憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜
43、レオの優しさ
「キースだ」
音へ顔を向けたレオが呟く。
エマの目にも、スタイルズ家にやって来るキースの二人乗り場車が見えた。距離が果て、手綱を握るキースとその横に妹のオリヴィアの姿が露わになる。
「オリヴィアにせがまれて」
ぎこちなく笑ったキースが、帽子のつばにちょっと手をやる。彼女へのお辞儀だ。エマも軽く辞儀を返した。
「アシェルはいいようだね、本当に良かったよ。本当に…」
「ありがとう。お医者様も寄越して下さって、ご親切に母も感謝しているわ。お陰様で、もう起き上がれるのよ。まだ本調子ではないけれど、大分いいわ」
ボウマン邸で別れの挨拶は既に済んだレオが、やや白けた様子で立っている。迫った刻限に、恋人との別れを惜しんでいた最中だ。
エマにもキース兄妹が現れた理由がわからない。
(アシェルへのお見舞いかしら?)
兄の横で仏頂面のオリヴィアはともかく、キースは優しい。
ダイアナの婚約は母が教誨師夫人のベルに告げたことから、地域でも噂になっている。キースのみその蚊帳の外とは思われない。
姉に恋するキースにはさぞ痛手だろう。曖昧な態度を取らなかったダイアナから気のある脈は感じられなかっただろうが、気の毒であるには違いない。
「エマ、あなたちゃんとレオにお話ししたの?」
不意にオリヴィアが口を開いた。彼女を睨むように見る。
「え」
「また自分に都合よく隠すのね。スタイルズ家の姉妹って二人ともそう。そうやって上手く世渡りするの」
いつも標的は彼女一人だったはずが、今回はそれがダイアナにまで及んでいる。そこに敏感に反応してしまう。
「あなた、ダイアナの何を言っているの?」
つないだままの手を引いてレオが彼女を制した。
「妙な謎かけは止めにしないか。オリヴィア、はっきり言って不快だよ」
「あなただって、中身を知れば納得なさるわ。そのつないだ手をすぐにでも振り解きたくなるから」
レオはそれに取り合わず、キースに向かって言う。
「悪いが、彼女を連れ帰ってくれ。何か取り乱しているようだ」
「うん、そうだ。帰ろう、オリヴィア。もういいだろう、な?」
「うるさいったら!」
オリヴィアは手綱を握る兄の方から身を乗り出し、半分笑った顔をレオへ向ける。その頬に張り付いた臭うような悪意を感じた時、エマはオリヴィアが放つはずの言葉を悟った。
(舞踏会の夜と同じだわ)
彼女の一番痛むはずの場所を心得ていて、固めたつぶてを正確に投げて来る。何度も何度も。オリヴィアの気が晴れるまでそれは続く。
エマは唇を噛んだ。
「レオ、この人ね、あなたが不在の間、新たに現れた男性と随分昵懇で、婚約寸前まで行ったのよ。もちろん出まかせじゃないわ。海軍の将校さんで、軍服がとてもお似合いの素敵な方だったわよね」
からりとよく晴れた乾いた空気の中、オリヴィアを中心に氷が張ったようにも思われた。
「最初ダイアナが攻めて不発で、次にあなたが挑んで籠絡したのよね。小さな弟をだしにして、あの方にしなだれかかっていたじゃない。エマ、あのリュークさん、どうなさったの? 浮気な性分がばれて、愛想をつかされたのじゃなくて?」
「キース」
レオが低い声で呼んだ。応じたキースが頷き、妹に声をかけた。
「言葉が過ぎるぞ。レオが怒っている。帰ろう」
流石にこの距離では妹の暴言にも気づく。叱るには弱いが、エマには初めて妹を嗜めるキースを見たように思った。
しかし、オリヴィアは兄の制止など歯牙にも掛けない。完全にスイッチが入った状態で、攻撃的にまくし立てた。
「ダイアナは兄にも色目を使っていたじゃないの。いい条件が他所であったから、キースからすぐに鞍替えよ。スタイルズ家の姉妹って、そうよ。狡いわ。計算高く男性を物色するの。美味しいところ取りして、そのくせ澄ましているのだもの」
どれも正しくなく、オリヴィアの嘘まみれの妄言ばかりだ。ダイアナを侮辱され、エマも頭が白くなるほど腹立ちを覚えた。
(あなた…、ダイアナの何も知らないじゃない!)
