ハイスペミュージシャンは女神(ミューズ)を手放さない!
久しぶりの逢瀬
先輩の推し活騒ぎから2週間。ふたりはなかなか時間が合わず、メッセージを送り合うだけの日々を過ごしていた。隆介に美味しかった食事や歩道に咲いていたタンポポの写真を送ると、いいねと軽く返事をくれる。返信が来るスピードは、その日によってまちまちだけれど。
メッセージアプリを開くと、新着メッセージが一通届いている。どうやら火曜日は時間を作れるかもしれないらしい。「お昼持っていくので一緒に食べませんか?」と送ると、珍しくすぐに返事が返ってきた。時間が解らないから、部屋にいてくれれば良いということらしい。
せっかくなら食材を買っていって、調理しながら待たせてもらおう。先日のスーパーの特殊な野菜もいいけれど、一般的な野菜だって十分美味しい。表参道駅の近くのスーパーを調べ、何を買って何を作るか考えるだけでも、雫は幸せに思えた。
「嫌いなものはありますか?」
「酸っぱいのは苦手かも。あと、料理なのに甘いやつも」
彼からの素直なメッセージが可愛くて、雫は思わず笑ってしまった。なんで苦手なのかは当日聞くとしても、案外苦手なものがあると思うとおかしくて、今回はそれを除いて献立を考えてあげようと思えた。
「筑前煮にサヤエンドウ入れて、卵焼きと、焼き鮭と、あとは……サラダくらいで足りるかな」
せっかく作るならお弁当に入れるような献立にしよう。冷蔵庫に保存しておいても、数日食べられるもの。得意というわけでもないけれど、レシピサイトを見て再現することくらいはできる。あまり張り切ると隆介も困るかもしれないからと、簡単で美味しいものをいくつか見繕った。
せっかくだからとあの黒革の時計を取り出してみる。文字盤中央に刻まれたクローバーのような十字架のマークには見覚えがあった。時計の世界のハイブランドのなかでも、アッパー層に当たる名品。少し傷のついた銀色のフレームに、よく使い込んで馴染み、丸みのついた黒ベルト。1時間ごとに刻まれている装飾は至ってシンプルな細い線だけで、高級時計にありがちな情報の多い文字盤とはイメージがかけ離れている。男性者でも女性らしい雰囲気を感じられるのは、このさっぱりとした文字盤からだろうか。
つけて欲しいと言っていたことを思い出して試しに着けてみると、彼がいつもつけていたと思われる穴ではとても大きい。それよりもずっと奥の一番小さいところでベルトを閉めることで、若干腕よりも大きい感じはするものの、正しい位置でつけることができた。思っていた通り、時計はもう随分前に止まってしまっていたようで、時刻は10時過ぎを指して止まっていたけれど、そのまま着けていくことにした。
◇◇◇
雫が初めて合鍵を使うと、部屋では隆介と以前展示会で隆介について教えてくれた男性が、タバコを吸いながら何やら話をしている。あそこのフレーズはもっと囁くほうがいいとか、ベースよりもシンセで表現した方がいいとか、わかるようでわからない専門用語が飛び交っている。咥えタバコの状態で、身振り手振りしながら相手に何かを説明している彼に見惚れそうになったけれど、気付かれる前に声をかけねばと思い出して声をかけた。
「あのっ!お邪魔、してます……!」
「おおー!こんにちは!お久しぶりです」
「いらっしゃい。……雫、こっちきて」
「……?」
窓辺で吸っていた紙タバコを灰皿で消して、隆介は雫を呼んだ。雫の持っていた紙袋を奪ってキッチンに置くと、後ろからそのまま覆い被さるように抱きつかれた。彼の顔が肩口に降りてきて、雫は彼が自分に甘えてきているのだと気付いた。
「隆介さん、久しぶりですね」
「ん。もっと早く会いたかった」
「ふふふ。私もです」
「お疲れ様です」と声をかけて頭を撫でると、「ありがと」と小さな声が耳元で聞こえる。目線を下へ下ろしたことで気づいたのか、「腕時計してきてくれたんだね」と明るい声がした。体の横にぶらんと垂れ下がっている彼の手首に手を伸ばして、彼の腕に抱きしめさせるように自分の前で交差させると、腕に力が入って思い切り抱きしめられた。
「はあ……雫だ。本物だ」
「はい……本物ですよっ」
「ねー多田、そろそろ帰って」
「えっ早くね?俺のこと、紹介してくんねーの?」
「うーん……雫、あれ、多田。俺のマネージャー兼社長」
「あ!ども!多田です!近衛の大学の同期です!」
「あっこんにちは、初めまして。白波瀬 雫です。オーストリアで隆介さんと出会って、お付き合いさせていただいてます」
お互いにペコペコと頭を下げる時間が続く。もういいから早く帰ってと隆介が多田に指示するまでの1分ほど、ふたりはにっこりと笑ってはぺこっと頭を下げた。
