憧れと結婚〜田舎令嬢エマの幸福な事情〜
9、ウェリントン領地
地域の新しい入居者のことをまず知らせたのは、母だった。
姉妹が村へ買い物に出かけた留守に、ウェリントン領地を購入した人物が、館に挨拶に現れたという。
「どんな方?」
「元軍人だもの、怖い方かしら」
ボンネットを外しながら、興味津々に問う。
母は扇子を使い、五十歳くらいかしら、と首を傾げた。
「バート大将とおっしゃるわ。恰幅のいい、厳しい印象の方だったわ。でも、お話しするとお優しそうよ。越して早々にご挨拶に回るのも、こちらに溶け込みたいお気持ちの表れだろうし」
「姪ごさんのことは、何かおっしゃって?」
「七歳だそうよ。うちのアシェルと歳も近いから、遊びに来てほしいと誘っていただいたわ。あなたたち、一度伺ったら? アシェルも連れて」
母の言葉に姉妹は頷き合った。
村で買ったリボンを手持ちのドレスの胸飾りにあしらった。ダイアナのアイディアで、街では流行なのだそう。確かに、垢抜けた雰囲気だ。
針仕事の後で、手紙が届いた。メイドが持ってきたそれを、エマが母と姉に配る。
「どなた?」
母の声だ。
「ジュリアからよ。お祖母様のところから手紙を書いてくれたのね」
ジュリアはハミルトン氏の上の娘だった。封を切ったダイアナが、便箋を取り出した。その時、別な紙が床に落ちた。葉書のようだった。なぜか姉が素早く拾い、封筒に重ねてそれを隠した。
(何かしら?)
愛らしい子供の文字をエマに示し、
「今は文章を写させて、文字の練習をしているのよ」
と笑う。
「随分上手ね。教える人がいいからよ」
隠し事のない姉妹だった。ダイアナが何を隠したのか気になるが、母の前では詮索もできない。また、時期を見て聞いてみようと思った。
その夜は、亡父の親戚の家での晩餐だった。家族揃って出かけた。人も多く賑やかな会で、くじのゲームも楽しかった。姉はガラス玉の指輪を当て、参加していた少女にプレゼントしていた。
お菓子をたくさん食べて興奮したのか、帰りもアシェルは元気だった。眠ってしまったら、姉妹のどちらかが背負って帰ろうと決めていた。
館に着いた。寝室に上がる時、姉がエマの腕を引いた。
「キースに聞いたの、あなたの……」
今晩の会にはキースも来ていた。ご自慢の馬車があったが、何分スタイルズ家の全員を送れない。渋々ダイアナを乗せることを諦めていたのは、エマも知っている。
姉が口ごもったその先は、問わなくてもわかった。二人で姉の寝室に入った。
あまりいい話でないのは、表情からもわかる。先を促しもせず、彼女は姉のドレスの背中のボタンを外してあげた。代わって、ダイアナが彼女のそれを外してくれた。
「キースにも連絡がないそうよ。「お祖母様っ子だから、旅の後で、もう当分外に出ないのじゃないか」らしいの」
「そう」
ため息混じりの声が出た。今更、落胆した様子など見せたくないのに、まだ未練が滲むのが惨めだった。
「嫌な話になったわね、ごめんなさい」
「ううん」
ダイアナは彼女のために、少し苦手にしているキースに敢えて近づき、レオの件を探ってくれた。思いやり以外の何ものでもない。
「ありがとう。もういいの」
ドレスを肩から下ろし、足元に落とした。それを拾い、彼女は話を変えて尋ねた。
「ねえ、ダイアナ、キースのことはどうなの? もうあなたへの思いは間違えようがないじゃない。その内、きっと結婚の申込みもあるわ」
「嫌ね、エマったら」
