ハイスペミュージシャンは女神(ミューズ)を手放さない!
2度目の初めまして
服に派手な装飾はなくとも、長身で明らかに質のいいものを身につけている男性が、女性陣の目線を引くのは当然だ。雫が隆介に手を引かれてカフェを出ると、すれ違うたびに「今の人かっこいい……芸能人かな」「モデルさんみたいねぇ」という声が四方八方から聞こえた。
1歩前を歩く彼は、まるでCM撮影中のよう。対して自分はといえば、特にモテるわけでもない、身長も体型も平均値でファッションセンスも普通の会社員。こんな平々凡々な自分と手を繋いで目立ってしまっていいのかと、今更少し不安になる。気にしてほんの少し手を引いてみたけれど、龍介に手を離す気は更々無いようで、むしろ最初よりもしっかりと握られてしまった。
「離れないって言ったでしょ」と得意そうに笑った隆介は結局手を繋いだまま、大通りで流しのタクシーを捕まえて、「六本木通りから高樹町を曲がって骨董通りへ」と慣れたように行き先を指示した。
「ごめん、1本だけ電話していい?」
「あ、はい、もちろん」
(流されてタクシー乗っちゃったけど、会場の撤収は大丈夫なのかな)
電話の相手はすぐに電話に出たようで、隆介は特に心配するそぶりも見せずに話を続けた。
「ごめん、多田。今日俺無理だわ。適当に包んで着払いで送って。……送料?着払いでいい。うん、いや、送って。ありがとう、助かる。よろしく」
「……あの撤収ですよね?手伝わなくて大丈夫、ですか?」
「あ、やっぱり知ってた?」
「えっと、実はその展示会見て、隆介さんのこと探して……」
彼がカメラを大事にしていたことは知っているし、人づてで後から彼に知らされるよりは、今自分で伝えたほうがいい。「会場にいた男性に教えてもらってカフェへ向かった」と素直に白状すると、隆介はくくくと笑う。
「雫の行動力には本当、驚かされるな。でもまぁ大丈夫。雫より大事なものなんてない」
まるで当たり前のようにさらっと言うものだから、受け取り方に困ってしまう。小一時間前に着替えた時にはまだ、こんな展開になるとは全く思っていなかったのに、人生は不思議なことの連続だ。
「あ、えと、嬉しい……です?」
「なんで疑問形なの?俺は、再会できてこんなに嬉しいのに」
隆介はぐいと雫の肩を自分のほうへと寄せた。そのまま距離を詰められて、どちらともなく顔が近付いていく。流石の隆介も、雫を焦らすような余裕などないような目をしている。雫の前髪が隆介の顔にかかるほどの距離まで来た瞬間から、ふたりは何度も互いに求め合うように口付け合った。隆介のキスは緩急があって、すぐに気分が高揚する。素直じゃない自分を暴かれるような、彼の優位性を理解らされるような、少し強気なキス。
「はぁ……まだ夢みたいだ」
「夢ですか?」
「こうやって雫を連れ帰る瞬間を何度も夢に見ては、一緒に日本へ帰らなかったことを後悔してた」
「これが現実だとは思えないな」と笑いながら、隆介は終始雫の頭を撫でたり頬を包み込んだり、丁寧に存在を確かめるように触れた。
退勤時間の骨董通りは、恐ろしいほど渋滞をする。
運転手が「歩いた方が早そうだ」というので、タクシーを降りて彼の歩くままについていく。隆介も気持ちが急いでいるのか、心なしか歩調が早い。2〜3分歩いて何本目かの細道を左に曲がり、コンクリ打ちっぱなしの4階建へ案内された。
エントランスの先には、黒く艶やかな外車が停まっている。銀色の丸が4つ並んだエンブレムは、雫の店の顧客様もよく乗っている有名なメーカーだ。展示しているのかとも思ったけれど、入ってきた方とは逆の壁にシャッターが見えた。
「雫、こっち」
雫が車に気を取られていることに気付いたのか、隆介は一瞬離れていた雫の手を引いてエレベーターに乗り込んだ。行先ボタンはなく、画面表示画面だけの不思議なエレベーター。彼が鍵穴に特殊な鍵を刺して回すと行き先表示が4階に変わって、緩やかな上昇負荷を全身に感じる。
「オフィス兼自宅だから散らかってるんだけど……どうぞ」
フロア到着を知らせるベルがなり、ドアがゆっくりと開く。エレベータードアの先は、もうリビングだ。