「お父様もいない貧乏なくせに、浅ましい。それらしく、二人で端っこにくすぶっていればいいのに。そっくりな聖女面があざといったらないわ」
「何て…」
エマが口を開くのと同時に、その音が聞こえた。肌を強く打つ音で、キースが妹の頬を平手でひどく打ったのだと知れた。
「オリヴィア、お前だけが狡くて浅ましい。黙っていろ」
兄の言葉に、妹はきつい叱責と痛みの衝撃に唖然となる。遅れて、オリヴィアの嗚咽が始まる。
キースは困ったように笑った。その表情はいつものキースだ。
「邪魔をして申し訳ない。エマ、またきちんと詫びさせてほしい。レオも、改めて帰路の無事を祈るよ」
馬車を返し去って行った。
旋風が吹き去った後のような寸劇の幕間のような、ほんの刹那。
過ぎた衝動の影響からエマはすぐに我に返った。オリヴィアからの凄まじい暴言への怒りは、もうほぼない。キースがその頬を張り辛辣に叱りつけたことで、彼女の中の帳尻が合ったようだ。
残るのは、レオへの気まずさだけだった。
オリヴィアは彼女とリュークの関係を明け透けに言い放った。いずれも彼の知らないことばかりだ。
離れた間も耐えず彼女を思い、迷うことのなかった彼に比べ、疑心と自己憐憫だらけだった。心の隙間を別な男性で埋めるため、レオを忘れようと努めた。
(リュークさんの求婚をぎりぎりで断ったけれど、それで潔白なのではない)
涙が瞳を溢れそうになる。
レオとの再会後、知らずに見ないようにしていた。彼を裏切った事実をこんな今突きつけられた。やはり、オリヴィアによって。
浮かんだ涙は状況への憤りのためではない。自分への激しい羞恥からだ。彼女のために「出来る限り火の粉を払う」と言ってくれる彼に比べ、こんなにも情けない己への愚かさへのものだ。
(まるで相応しくない)
エマは彼から背を向け、急いで涙を拭った。臆病な自分がどうしようもなく嫌だが、彼の目を見る勇気が出ない。
「エマ……」
「もうお立ちになって。遅れてしまっているわ」
「まだいい」
彼が後ろから彼女のを腕を取った。自分の方へ向かせるように引く。視線を感じるが、彼女は下を向き、目が合うのを避けた。
「怒っていないよ」
声の優しさに、彼女は堪らず嗚咽をもらした。その彼女を彼が抱きしめる。涙が彼のシャツをぬらすのは嫌だった。これは彼が拭うべき涙ではない。
涙の峠が過ぎ、彼女は唇を開く。
「…わたしのことで、オリヴィアの言ったことは本当よ。あなたがいない間、出会った男性と親しくしていたわ。…母も姉も喜んで安心してくれる、条件のいい方だった。素晴らしい方よ」
「随分と褒めるね」
「こんないい人を逃したら、もう誰も、取り柄のない田舎娘を相手にしてくれることなんてないって思った……」
「でも、君は一人だった。素敵な将校はどうしたの?」
「…白い葉書があったから」
「え」
「あなたの葉書があったから……」
「求婚を断ったの?」