「キースは将来の知事で、財産家よ。人柄もいいし、何より近所で、嫁いでもお母様も安心でしょ」
ダイアナは吹き出して笑った。彼女と同じくドレスを脱いだ。
「嫁ぐだなんて、飛躍のし過ぎよ」
「いいご縁じゃない。羨ましがる独身女性は多いわ」
「そうなったら、あなた、オリヴィアと家族づき合いが続くのよ。それでよくて?」
「我慢出来るわ、今までみたいに」
ダイアナは夜着を羽織り、前で結んだ。
「わたしは嫌よ」
「え」
「自分の家族に我慢を強いないと続かないような結婚は嫌」
寝台に腰掛け、ドレスをふわりと背もたれにかけた。
「ボウマンの家はキースたちのお母様がとても強いでしょ。彼はその言いなりよ。もし仮に、わたしがあちらに嫁いだとしても、あのお母様の意見を跳ね除けてまで、キースはわたしを守ってはくれないわ」
聞いて、よく納得のいく未来だった。資産家のボウマン家に嫁ぐ幸運までしか、エマは考えていなかった。ダイアナはその先を読んでいる。
家格の劣るダイアナを、姑となったボウマン夫人は意のままに支配しようとする。オリヴィアもきっと倣う。当主のボウマン氏は家庭内の些事には関わらないだろう。そして、キースは母の意見に刃向かってまで、妻を守る人だろうか。
邸の中で姉が孤立する様が、見て取れるようだ。
誰かが、ダイアナなら「賢いから、ボウマン夫人とも上手くやっていけそう」と言った。けれど、それは夫が妻を絶対に守ってくれるという信頼と愛情があってこそ生まれる努力ではないか。
(捧げるばかり、報われない献身は、自分自身を枯らしてしまう)
姉はそんな努力が幸福につながらないと気づいているのだろう。
「わたしが、キースをとても愛していればいいわ。それもなくて、ただ条件だけで選ぶのなら、誰にとってもいい縁ではないと思うの」
ダイアナの言葉を聞き、姉はつくづく賢いと思った。安易な玉の輿に飛びつくこともなく、冷静に状況を見定めている。だから、先にある不毛に気づく。
「もし、いつか結婚出来るとして、お互いを尊重し合える関係がいいわ。条件ばかりではなく」
「お金も大切よ」
「そうね、大事よ。でも、一番じゃないわ」
自室に戻り、思い出した。
(葉書のことを聞きそびれたわ)
姉妹が村へ買い物に出かけた留守に、ウェリントン領地を購入した人物が、館に挨拶に現れたという。
「どんな方?」
「元軍人だもの、怖い方かしら」
ボンネットを外しながら、興味津々に問う。
母は扇子を使い、五十歳くらいかしら、と首を傾げた。
「バート大将とおっしゃるわ。恰幅のいい、厳しい印象の方だったわ。でも、お話しするとお優しそうよ。越して早々にご挨拶に回るのも、こちらに溶け込みたいお気持ちの表れだろうし」
「姪ごさんのことは、何かおっしゃって?」
「七歳だそうよ。うちのアシェルと歳も近いから、遊びに来てほしいと誘っていただいたわ。あなたたち、一度伺ったら? アシェルも連れて」
母の言葉に姉妹は頷き合った。
村で買ったリボンを手持ちのドレスの胸飾りにあしらった。ダイアナのアイディアで、街では流行なのだそう。確かに、垢抜けた雰囲気だ。
針仕事の後で、手紙が届いた。メイドが持ってきたそれを、エマが母と姉に配る。
「どなた?」
母の声だ。
「ジュリアからよ。お祖母様のところから手紙を書いてくれたのね」
ジュリアはハミルトン氏の上の娘だった。封を切ったダイアナが、便箋を取り出した。その時、別な紙が床に落ちた。葉書のようだった。なぜか姉が素早く拾い、封筒に重ねてそれを隠した。
(何かしら?)
