泣き虫の凛ちゃんがヤクザになっていた
5話
和住さんの店で働くようになって二週間が経った。
仕事内容や個性的な客層にも、我ながらだいぶ慣れてきたような気がする。
店主の和住さんとも、あれからも変わらず良好な関係を保てている。
本日最後の予約客の会計を済ませている時、その予約客が「ねえ、お姉さん」と話しかけてきた。
客は、二十代後半くらいの赤い髪の派手な格好をした男だ。
「もう閉店だよね?この後、何か予定ある?」
男は急に馴れ馴れしく話し始める。
弁当屋で接客をしていた時も、たまにこういう客がいた。そして、対応がとても面倒臭かった。
「えーっと」
「一緒に飲みに行こうよ。いい店知ってるんだよね」
私はどうやって断ろうか考えを巡らせる。
とりあえず、彼氏がいるという体で断ろうか。
「すみません、私付き合ってる人がいるので、そういうのはちょっと……」
「えー、別にいいじゃん。そんな固いこと言わずにさー」
予想外に男が食い下がってきたので、私は仰天した。
嘘でしょ。これでも引き下がらないの?
私が焦っていると、男は急にカウンターの上に乗せている私の手を握ってきた。
「ひっ!?」
私は背筋がゾワッとして、反射的に手を引っ込める。
「おいおい、ここはそういう店じゃねぇぞー」
私が客に絡まれていることに気づいたのか、和住さんが店の奥からそう言って出てきた。
私は和住さんに向かって「助けて」と顔で訴えかける。
「何だよ。この子、和住さんの彼女か?」
「別にそういうのじゃねぇけど」
和住さんも怠そうに対応していると、和住さんは出入り口のほうを見て「あっ」みたいな顔をした。
「そうですよー、お客さぁん」
私が男のほうに再度視線を向けると、男の背後に巨大な影が見えた。
巨大な影は男の肩に手を乗せる。
「お店の人が嫌がることしちゃいけねぇなぁ」
どすを利かせた低い声で話しながら、凛ちゃんは男の顔を覗き込む。
男は凛ちゃんの顔を見るなり、真っ青になってブルブルと震え出す。
「へ……、あの……、す、すみませ……」
男は上ずった声を震わせる。
「痛い目に遭いたくなかったら、十秒以内に俺の前から消えろ」
凛ちゃんはそう言って「十、九……」と数え始める。
すると、男は脱兎のように店から飛び出していった。
しまった。お釣りを渡し損ねた。
凛ちゃんは男を見送ってから、大きく舌打ちをする。
「ありがとう、凛ちゃん」
私がお礼を言うと、凛ちゃんは一瞬照れくさそうに、はにかんだような気がした。
「でも凛ちゃん、ヤクザが一般人をあんなふうに脅すのまずいんじゃないの?」
「はあ?一般人?あいつ、ここらじゃ有名な薬の売人だぞ」
「えぇっ!?嘘!!?」
凛ちゃんに衝撃的な事実を言われ、私は悲鳴に近い声を上げた。凛ちゃんはそれを見て呆れた表情を浮かべる。
「幸希ちゃん、あいつが一般人に見えたんだったら、この店の客のほとんどが一般人に見えてるんじゃないの?」
和住さんはそう言ってゲラゲラと大笑いをした。
え?違うの?
「お前、あのままボケーッとしてたら、あいつのお客様になってたかもしれねぇぞ」
凛ちゃんにそう言われて、私は自分がかなり危ない状態だったことに気づかされた。
「うぅ……。本当にありがとう、凛ちゃん。助かったよ」
凛ちゃんは「ったく」と言って、右手で襟足を掻く。
その時、凛ちゃんの右手が少し赤く腫れていることに気づいた。
「あれ?凛ちゃん、怪我してない?」
私がそう指摘すると、凛ちゃんは自身の右手を見る。そして、「あぁ」と何かをはぐらかすような反応をして、ジャケットのポケットに右手を隠した。
すると、和住さんが「やだー、凛ちゃん、また取り立てで人殴ったのー?」と、わざとらしい口調で言い出した。
それに対して、凛ちゃんは慌てた様子で「おいバカ!」と言う。
和住さんはいたずらっ子のように、ケラケラと笑っている。
私は少し驚いて、目を丸くさせながら凛ちゃんの顔を見る。
子供の頃、同級生に殴られて泣いていた凛ちゃんが今は人を殴るようになったのか。しかも、拳が赤く腫れるほど強い力で――。
「ちょっとショックだな」と思っていると、凛ちゃんは何やら苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見てくる。
「あのな、言っとくが、向こうが暴れ始めたから、それを止めるためにしょうがなく一発殴っただけだ。正当防衛だよ」
凛ちゃんは私に向かって、耳の裏を搔きながら捲し立てる。
おそらく「一発」というのは嘘だろう。
凛ちゃんは子供の頃から、嘘を吐く時に「耳の裏を掻く」癖がある。こういうところは、昔と変わっていないのだなと思った。
でも、どうして人を殴ったことを指摘した和住さんに対してじゃなくて、私に向かってそれを言うんだ?
