またねに甘い蜜を塗る
「ボクだって信じられないさ。今日イギリスに帰国だなんて……コユキとアニメとか推しとか、色んな話が面と向かってできなくなるなんて……フェアエルパーティー(お別れ会)をしてもらってこんなことを言うのも変かもしれないけど」

フランス人の祖母を持つトニーは小雪の通う高校へ留学生として去年の8月にイギリスからやってきて、小雪の家にホームステイをしている。日本のアニメを通訳無しで理解したくて日本語を学びたいのだと、灰青の瞳を輝かせて語っていたのが小雪の記憶を鮮やかに彩っていた。

(トニーとは好きなアニメも……推しも一緒で、たくさん盛り上がったな。同じスマホゲームやって対戦とかもしたっけ)

趣味が合うと分かって飛び上がるほど喜んだのが昨日のことのように小雪には感じられる。彼女が少しずつ、二人で好きなアニメを見ながら、トニーに日常会話から日本語を教えていったため、若者言葉をいち早く覚えた彼はあっという間にクラスに溶け込んで人気者になった。笑顔を絶やさない彼は常にクラスの輪の中心におり、溶け込めていない生徒にも分け隔てなく優しく接していた。
そんな彼に徐々に惹かれていった小雪は、少しでもトニーの祖国の言葉を話したくて、英語が赤点スレスレになっていたにも関わらず、トニーに頼み込んで英語を教えてもらっていた。最初の4ヶ月こそ中々結果が出なかったものの、彼は辛抱強く小雪に教えたために、今やクラスで5本指に入る成績を修めていた。来年に大学受験を控えている彼女としては、いくら彼に感謝しても足りないくらいである。

「私だって……トニーとアニメや推しの話が今みたいにできなくなるのは寂しいよ……言ってもどうにもならないと思うけど、帰らないでほしいなって思うくらいには。トニーが来てから1年経ってるなんて信じたくない」

トニーは小雪のストレートな言葉を受けてさらに破顔する。

「同じ気持ちでボクは嬉しいよ。コユキは頑張り屋さんだからきっとジュケンだって上手く行くとおもうな。真面目にコツコツできるコユキならきっと大丈夫」

小雪は曖昧に笑って感謝の言葉を述べる。蛍光灯が立てる小さな音だけがリビングをしばし支配していたが、その沈黙を破ったのはトニーだった。

「そうだ、ボク、コユキに言ってなかったことがあるんだ」

彼の灰青色を小雪は凝視していたが、次の言葉で黒い睫毛を大きく開いた。

「好きだよ、コユキ。慣れない日本語を根気よく教えてくれてありがとう。おかげで好きなアニメも漫画も増えてボクは幸せだ。教科書の日本語よりも生きた日本語を教えてくれて感謝してる」
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