妹に許婚を奪われたら、冷徹CEOに激愛を注がれました~入れ替え婚!?~
「行ってくる」

 円香はどうにかこうにか小さく「はい」とだけ答える。

 本当は何かもっとちゃんとした言葉を贈りたかったけれど、今の円香には無理だった。下手に口を開けば、余計なことを言ってしまいそうで、何も言えないのだ。

 ただ切なげに彰史を見つめることしかできない。

「浮かない顔だな。俺の門出なのに、笑顔で見送ってはくれないのか?」

 自分でもこんな見送り方はどうだろうと思っている。これでは彰史に心配をかけるだけだ。彰史が笑顔を望んでいるのなら、円香もそうしたい。

 けれど、笑顔を作ろうと思えば思うほど、なぜか円香の表情は真逆の方向へ変わっていく。涙すら浮かんでしまいそうだ。

「なぜそんなつらそうな顔をする? 言いたいことがあるなら言ってくれ。逃げずにちゃんと話すと言っていただろう?」

 いつだったか、そんなことを言ったなと思い出す。そのときの円香の言葉に嘘はない。けれど、このタイミングでそれを持ち出されるのはきつい。

 正直な気持ちを告げなければいけない気にさせられるが、それを告げれば彰史に余計な気を遣わせてしまうだろう。

 もはやこの場での正解が円香にはわからない。真綿で首を締められるようにじわじわと追い詰められていく。苦しくてたまらなくて、もうこれ以上は勘弁してくれと、円香は彰史に懇願する視線を送るが、彰史は容赦してくれない。

「顔を合わせて話せるのは、これがもう最後かもしれないんだ。頼むから言ってくれ。それとも別れる俺にはもう何も言いたくないか? もう話す価値もないと思っているのか?」

 心なしか切なく見える彰史の表情が円香を責める。こんなふうに追い詰められてはもう無理だ。耐えられない。

 彰史の言葉に、表情に、円香の心は動かされてしまう。ギリギリで踏みとどまらせていたブレーキが外れてしまう。

 別れを決断したあの日からずっと耐えてきたものが、とうとう溢れ出てくる。
< 175 / 201 >

この作品をシェア

pagetop