部屋は土間続きで、窓ガラスから漏れる屋外の照明光がコンクリに反射し、部屋の中が東京の夜景に似た色で輝いていた。雫は6畳の1Rの家賃でも切り詰めてなんとか生活しているというのに、東京でこんな部屋に住める人がいるなんてと驚愕した。
雫は自分の好きになった彼を信じようと思って着いてきた。けれどこのビルはいくらなんでもお洒落すぎる。何か危ない仕事をしている人かもしれないと、心の中でまた少し警戒を強めた。
とはいえ、ここまで雫の予想を上回ってくると、"感嘆の声をあげる"という、彼も見飽きただろう反応をすることしかできない。見慣れていても面白いものなのか、荷物をさっと片付けた隆介は、にこやかに雫の方へ近づいてきた。ジャケットを脱いで腕まくりをしている彼に街のネオンが反射して、彼の髪が虹色に輝いてみえる。
「会いたかった、雫」
雫だってもちろん会いたかったし、触れられる距離にいることが嬉しいと感じてしまうほど、恋しく思っていた。
それでもここで絆されてしまっては、自分の中でモヤモヤしている感情をもうしばらく持ち続けることになる。腰を掴んで抱き寄せるように顔を近づけてきた彼に流されてしまわないように、雫は隆介の胸元に両手を置いて精一杯の抵抗をしてみた。
「なんでそんな可愛いことしてるの?何かあった?」
「あの、私達、まだ知らないことの方が多いから……もう1回、初めましてからしませんか」
腰を両手で抱かれているから無理に離れることは出来ない。けれど、真正面にある彼の顔を見つめるくらいなら雫にでも出来た。
「……その顔されると弱いんだよなぁ俺。いいよ、しようか」
「私は白波瀬 雫、26歳で、東西百貨店の受付案内をしてます」
「なるほど。……俺は近衛 隆介、36。本業は音楽関連。写真は趣味で始めて、時々ああやって展示会に出したりしてる」
「へぇ……てっきりカメラマンかと思ってました。もしくは、危ない仕事とか……」
「なにその展開、面白い。危ない仕事って?」
「なんかこう……夜のお仕事的な……?」
「まぁ夜の方が捗る仕事ではあるけど、ちょっと惜しいね。……雫が受付案内っていうのは意外なようで、わかる気もするな」
オーストリアの夜と同じように、くっついたまま話す時間。深くないけれど、聞いたことは答えてくれる。この部屋へ来るまでの緊張や驚きが、少しずつ和らいでいく。笑ったり、頷いたり、ふたりは空いた時間を埋めるように他愛無い話を続けた。
「そういえば、なんであんな名刺だったんですか……?」
「名刺?あぁ……基本、他人には渡さないから。知り合いヅラされるの嫌いでさ。変な話だよね」
隆介の一般人とは言い難い端正な顔立ち、モデルのようなスタイル。オーストリアで借りた服も今日着ている服も上品で、普通のサラリーマンとは思えない立地の自宅。そこへ来て"知り合いヅラ"だなんて言葉が出てくる人生……ド平凡な生活をしてきた雫には信じられないような経験をしてきたのかもしれない。
「変、じゃない、とは思いますけど……」
「けど?」
「私なら、もう少し気になるけどなーって」
「ふーん。じゃああの時も、俺のこともっと知りたいって思ってくれてたんだ?」
一般的なことを言ったはずなのに、隆介は随分ご機嫌な様子だ。隆介の部屋へ来て、1時間ほどが経っていただろうか。「じゃあその続きはこっちで」と耳元で呟いた彼は、抱きしめたような体勢からそのまま雫のお尻の下で手を組んで、雫を持ち上げた。
「きゃっ」
「そのまま肩に捕まってて」
向かったのは、ただ寝ることに集中させるようなシンプルな部屋。
枕もシーツも毛布も、全てがダークグレーで統一されたベッドがひとつ。正方形に見える大きなマットレスの横にはサイドテーブルとランプがあるだけ。壁の上部には横に細長い換気用の窓が並んでいる。
雫をベッドに寝かせた隆介は、雫に覆い被さるように近づいてきた。1秒ほど見つめ合った後、呼吸を忘れるほどのキスをしたり、顕になった雫の耳を撫でたり。薄明かりの中で響く音が、ふたりの五感を刺激する。
「とろっとろのその顔、たまんないな。あれから、誰にも見せてない?」
「むしろ、隆介さんしか、知らないと思います……」
「よかった。じゃなきゃ嫉妬で気が狂いそうだよ」
「隆介さんでも嫉妬するんですね」
「雫、なんだと思ってんの、俺のこと」