彼女は頷いた。視線を避けながら、打ち明ける。
「…好きになろうとしたわ。信じればそうなれると思った。でも無理だったの……」
彼女は彼の腕を解き、距離を置いた。
「オリヴィアの言ったことは辛辣だけれど、当たっているわ。立派な紳士の方を誤解させて求婚まで引き出して、恥をかかせた。身勝手にも」
呟いた。
「スタイルズ家の姉妹の……妹の方は、狡くて浅ましいの」
首を振りつつ、ようやく彼の目を見た。
「黙っていてごめんなさい」
「君を長く待たせた僕のせいだ」
「嫌なお気持ちのはずだわ」
彼は彼女の手を再び取った。指を絡めて握る。
「怒っていないよ。ただ……」
彼は彼女の手を引き、門の影に導いた。塀に彼女の背を押し当て、そのまま強引に身を伏せた。唇が重なり、エマは驚きと胸の高鳴りに身動きも出来ない。
まだ二人に許されることではなかった。しかし、彼の衝動を抗うには、エマの心は彼の熱に溶けてもう脆かった。
熱く口づけた後だ。
「素敵な将校に君がしなだれかかったのか、だけは気になるよ」
「まさか、そんな。ある訳ないわ」
「知っているよ」
「意地悪」
「でも好きだろう?」
「…ええ。好き。大好き」
彼の指が首に触れて下へ落ち、胸のふくらみの手前で止まった。やや強く押す。
「他の男は入れないでくれ」
「ええ、絶対に。レオだけよ」
「愛している」
見つめ合う。
いつか、エマは彼と自分をはまらないパズルのピースのようだと憂えたことがあった。身分であるとか条件であるとか、それぞれの属性が互いを隔ててしまうのでは、と絶望した。自分ではレオに足りないのだと。
しかし、時を経て、こんなにも惹き合って求め合うことを知る。
(形じゃないわ、きっと)
彼を思って絶えなかった恋だけが、今へ導いてくれた。途切れそうでも、挫けそうになっても。
別れの最後に、もう一度だけ口づけた。
絡んだ指を解き、彼は騎馬する。旅の無事を祈り、切なくその背を見送った。
エマは長くその場を立ち去れずにいる。何度か重なった唇に指を置き、甘く過ぎた時間を思っていた。
音へ顔を向けたレオが呟く。
エマの目にも、スタイルズ家にやって来るキースの二人乗り場車が見えた。距離が果て、手綱を握るキースとその横に妹のオリヴィアの姿が露わになる。
「オリヴィアにせがまれて」
ぎこちなく笑ったキースが、帽子のつばにちょっと手をやる。彼女へのお辞儀だ。エマも軽く辞儀を返した。
「アシェルはいいようだね、本当に良かったよ。本当に…」
「ありがとう。お医者様も寄越して下さって、ご親切に母も感謝しているわ。お陰様で、もう起き上がれるのよ。まだ本調子ではないけれど、大分いいわ」
ボウマン邸で別れの挨拶は既に済んだレオが、やや白けた様子で立っている。迫った刻限に、恋人との別れを惜しんでいた最中だ。
エマにもキース兄妹が現れた理由がわからない。
(アシェルへのお見舞いかしら?)