「さっき話してたフレーズは修正して夜メールする」
「ん、了解。白波瀬さん、こいつほっとくとすぐ仕事するんで、少し休憩させてください。お願いします」
「あっはい、わかりました!頑張ります!」
雫と多田はこの一言だけで、今回の互いの目的を完全に理解した。どうやら隆介は一度乗ってしまうとしばらく仕事にのめり込んでしまうタイプのよう。雫が多田とアイコンタクトを取ろうとすると、隆介は雫をくるりと反対に向けて、「帰れ」と多田の退出を促した。
「今の隆介さんの気分はどんな感じですか?」
「まぁそこそこ乗ってて、可能なら今も修正したい……ではあるね」
「じゃあ、ご飯できるまではお仕事してますか?」
「んーそうしようかな」
「今日、結構買い込んできちゃって……30分くらいはかかるので、出来上がる頃に呼びますね!」
「助かる。皿はそこの棚に貰い物が色々あるから、好きなの使って」
「はーい。ありがとうございます」
隆介は、楽しみだと呟いて、雫の頬に小さくキスをした。んーっ!と一度大きく伸びをして、ダイニングテーブルでラップトップを開く。ヘッドフォンを左耳に当て、右手はキーボードとマウスを行ったり来たり。いつも雫を見つめる甘い瞳が、一瞬でキリリと鋭い目つきに変わっている。
自分の世界には全くない仕事だなと思いながら、雫はバッグからエプロンを取り出してさっと身に着ける。野菜もお肉も近くのスーパーで買った普通の食材。卵は4個で1パックの小さいタイプ。ここへ残していっても傷んでしまうだろうから、無駄のない量だけを選んで買ってきた。
「ここへ住み始めてからほとんど使っていない」というコンロは確かに油汚れひとつなく、本当に料理をしないんだなと納得してしまった。埃は被っていないのになと思って、ふと周囲に目をやる。男性の一人暮らしだというのにどこもかしこもとても綺麗だ。隅々まで綺麗にしてくれるハウスクリーニング的な人を雇っているのかもしれない。
綺麗なキッチンを使える機会なんてそう多くはない。新築のお家に引っ越したような、くすぐったい気持ちが沸々とわいた。付き合うという話になってまだ1ヶ月程度。浮かれすぎなことくらいは自分でも理解しているけれど、いつかそんな日が来たらいい。
いくつか戸棚を開いて、これまた新品同様のまな板と包丁を見つけた。隆介は道具には凝りたいタイプなのか、ダマスカス鋼の模様が美しい三徳包丁。食器売り場でよく見かけるけれど、使ったことはない。どこまでも未知のものがあって、ワクワクさせられっぱなし。楽しく調理できるキッチンなんていいなと思いながら食事を用意すれば、多いかなと思っていた5品ですらあっという間の完成だった。
「……美味しい匂いがするね」
「あっ隆介さん。そろそろ、器に盛って行こうかと思ってたところでした」
「そっか。その前に、雫にちょっかい出そうと思って来たんだけど……残念」
「え……っ?!」
不敵な笑みで近づいてきた隆介は後ろから雫を抱き寄せ、ブラウスの中へ手を入れてきた。雫の体温よりも少しだけひんやりとした指先が脇腹を撫でると、肌の上を走るように鳥肌が立つ。
「きゃ……っん!」
「俺の家でエプロンして、髪あげて、新婚さんみたいだ」
「っふふ。実は……私もそう思ってました」
「奇遇だね?じゃあ俺も奥さんを可愛がってあげないと」
簡単に侵入されてしまった服の中で、隆介の手が少し汗ばんだ雫の体をまさぐる。片手でホックを外して、ふんわりと控えめに主張するやわはだの先端を指先で弾いた。一瞬の快感で雫の心を掴んだかと思えば、今度はあえて先端に触れないつもりなのか、その輪郭ばかりを刺激する。隆介の腕の中でぞわぞわと体を細かく震わせる雫は、愛玩動物にでもなったような気持ちだ。
「あっん……!」
「ほら、捕まってないと危ないよ」
隆介は軽く笑いながらキッチンの淵へ雫の両手を誘導し、手をつかせた。サテン地の細かいプリーツスカートを捲し上げて、水色のレースで覆われた雫の大切なところをゆっくりと撫で上げた。脚の付け根に竜介の指先が触れるたび、下腹部に力が入りヒクヒクと動いてしまう。
「なんでそんなにビクビクしてるの?」
「それはっ……隆介さんがいやらしい手つきで触るから」
「いやらしく感じてるのは雫の体じゃない?」
「隆介さんが、そうさせてるん……ですっ」
"以前の恋人に言われた言葉が事実ではなかった"と完全に理解できてしまうほど、隆介との時間は甘く濃密だ。彼の指や唇の触れるところ、全てが甘い快感を生む。
小さな波紋が広がって大きな波になるように、隆介の指先から与えられる刺激のひとつひとつが雫を徐々に熱く昂らせた。