「だって……好きだって言ったくせに置いてくような人ですもん」
着飾った隆介があまり見えなくなったことで、雫には冗談を言う余裕が生まれた。オーストリアの時と何も変わらない自然体のままで、雫に接してくれる人が目の前にいるということだけが、雫の求めている"隆介との時間"だ。
「それ言う?じゃあ、俺の好きな人は白波瀬 雫さんで、好きなところは雫の行動力とくしゃっとする笑顔、他人にも必死になってくれるとこ、あと……ふt」
「あの、もう、いい……です」
隆介は止めるまでずっと好きなところを言い続けそうで、照れの止まらない雫は慌てて彼の口元に手をあてた。
「俺多分、あと1時間は余裕で言えるよ」
「私の身が持たないので……大丈夫です」
「そう?まぁ、そのまま元気で居させる気はないけど」
にっこりと笑った隆介の手によって、雫のワンピースの首元のリボンはするりと外された。向かい合っているまま後ろのジップを下げられている音がする。太ももを撫でる手はストッキングの上を何度も滑り、くすぐったさと快感の間を行き来した。
「半年分の愛、証明させてよ」
「っ待って、私仕事終わりで汗かいてるから……シャワー、浴びたいです」
「だめ。待てない」
少し強引に抱き寄せられてしまった場合、ワンピースの抵抗力が0に近いことは雫にもわかる。割と安価でも可愛くお気に入りだったその布は、抵抗虚しく地面へと静かに落ちていった。デートするとも思っていなかった下着はシンプルなブラレットで、可愛げなんて全くない。けれど急に思い出して恥ずかしくなり胸を隠したところで、それはほんの気休めにもならなかった。
隆介の首に手を回すように言われて素直に従えば、いつの間にか雫の身を守るべき布たちは全てどこかへ去っていた。身に纏うもののない雫への容赦ないキスの嵐の攻撃力は凄まじく、全身の力はゆるく抜けていく。
「ん、ちゃんと力抜けてえらいね、雫」
褒められるようなことじゃないはずなのに、雫は隆介に褒められるとつい嬉しくなった。心をくすぐられるような、単純な恥ずかしさとも違う感情が芽生える。まだ何をしたというわけでもないのに、雫の視線の先はもうぼんやりとしていた。タートルネックを脱いだ隆介の程よい筋肉質な体が、自分を抱きしめているという事実だけで、雫の体は熱く震えそうなほどに喜んでいた。
1歩前を歩く彼は、まるでCM撮影中のよう。対して自分はといえば、特にモテるわけでもない、身長も体型も平均値でファッションセンスも普通の会社員。こんな平々凡々な自分と手を繋いで目立ってしまっていいのかと、今更少し不安になる。気にしてほんの少し手を引いてみたけれど、龍介に手を離す気は更々無いようで、むしろ最初よりもしっかりと握られてしまった。
「離れないって言ったでしょ」と得意そうに笑った隆介は結局手を繋いだまま、大通りで流しのタクシーを捕まえて、「六本木通りから高樹町を曲がって骨董通りへ」と慣れたように行き先を指示した。
「ごめん、1本だけ電話していい?」
「あ、はい、もちろん」
(流されてタクシー乗っちゃったけど、会場の撤収は大丈夫なのかな)
電話の相手はすぐに電話に出たようで、隆介は特に心配するそぶりも見せずに話を続けた。
「ごめん、多田。今日俺無理だわ。適当に包んで着払いで送って。……送料?着払いでいい。うん、いや、送って。ありがとう、助かる。よろしく」
「……あの撤収ですよね?手伝わなくて大丈夫、ですか?」
「あ、やっぱり知ってた?」
「えっと、実はその展示会見て、隆介さんのこと探して……」
彼がカメラを大事にしていたことは知っているし、人づてで後から彼に知らされるよりは、今自分で伝えたほうがいい。「会場にいた男性に教えてもらってカフェへ向かった」と素直に白状すると、隆介はくくくと笑う。
「雫の行動力には本当、驚かされるな。でもまぁ大丈夫。雫より大事なものなんてない」
まるで当たり前のようにさらっと言うものだから、受け取り方に困ってしまう。小一時間前に着替えた時にはまだ、こんな展開になるとは全く思っていなかったのに、人生は不思議なことの連続だ。
「あ、えと、嬉しい……です?」
「なんで疑問形なの?俺は、再会できてこんなに嬉しいのに」
