれ以上を問わなかった。のち、リュークはその部下が懲戒を免れたと知らせてくれた。

「艦を下りて後方勤務に回ることになった……」。

(あれは……、レオの叔父様と同じような事情なのかもしれない)

 バート氏はつないだ。

「名家であれば尚のこと、面白がった話は飛び易い。口さがないことを言う者も現れる。感染るだの遺伝するだの、血の祟りだの…。それらの類は、当たり前に囁かれるでしょうな」

 母は眉をひそめて微かに首を振った。

「社交にも障りが出るのではないですか?」

「避ける人々もあるでしょう。しかし、上流ほどそれが難しい向きもある。ご存知かな、先年王室を離れ、公爵を賜った王子がおられた。この方がまさに同性愛者で、一部の非難を受け自ら臣下に下ることを選ばれた。市井では大層潔いと人気の方です」

 レオも同じく、王族の例を出して彼女に事態を説明した。たとえ王族であっても、噂を憚らなくてはならないほどのことだ、という意味だったが。

「王族でいらした方にもあることなら、主だった社交界では確かに噂にしにくいわね。不敬になるもの」

 母はエマを向いてそう言った。それを受けて、バート氏も頷く。

「使用人を通じて広がる噂の止めようはないが、反対に上つ方では、同性愛の話題は王室を憚って自粛する向きになるでしょう。おっしゃるように、簡単に噂などすれば不敬になる」

「レオはシャロックに邸を用意したと言ってくれたわね。そちらでなら、ダイアナとも人目を気にせず行き来がし易いからって」

「ほう。それは考えてある。そこまで耳目を意識したなら、過剰にダイアナさんへの影響を恐れる必要もないのでは? シャロックはこちらからも交通の便がいい。あなたがエマさんに会い易いようにも配慮したのでしょうな」

 母は吐息した。

「ご自分のことで手が一杯なはずなのに……。ありがたいわね、エマ。全部あなたを思ってのことよ」

 胸が詰まる思いだった。

 祖母を支えつつ叔父を捜す、心労と疲労の日々だったに違いない。時を経て、全てが落着したかに振る舞うが、これからも醜聞にさらされる痛みは続く。

「家族だから、全部引き受ける」。

 彼はそう言った。

(自分もその側で、少しでも彼を支えたい)

 エマは強くそう思う。

「そうそう、この件はこちらに悪いことばかりでもない」

「何かしら?」

「あなたはレオ君の家を大層な名家だと遠慮なさる」

「ええ。娘時代、近くに住っていたことがありますもの。存じています。階層の違う方々よ」

「だが、大ウォルシャー家の刀自であるお祖母さんも、今回の件では高い自負心に傷が入った。手の鞭もしなりが弱まりましょう。噂の火が燃える家に好んで嫁いでくれるエマさんをありがたがりこそすれ、よもや粗略な扱いは出来ますまい」

 母は口元に手をやる。

「あちらの階層は変わらずとも、そこへ今回の醜聞で「引け目」という渡り易い梯子がかかったと思えなくもないじゃないですか。知らん顔してお渡りなさることだ」

「まあ」

 エマも母もバート氏の言葉に唖然とし、顔を見合わせた。ほどなく母の頬が緩む。慎みながらも笑いが唇からもれた。

 遅れて、彼女も母につられて笑い声がこぼれた。

「まあ、バートさん、お人が悪いわ」

「レオ君は最悪を見越して手を打った。当主の自覚として敬意すべきだ。しかし、わたしは何でも物事のいい面も見たいたちで」

 レオの祖母を揶揄した行き過ぎた冗談であったが、深刻な話題を笑いに落着させた。母娘の強張った思いが緩んだのは確かだ。氏も、敢えてそちらへ話を置きに行ったに違いない。考え過ぎるな、とでも忠告したかったのかも知れない。

(お母様がバートさんを信頼するのも当然ね)
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