兄の横で仏頂面のオリヴィアはともかく、キースは優しい。
ダイアナの婚約は母が教誨師夫人のベルに告げたことから、地域でも噂になっている。キースのみその蚊帳の外とは思われない。
姉に恋するキースにはさぞ痛手だろう。曖昧な態度を取らなかったダイアナから気のある脈は感じられなかっただろうが、気の毒であるには違いない。
「エマ、あなたちゃんとレオにお話ししたの?」
不意にオリヴィアが口を開いた。彼女を睨むように見る。
「え」
「また自分に都合よく隠すのね。スタイルズ家の姉妹って二人ともそう。そうやって上手く世渡りするの」
いつも標的は彼女一人だったはずが、今回はそれがダイアナにまで及んでいる。そこに敏感に反応してしまう。
「あなた、ダイアナの何を言っているの?」
つないだままの手を引いてレオが彼女を制した。
「妙な謎かけは止めにしないか。オリヴィア、はっきり言って不快だよ」
「あなただって、中身を知れば納得なさるわ。そのつないだ手をすぐにでも振り解きたくなるから」
レオはそれに取り合わず、キースに向かって言う。
「悪いが、彼女を連れ帰ってくれ。何か取り乱しているようだ」
「うん、そうだ。帰ろう、オリヴィア。もういいだろう、な?」
「うるさいったら!」
オリヴィアは手綱を握る兄の方から身を乗り出し、半分笑った顔をレオへ向ける。その頬に張り付いた臭うような悪意を感じた時、エマはオリヴィアが放つはずの言葉を悟った。
(舞踏会の夜と同じだわ)
彼女の一番痛むはずの場所を心得ていて、固めたつぶてを正確に投げて来る。何度も何度も。オリヴィアの気が晴れるまでそれは続く。
エマは唇を噛んだ。
「レオ、この人ね、あなたが不在の間、新たに現れた男性と随分昵懇で、婚約寸前まで行ったのよ。もちろん出まかせじゃないわ。海軍の将校さんで、軍服がとてもお似合いの素敵な方だったわよね」
からりとよく晴れた乾いた空気の中、オリヴィアを中心に氷が張ったようにも思われた。
「最初ダイアナが攻めて不発で、次にあなたが挑んで籠絡したのよね。小さな弟をだしにして、あの方にしなだれかかっていたじゃない。エマ、あのリュークさん、どうなさったの? 浮気な性分がばれて、愛想をつかされたのじゃなくて?」
「キース」
レオが低い声で呼んだ。応じたキースが頷き、妹に声をかけた。
「言葉が過ぎるぞ。レオが怒っている。帰ろう」
流石にこの距離では妹の暴言にも気づく。叱るには弱いが、エマには初めて妹を嗜めるキースを見たように思った。
しかし、オリヴィアは兄の制止など歯牙にも掛けない。完全にスイッチが入った状態で、攻撃的にまくし立てた。
「ダイアナは兄にも色目を使っていたじゃないの。いい条件が他所であったから、キースからすぐに鞍替えよ。スタイルズ家の姉妹って、そうよ。狡いわ。計算高く男性を物色するの。美味しいところ取りして、そのくせ澄ましているのだもの」
どれも正しくなく、オリヴィアの嘘まみれの妄言ばかりだ。ダイアナを侮辱され、エマも頭が白くなるほど腹立ちを覚えた。
(あなた…、ダイアナの何も知らないじゃない!)
「お父様もいない貧乏なくせに、浅ましい。それらしく、二人で端っこにくすぶっていればいいのに。そっくりな聖女面があざといったらないわ」
「何て…」
エマが口を開くのと同時に、その音が聞こえた。肌を強く打つ音で、キースが妹の頬を平手でひどく打ったのだと知れた。
「オリヴィア、お前だけが狡くて浅ましい。黙っていろ」
兄の言葉に、妹はきつい叱責と痛みの衝撃に唖然となる。遅れて、オリヴィアの嗚咽が始まる。
キースは困ったように笑った。その表情はいつものキースだ。
「邪魔をして申し訳ない。エマ、またきちんと詫びさせてほしい。レオも、改めて帰路の無事を祈るよ」
馬車を返し去って行った。
旋風が吹き去った後のような寸劇の幕間のような、ほんの刹那。
過ぎた衝動の影響からエマはすぐに我に返った。オリヴィアからの凄まじい暴言への怒りは、もうほぼない。キースがその頬を張り辛辣に叱りつけたことで、彼女の中の帳尻が合ったようだ。