隆介はぐいと雫の肩を自分のほうへと寄せた。そのまま距離を詰められて、どちらともなく顔が近付いていく。流石の隆介も、雫を焦らすような余裕などないような目をしている。雫の前髪が隆介の顔にかかるほどの距離まで来た瞬間から、ふたりは何度も互いに求め合うように口付け合った。隆介のキスは緩急があって、すぐに気分が高揚する。素直じゃない自分を暴かれるような、彼の優位性を理解らされるような、少し強気なキス。
「はぁ……まだ夢みたいだ」
「夢ですか?」
「こうやって雫を連れ帰る瞬間を何度も夢に見ては、一緒に日本へ帰らなかったことを後悔してた」
「これが現実だとは思えないな」と笑いながら、隆介は終始雫の頭を撫でたり頬を包み込んだり、丁寧に存在を確かめるように触れた。
退勤時間の骨董通りは、恐ろしいほど渋滞をする。
運転手が「歩いた方が早そうだ」というので、タクシーを降りて彼の歩くままについていく。隆介も気持ちが急いでいるのか、心なしか歩調が早い。2〜3分歩いて何本目かの細道を左に曲がり、コンクリ打ちっぱなしの4階建へ案内された。
エントランスの先には、黒く艶やかな外車が停まっている。銀色の丸が4つ並んだエンブレムは、雫の店の顧客様もよく乗っている有名なメーカーだ。展示しているのかとも思ったけれど、入ってきた方とは逆の壁にシャッターが見えた。
「雫、こっち」
雫が車に気を取られていることに気付いたのか、隆介は一瞬離れていた雫の手を引いてエレベーターに乗り込んだ。行先ボタンはなく、画面表示画面だけの不思議なエレベーター。彼が鍵穴に特殊な鍵を刺して回すと行き先表示が4階に変わって、緩やかな上昇負荷を全身に感じる。
「オフィス兼自宅だから散らかってるんだけど……どうぞ」
フロア到着を知らせるベルがなり、ドアがゆっくりと開く。エレベータードアの先は、もうリビングだ。
部屋は土間続きで、窓ガラスから漏れる屋外の照明光がコンクリに反射し、部屋の中が東京の夜景に似た色で輝いていた。雫は6畳の1Rの家賃でも切り詰めてなんとか生活しているというのに、東京でこんな部屋に住める人がいるなんてと驚愕した。
雫は自分の好きになった彼を信じようと思って着いてきた。けれどこのビルはいくらなんでもお洒落すぎる。何か危ない仕事をしている人かもしれないと、心の中でまた少し警戒を強めた。
とはいえ、ここまで雫の予想を上回ってくると、"感嘆の声をあげる"という、彼も見飽きただろう反応をすることしかできない。見慣れていても面白いものなのか、荷物をさっと片付けた隆介は、にこやかに雫の方へ近づいてきた。ジャケットを脱いで腕まくりをしている彼に街のネオンが反射して、彼の髪が虹色に輝いてみえる。
「会いたかった、雫」
雫だってもちろん会いたかったし、触れられる距離にいることが嬉しいと感じてしまうほど、恋しく思っていた。
それでもここで絆されてしまっては、自分の中でモヤモヤしている感情をもうしばらく持ち続けることになる。腰を掴んで抱き寄せるように顔を近づけてきた彼に流されてしまわないように、雫は隆介の胸元に両手を置いて精一杯の抵抗をしてみた。
「なんでそんな可愛いことしてるの?何かあった?」
「あの、私達、まだ知らないことの方が多いから……もう1回、初めましてからしませんか」
腰を両手で抱かれているから無理に離れることは出来ない。けれど、真正面にある彼の顔を見つめるくらいなら雫にでも出来た。
「……その顔されると弱いんだよなぁ俺。いいよ、しようか」
「私は白波瀬 雫、26歳で、東西百貨店の受付案内をしてます」
「なるほど。……俺は近衛 隆介、36。本業は音楽関連。写真は趣味で始めて、時々ああやって展示会に出したりしてる」
「へぇ……てっきりカメラマンかと思ってました。もしくは、危ない仕事とか……」
「なにその展開、面白い。危ない仕事って?」
「なんかこう……夜のお仕事的な……?」
「まぁ夜の方が捗る仕事ではあるけど、ちょっと惜しいね。……雫が受付案内っていうのは意外なようで、わかる気もするな」
オーストリアの夜と同じように、くっついたまま話す時間。深くないけれど、聞いたことは答えてくれる。この部屋へ来るまでの緊張や驚きが、少しずつ和らいでいく。笑ったり、頷いたり、ふたりは空いた時間を埋めるように他愛無い話を続けた。