「あー、はいはい。分かったよ」
反論してもまた捲し立てられそうなので、私は適当に納得することにした。
「あっ、幸希ちゃん、今日はもう上がっていいよ、閉店作業は俺一人でやるから。さっき変な奴の相手させちゃったお詫びね」
和住さんはそう言って、ニッと笑った。
仕事内容や個性的な客層にも、我ながらだいぶ慣れてきたような気がする。
店主の和住さんとも、あれからも変わらず良好な関係を保てている。
本日最後の予約客の会計を済ませている時、その予約客が「ねえ、お姉さん」と話しかけてきた。
客は、二十代後半くらいの赤い髪の派手な格好をした男だ。
「もう閉店だよね?この後、何か予定ある?」
男は急に馴れ馴れしく話し始める。
弁当屋で接客をしていた時も、たまにこういう客がいた。そして、対応がとても面倒臭かった。
「えーっと」
「一緒に飲みに行こうよ。いい店知ってるんだよね」
私はどうやって断ろうか考えを巡らせる。
とりあえず、彼氏がいるという体で断ろうか。
「すみません、私付き合ってる人がいるので、そういうのはちょっと……」
「えー、別にいいじゃん。そんな固いこと言わずにさー」
予想外に男が食い下がってきたので、私は仰天した。
嘘でしょ。これでも引き下がらないの?
私が焦っていると、男は急にカウンターの上に乗せている私の手を握ってきた。
「ひっ!?」
私は背筋がゾワッとして、反射的に手を引っ込める。
「おいおい、ここはそういう店じゃねぇぞー」
私が客に絡まれていることに気づいたのか、和住さんが店の奥からそう言って出てきた。
私は和住さんに向かって「助けて」と顔で訴えかける。
「何だよ。この子、和住さんの彼女か?」
「別にそういうのじゃねぇけど」
和住さんも怠そうに対応していると、和住さんは出入り口のほうを見て「あっ」みたいな顔をした。
「そうですよー、お客さぁん」
私が男のほうに再度視線を向けると、男の背後に巨大な影が見えた。
巨大な影は男の肩に手を乗せる。
「お店の人が嫌がることしちゃいけねぇなぁ」
どすを利かせた低い声で話しながら、凛ちゃんは男の顔を覗き込む。
男は凛ちゃんの顔を見るなり、真っ青になってブルブルと震え出す。
「へ……、あの……、す、すみませ……」
男は上ずった声を震わせる。
「痛い目に遭いたくなかったら、十秒以内に俺の前から消えろ」
凛ちゃんはそう言って「十、九……」と数え始める。
すると、男は脱兎のように店から飛び出していった。
しまった。お釣りを渡し損ねた。
凛ちゃんは男を見送ってから、大きく舌打ちをする。
「ありがとう、凛ちゃん」
私がお礼を言うと、凛ちゃんは一瞬照れくさそうに、はにかんだような気がした。
「でも凛ちゃん、ヤクザが一般人をあんなふうに脅すのまずいんじゃないの?」
「はあ?一般人?あいつ、ここらじゃ有名な薬の売人だぞ」
「えぇっ!?嘘!!?」
凛ちゃんに衝撃的な事実を言われ、私は悲鳴に近い声を上げた。凛ちゃんはそれを見て呆れた表情を浮かべる。
「幸希ちゃん、あいつが一般人に見えたんだったら、この店の客のほとんどが一般人に見えてるんじゃないの?」
和住さんはそう言ってゲラゲラと大笑いをした。
え?違うの?
「お前、あのままボケーッとしてたら、あいつのお客様になってたかもしれねぇぞ」
凛ちゃんにそう言われて、私は自分がかなり危ない状態だったことに気づかされた。
「うぅ……。本当にありがとう、凛ちゃん。助かったよ」
凛ちゃんは「ったく」と言って、右手で襟足を掻く。
その時、凛ちゃんの右手が少し赤く腫れていることに気づいた。
「あれ?凛ちゃん、怪我してない?」
私がそう指摘すると、凛ちゃんは自身の右手を見る。そして、「あぁ」と何かをはぐらかすような反応をして、ジャケットのポケットに右手を隠した。
すると、和住さんが「やだー、凛ちゃん、また取り立てで人殴ったのー?」と、わざとらしい口調で言い出した。
それに対して、凛ちゃんは慌てた様子で「おいバカ!」と言う。
和住さんはいたずらっ子のように、ケラケラと笑っている。
私は少し驚いて、目を丸くさせながら凛ちゃんの顔を見る。
子供の頃、同級生に殴られて泣いていた凛ちゃんが今は人を殴るようになったのか。しかも、拳が赤く腫れるほど強い力で――。
「ちょっとショックだな」と思っていると、凛ちゃんは何やら苦虫を噛み潰したような顔でこちらを見てくる。
「あのな、言っとくが、向こうが暴れ始めたから、それを止めるためにしょうがなく一発殴っただけだ。正当防衛だよ」
凛ちゃんは私に向かって、耳の裏を搔きながら捲し立てる。
おそらく「一発」というのは嘘だろう。
凛ちゃんは子供の頃から、嘘を吐く時に「耳の裏を掻く」癖がある。こういうところは、昔と変わっていないのだなと思った。
でも、どうして人を殴ったことを指摘した和住さんに対してじゃなくて、私に向かってそれを言うんだ?
「あー、はいはい。分かったよ」
反論してもまた捲し立てられそうなので、私は適当に納得することにした。
「あっ、幸希ちゃん、今日はもう上がっていいよ、閉店作業は俺一人でやるから。さっき変な奴の相手させちゃったお詫びね」
和住さんはそう言って、ニッと笑った。