残るのは、レオへの気まずさだけだった。
オリヴィアは彼女とリュークの関係を明け透けに言い放った。いずれも彼の知らないことばかりだ。
離れた間も耐えず彼女を思い、迷うことのなかった彼に比べ、疑心と自己憐憫だらけだった。心の隙間を別な男性で埋めるため、レオを忘れようと努めた。
(リュークさんの求婚をぎりぎりで断ったけれど、それで潔白なのではない)
涙が瞳を溢れそうになる。
レオとの再会後、知らずに見ないようにしていた。彼を裏切った事実をこんな今突きつけられた。やはり、オリヴィアによって。
浮かんだ涙は状況への憤りのためではない。自分への激しい羞恥からだ。彼女のために「出来る限り火の粉を払う」と言ってくれる彼に比べ、こんなにも情けない己への愚かさへのものだ。
(まるで相応しくない)
エマは彼から背を向け、急いで涙を拭った。臆病な自分がどうしようもなく嫌だが、彼の目を見る勇気が出ない。
「エマ……」
「もうお立ちになって。遅れてしまっているわ」
「まだいい」
彼が後ろから彼女のを腕を取った。自分の方へ向かせるように引く。視線を感じるが、彼女は下を向き、目が合うのを避けた。
「怒っていないよ」
声の優しさに、彼女は堪らず嗚咽をもらした。その彼女を彼が抱きしめる。涙が彼のシャツをぬらすのは嫌だった。これは彼が拭うべき涙ではない。
涙の峠が過ぎ、彼女は唇を開く。
「…わたしのことで、オリヴィアの言ったことは本当よ。あなたがいない間、出会った男性と親しくしていたわ。…母も姉も喜んで安心してくれる、条件のいい方だった。素晴らしい方よ」
「随分と褒めるね」
「こんないい人を逃したら、もう誰も、取り柄のない田舎娘を相手にしてくれることなんてないって思った……」
「でも、君は一人だった。素敵な将校はどうしたの?」
「…白い葉書があったから」
「え」
「あなたの葉書があったから……」
「求婚を断ったの?」
彼女は頷いた。視線を避けながら、打ち明ける。
「…好きになろうとしたわ。信じればそうなれると思った。でも無理だったの……」
彼女は彼の腕を解き、距離を置いた。
「オリヴィアの言ったことは辛辣だけれど、当たっているわ。立派な紳士の方を誤解させて求婚まで引き出して、恥をかかせた。身勝手にも」
呟いた。
「スタイルズ家の姉妹の……妹の方は、狡くて浅ましいの」
首を振りつつ、ようやく彼の目を見た。
「黙っていてごめんなさい」
「君を長く待たせた僕のせいだ」
「嫌なお気持ちのはずだわ」
彼は彼女の手を再び取った。指を絡めて握る。
「怒っていないよ。ただ……」
彼は彼女の手を引き、門の影に導いた。塀に彼女の背を押し当て、そのまま強引に身を伏せた。唇が重なり、エマは驚きと胸の高鳴りに身動きも出来ない。
まだ二人に許されることではなかった。しかし、彼の衝動を抗うには、エマの心は彼の熱に溶けてもう脆かった。
熱く口づけた後だ。
「素敵な将校に君がしなだれかかったのか、だけは気になるよ」
「まさか、そんな。ある訳ないわ」
「知っているよ」
「意地悪」
「でも好きだろう?」
「…ええ。好き。大好き」
彼の指が首に触れて下へ落ち、胸のふくらみの手前で止まった。やや強く押す。
「他の男は入れないでくれ」
「ええ、絶対に。レオだけよ」
「愛している」
見つめ合う。
いつか、エマは彼と自分をはまらないパズルのピースのようだと憂えたことがあった。身分であるとか条件であるとか、それぞれの属性が互いを隔ててしまうのでは、と絶望した。自分ではレオに足りないのだと。
しかし、時を経て、こんなにも惹き合って求め合うことを知る。
(形じゃないわ、きっと)
彼を思って絶えなかった恋だけが、今へ導いてくれた。途切れそうでも、挫けそうになっても。
別れの最後に、もう一度だけ口づけた。
絡んだ指を解き、彼は騎馬する。旅の無事を祈り、切なくその背を見送った。
エマは長くその場を立ち去れずにいる。何度か重なった唇に指を置き、甘く過ぎた時間を思っていた。