泣き虫の凛ちゃんがヤクザになっていた
 男が出て行った後、私は床に座り込んで膝を抱えながらすすり泣いた。
 
 どうしよう。六百万円なんて、一週間で用意できるわけがない。
 大事な店を売りたくない。
 でも、さっきの続きをするなんて、私には到底無理だ。
 どうして私がこんな目に――。
 
 様々なことを考えては絶望した。
 散々泣き腫らして、少し冷静になった頃、私はふと自身の手に握りしめられている名刺の存在を思い出した。
 握りしめてクシャクシャになってしまった名刺を私は広げる。

 三代目反田(はんだ)組 若頭補佐 酒々井凛(しすいりん)

 私はその名前を見た瞬間、遠い昔の記憶の中にいた男の子のことを思い出した。

 ――幸希ちゃん、バイバイ。

 泣き腫らした顔をして、私に手を振る小さな男の子。
 
「――凛ちゃん」
 私は無意識のうちに、彼の名前を呟いていた。
 
 小学生の頃、同級生の中に身体が小さくて気の弱い男の子がいた。――高橋(たかはし)凛。
 いつも同級生の男子たちにいじめられていて、怪我をして泣いていた。
 いじめられて泣いている凛ちゃんを私はいつも守っていた。
 当時学年の中で一番背の高かった私が「コラー!」と言っていじめっ子たちを追いかけると、彼らは「デカ女だ!逃げろ!」と走り去っていく。
 そんな私に対して、凛ちゃんはまるでヒーローでも見るかのように目を輝かせていた。
 
 小学四年生の時、凛ちゃんは両親の離婚が原因で転校することになった。
 その時、苗字が高橋から酒々井に変わった。珍しい苗字だったのでよく覚えている。
 引っ越しの時も、凛ちゃんは「幸希ちゃんとお別れしたくないよ」と言って泣いていた。
 転校してからしばらくは手紙のやり取りをしていたのだが、中学に入った頃、突然返事が来なくなった。

 あれから十数年、いじめられっ子だった幼馴染と同姓同名のヤクザが、私の目の前に現れた――。
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