「そういえば、なんであんな名刺だったんですか……?」
「名刺?あぁ……基本、他人には渡さないから。知り合いヅラされるの嫌いでさ。変な話だよね」
隆介の一般人とは言い難い端正な顔立ち、モデルのようなスタイル。オーストリアで借りた服も今日着ている服も上品で、普通のサラリーマンとは思えない立地の自宅。そこへ来て"知り合いヅラ"だなんて言葉が出てくる人生……ド平凡な生活をしてきた雫には信じられないような経験をしてきたのかもしれない。
「変、じゃない、とは思いますけど……」
「けど?」
「私なら、もう少し気になるけどなーって」
「ふーん。じゃああの時も、俺のこともっと知りたいって思ってくれてたんだ?」
一般的なことを言ったはずなのに、隆介は随分ご機嫌な様子だ。隆介の部屋へ来て、1時間ほどが経っていただろうか。「じゃあその続きはこっちで」と耳元で呟いた彼は、抱きしめたような体勢からそのまま雫のお尻の下で手を組んで、雫を持ち上げた。
「きゃっ」
「そのまま肩に捕まってて」
向かったのは、ただ寝ることに集中させるようなシンプルな部屋。
枕もシーツも毛布も、全てがダークグレーで統一されたベッドがひとつ。正方形に見える大きなマットレスの横にはサイドテーブルとランプがあるだけ。壁の上部には横に細長い換気用の窓が並んでいる。
雫をベッドに寝かせた隆介は、雫に覆い被さるように近づいてきた。1秒ほど見つめ合った後、呼吸を忘れるほどのキスをしたり、顕になった雫の耳を撫でたり。薄明かりの中で響く音が、ふたりの五感を刺激する。
「とろっとろのその顔、たまんないな。あれから、誰にも見せてない?」
「むしろ、隆介さんしか、知らないと思います……」
「よかった。じゃなきゃ嫉妬で気が狂いそうだよ」
「隆介さんでも嫉妬するんですね」
「雫、なんだと思ってんの、俺のこと」
「だって……好きだって言ったくせに置いてくような人ですもん」
着飾った隆介があまり見えなくなったことで、雫には冗談を言う余裕が生まれた。オーストリアの時と何も変わらない自然体のままで、雫に接してくれる人が目の前にいるということだけが、雫の求めている"隆介との時間"だ。
「それ言う?じゃあ、俺の好きな人は白波瀬 雫さんで、好きなところは雫の行動力とくしゃっとする笑顔、他人にも必死になってくれるとこ、あと……ふt」
「あの、もう、いい……です」
隆介は止めるまでずっと好きなところを言い続けそうで、照れの止まらない雫は慌てて彼の口元に手をあてた。
「俺多分、あと1時間は余裕で言えるよ」
「私の身が持たないので……大丈夫です」
「そう?まぁ、そのまま元気で居させる気はないけど」
にっこりと笑った隆介の手によって、雫のワンピースの首元のリボンはするりと外された。向かい合っているまま後ろのジップを下げられている音がする。太ももを撫でる手はストッキングの上を何度も滑り、くすぐったさと快感の間を行き来した。
「半年分の愛、証明させてよ」
「っ待って、私仕事終わりで汗かいてるから……シャワー、浴びたいです」
「だめ。待てない」
少し強引に抱き寄せられてしまった場合、ワンピースの抵抗力が0に近いことは雫にもわかる。割と安価でも可愛くお気に入りだったその布は、抵抗虚しく地面へと静かに落ちていった。デートするとも思っていなかった下着はシンプルなブラレットで、可愛げなんて全くない。けれど急に思い出して恥ずかしくなり胸を隠したところで、それはほんの気休めにもならなかった。
隆介の首に手を回すように言われて素直に従えば、いつの間にか雫の身を守るべき布たちは全てどこかへ去っていた。身に纏うもののない雫への容赦ないキスの嵐の攻撃力は凄まじく、全身の力はゆるく抜けていく。
「ん、ちゃんと力抜けてえらいね、雫」
褒められるようなことじゃないはずなのに、雫は隆介に褒められるとつい嬉しくなった。心をくすぐられるような、単純な恥ずかしさとも違う感情が芽生える。まだ何をしたというわけでもないのに、雫の視線の先はもうぼんやりとしていた。タートルネックを脱いだ隆介の程よい筋肉質な体が、自分を抱きしめているという事実だけで、雫の体は熱く震えそうなほどに喜んでいた。