愛らしい子供の文字をエマに示し、
「今は文章を写させて、文字の練習をしているのよ」
と笑う。
「随分上手ね。教える人がいいからよ」
隠し事のない姉妹だった。ダイアナが何を隠したのか気になるが、母の前では詮索もできない。また、時期を見て聞いてみようと思った。
その夜は、亡父の親戚の家での晩餐だった。家族揃って出かけた。人も多く賑やかな会で、くじのゲームも楽しかった。姉はガラス玉の指輪を当て、参加していた少女にプレゼントしていた。
お菓子をたくさん食べて興奮したのか、帰りもアシェルは元気だった。眠ってしまったら、姉妹のどちらかが背負って帰ろうと決めていた。
館に着いた。寝室に上がる時、姉がエマの腕を引いた。
「キースに聞いたの、あなたの……」
今晩の会にはキースも来ていた。ご自慢の馬車があったが、何分スタイルズ家の全員を送れない。渋々ダイアナを乗せることを諦めていたのは、エマも知っている。
姉が口ごもったその先は、問わなくてもわかった。二人で姉の寝室に入った。
あまりいい話でないのは、表情からもわかる。先を促しもせず、彼女は姉のドレスの背中のボタンを外してあげた。代わって、ダイアナが彼女のそれを外してくれた。
「キースにも連絡がないそうよ。「お祖母様っ子だから、旅の後で、もう当分外に出ないのじゃないか」らしいの」
「そう」
ため息混じりの声が出た。今更、落胆した様子など見せたくないのに、まだ未練が滲むのが惨めだった。
「嫌な話になったわね、ごめんなさい」
「ううん」
ダイアナは彼女のために、少し苦手にしているキースに敢えて近づき、レオの件を探ってくれた。思いやり以外の何ものでもない。
「ありがとう。もういいの」
ドレスを肩から下ろし、足元に落とした。それを拾い、彼女は話を変えて尋ねた。
「ねえ、ダイアナ、キースのことはどうなの? もうあなたへの思いは間違えようがないじゃない。その内、きっと結婚の申込みもあるわ」
「嫌ね、エマったら」
「キースは将来の知事で、財産家よ。人柄もいいし、何より近所で、嫁いでもお母様も安心でしょ」
ダイアナは吹き出して笑った。彼女と同じくドレスを脱いだ。
「嫁ぐだなんて、飛躍のし過ぎよ」
「いいご縁じゃない。羨ましがる独身女性は多いわ」
「そうなったら、あなた、オリヴィアと家族づき合いが続くのよ。それでよくて?」
「我慢出来るわ、今までみたいに」
ダイアナは夜着を羽織り、前で結んだ。
「わたしは嫌よ」
「え」
「自分の家族に我慢を強いないと続かないような結婚は嫌」
寝台に腰掛け、ドレスをふわりと背もたれにかけた。
「ボウマンの家はキースたちのお母様がとても強いでしょ。彼はその言いなりよ。もし仮に、わたしがあちらに嫁いだとしても、あのお母様の意見を跳ね除けてまで、キースはわたしを守ってはくれないわ」
聞いて、よく納得のいく未来だった。資産家のボウマン家に嫁ぐ幸運までしか、エマは考えていなかった。ダイアナはその先を読んでいる。
家格の劣るダイアナを、姑となったボウマン夫人は意のままに支配しようとする。オリヴィアもきっと倣う。当主のボウマン氏は家庭内の些事には関わらないだろう。そして、キースは母の意見に刃向かってまで、妻を守る人だろうか。
邸の中で姉が孤立する様が、見て取れるようだ。
誰かが、ダイアナなら「賢いから、ボウマン夫人とも上手くやっていけそう」と言った。けれど、それは夫が妻を絶対に守ってくれるという信頼と愛情があってこそ生まれる努力ではないか。
(捧げるばかり、報われない献身は、自分自身を枯らしてしまう)
姉はそんな努力が幸福につながらないと気づいているのだろう。
「わたしが、キースをとても愛していればいいわ。それもなくて、ただ条件だけで選ぶのなら、誰にとってもいい縁ではないと思うの」
ダイアナの言葉を聞き、姉はつくづく賢いと思った。安易な玉の輿に飛びつくこともなく、冷静に状況を見定めている。だから、先にある不毛に気づく。
「もし、いつか結婚出来るとして、お互いを尊重し合える関係がいいわ。条件ばかりではなく」
「お金も大切よ」
「そうね、大事よ。でも、一番じゃないわ」
自室に戻り、思い出した。
(葉書のことを聞きそびれたわ)