またねに甘い蜜を塗る
あの時言えなかったこと
「コユキ!」

小雪が自分の両親を伴って空港の到着ロビーでキョロキョロしていると、懐かしい彼の声が聞こえて思わず駆け寄って彼の胸に飛び込んだ。鳶色の巻き毛も、灰青の瞳も、低く心地よい声も、小雪を抱き寄せる逞しい腕も、全てが以前と同じだった。

「トニー! 久しぶり! 来てくれてありがとう!」

「コユキ……! 見ないうちに美しくなったね! コユキが迎えに来てくれるなんて夢みたいだ……!」

トニーはひとしきり彼女を抱き締めていたが、生暖かい二つの視線を感じ取って一度彼女を離す。そして小雪の両親とも抱擁を交わし、感謝の言葉を述べていた。この後はトニーが持っていたスーツケースを明日の宿泊先に届ける手配をしてから、小雪の家に一泊する手筈になっている。小雪の家までの道中でトニーは両親からの質問攻めに笑顔で応え、着いてからは一緒に皆で昼食を食べ、イギリスでの話に花を咲かせていた。その後は小雪の両親は二人で外出してしまい、リビングには小雪とトニーだけが残されている。

「ねえ、トニー。聞きたいことがあるの」

トニーの淹れてくれた紅茶を一口飲んでから、小雪は意を決して宣言する。只事に見えずにトニーはやや緊張して顔が強張ったが、彼女の言葉をひたすら待った。

「トニー、帰る前の夜に教えてくれた言葉、覚えてる?」

「もちろん。またねを意味するフランス語でしょ?」

ニコニコしながら告げる彼に、小雪はぶんぶんと首を横に振る。

「トニー、それならまたね(ア、ビアントゥ)って言わないと」

トニーの表情が明らかに強張った。目を左右にせわしなく動かしていた彼は、ようやく言葉を絞り出す。

「……驚いた。コユキ、いつの間にフランス語が分かるようになったの」

「大学は英語以外に他の言語が学べるの。私は迷わずフランス語にしたわ。フランス語はトニーのルーツの一つだから、私も学んでみたかったの。まだRの発音もうまくできない初心者だけどね」

「……っ!」

盲点だった。フランス語が英語ほどメジャーではない日本において、フランス語を独学で学ぼうとするのは困難だと思い込んで伝えたのが裏目に出てしまい、トニーは激しく狼狽してしまう。初心者とはいえ、あの時に告げた言葉を理解しているのなら、嘘をついたのではないかと彼女から糾弾されるのは目に見えていた。
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