泣き虫の凛ちゃんがヤクザになっていた
 そう言えば、最近気になることがある。
 それは、おそらくヤクザ関係の人間であろう客が増えたことだ。
 しかし、特に何かされるというわけではなく、ただ商品を買って帰っていく。
 ただ一つ気になるのは、全員が私をジーッと舐め回すように見てくることだ。
 それは性的な意図のある視線というよりも、博物館で展示物を見物しているような視線だ。
 私は気になって、いつも「どうかしましたか?」と訊くのだが、みんな「何でもない」と笑ってはぐらかす。

「あー、それ、凛ちゃんと同じ反田組の組員だろうね」
 和住さんはカウンターの上に肘をついて答えた。
 あれから和住さんもこの店の常連となった。
 彼の店からここまで車で二十分は掛かるはずなのに、いつもお昼時に焼肉弁当を買ってくれる。
「なんかねー、組員の間で噂になってるらしいよ」
「噂?」
 私は小首を傾げた。
「うん。凛ちゃんの愛人が弁当屋の女店長だって」
「あい――!?」
 私は「愛人」という言葉に仰天した。
 
「凛ちゃんって、今まで全然女っ気なかったからねー。一時期ゲイ疑惑まであったくらいだもん」
「えぇ……。そんなに……」
 和住さんは凛ちゃんのことを「女っ気がない」と言っているが、私との初夜の時、寝室には避妊具があった。
 おそらく表立っていないだけで、女性経験はそれなりにあると思う。

「……で、そんな凛ちゃんに愛人ができたっていうから、みんな大騒ぎ。しかも、噂では相手が弁当屋の店長で、朝ドラのヒロインみたいな女の子だって言うんだから、みんな気になって見に来てるんだろうねー」
「は、はあ……。愛人……」
 私はやはり「愛人」という単語に引っ掛かりを覚える。
 なぜなら私は、凛ちゃんのことを「恋人」だと思っているからだ。
「愛人」と言われると、何だか不健全な関係に思えてしまう。
 しかし、ヤクザと男女の関係にあると聞くと、確かに「恋人」よりも「愛人」という呼び方のほうを連想してしまうのかもしれない。
 
 よく考えてみれば、凛ちゃんにとって私はどんな存在なのだろうか。
 凛ちゃんは私のことを「好きだ」と言ってくれているが、はっきりと「恋人」だと明言されたことはない。
 もしかして、凛ちゃんも私のことを「愛人」だと認識しているのだろうか。
 
「そんな落ち込まなくてもいいよ。あいつらが勝手に言ってるだけだから。それに、凛ちゃんはちゃんと幸希ちゃんのこと『彼女』だと思ってるはずだよ」
 私の気持ちを察したのか、和住さんはフォローしてくれた。

 すると、突然店の扉が開いて、誰かが入ってきた。
 私がその人物を確認するよりも先に、彼は和住さんの後頭部を殴った。
「――()ってぇ!?」
 和住さんは後頭部を抑えて悶絶しながら振り向く。
「何すんだよ、凛ちゃん!」
「お前こそ、ここで何やってんだよ」
 そこには、サラリーマン風のスーツ姿の凛ちゃんが眉間に皺を寄せながら立っていた。
 
 凛ちゃんはたまに店の様子を見に来てくれるのだが、その時は必ずこの格好でやって来る。
 あからさまに怖そうな見た目の人間が店に出入りしていると変な噂が立つので、それを防ぐための凛ちゃんなりの配慮らしい。
 正直、反田組の人や和住さんが出入りしている今、それは意味を成していないような気がする。

「昼飯買いに来ただけじゃん!」
「そうか。じゃあ、これ持ってさっさと帰れ。お前みたいな入れ墨だらけの男が居座ってたら、他の客がビビッて逃げるだろ。営業の邪魔だ」
 凛ちゃんはカウンターの上に置かれているビニール袋を乱暴に掴むと、それを和住さんに突き出す。
 和住さんはビニール袋を受け取ると、「ちぇー」と口を尖らせる。
 
「幸希ちゃん、またねー!」
 和住さんは無邪気な笑顔で、外へ駆け出していった。

「凛ちゃん、いきなり友達の頭殴ったらダメだよ」
「はあ?俺がいつ、あいつと友達になったんだよ」
 凛ちゃんは舌打ちをしながら、頭を掻く。

「ああ、そうだ。幸希。悪いんだが、今日は一人で先に帰ってくれないか?カシラに飲みに誘われたんだよ」
 凛ちゃんは気怠そうに話す。
 彼が酒を呑むのは珍しいので、私は驚いた。
 どうやら凛ちゃんは酒に弱いらしく、私の前では全く呑もうとしない。本人曰く、「変な酔い方をする」らしい。
 
「別にいいよ」
「急で悪いな。あの人、誘い断ると不機嫌になるんだ。メシも俺の分はいらねーから」
 凛ちゃんはそう言って、深くため息を吐く。
「なんか、乗り気じゃなさそうだね」
「目上の人間との酒の席が楽しいわけあるかよ」
 凛ちゃんはそう吐き捨てると、「じゃあ、頑張れよ」と言い残して、店を後にした。
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