サンライズ
第5話
ほとんど乗客のいないバスに揺られながら高台へと向かう。
真っ白のキャンバスと色鉛筆を持って。
心の奥深くでは、彼がいることを信じて。
結局、いつも期待は裏切られるのだけど、毎回必ず彼がそこにいると信じてしまう。
階段をゆっくりと上り、最上段まで行く。10月になったにもかかわらず、さすがに暑い。羽織っているカーディガンは上っている途中でバッグに入れた。
案の定、高台には誰もおらず、いつもの風景と石のベンチだけが私を待っている。
バッグをベンチに置き、キャンバスと色鉛筆を出して絵を描き始めた。いつも通り私の好きなように、時折彼が撮った写真を見ながら。
1時間ぐらい経っただろうか。階段から足音がして、私は手を止めた。
こんなところに人が来るなんて珍しい。足音のする方向を見ると1人の男の人が階段を上ってきていた。年齢は、私よりも下だと思う。まだ幼い雰囲気を隠しきれていない彼は、私の方へと近づいてきた。明らかに私と目が合っている。勘違いではなかった。
「あの、いきなり変なこと聞いて申し訳ないんですけど」
少し警戒心を持った私に彼は続けて言った。
「『吾妻太陽』って人を知っていますか?」
その名前に、私の心臓が反応する。急激に鼓動が早くなって手が少し震える。
「ええ知っているけれど。彼がどうしたの?」
落ち着いて答えようとしても、声が震える。とりあえず持っていたキャンバスと色鉛筆をベンチに置き、深呼吸する。
「よかった!やっと見つけました。あなただったんですね」
少しだけ日差しが私の背中を照り付けてくる。彼の目が少しだけ光って見えるのは気のせいだろうか。
「えっと、どういうこと?」
心臓の鼓動は少しばかり収まり、次は困惑と言う心情が前に出てくる。
「すみません。急に変ですよね。僕、高野文也といいます。あ、こう言った方が伝わりやすいか。僕、太陽くんに家庭教師をしてもらっていました」
家庭教師、と言うワードにまた鼓動が早くなる。そういえば、彼は地元の子に勉強を教えていると言っていた。
今、私が置かれている状況に理解が追い付かない。
もしかして、私の前にいる彼は本当に……。
「ずっとあなたのことを探していたんです。これを受け取ってください」
そう言って彼はリュックからカメラを出した。それは太陽が使っていたものに違いなかった。黒いカメラの両脇には剝がれかけたイチゴとリンゴのシールがある。
私と那緒が太陽にあげたものだ。
ーその次の日から太陽はいなくなった。ー
「それって。太陽が使っていたカメラよね?ねえ、太陽は今どこにいるの?」
思わず立ち上がり、彼のもとへ近づく。
「ねえ、お願い答えて!」
「……」
それでもなお、彼は黙ったままだった。私の目から少しずつ涙が流れ、思わず上を向く。
「太陽くんは、その」
歯切れの悪い声が聞こえ、私は彼を見た。彼も私と同じように涙を流していて、私の後ろから照り付ける日差しがそれを反射する。
泣いているのはなぜだろうか。疑問に思った瞬間、その理由は彼の口から発せられた。
「太陽くんは亡くなりました。2年前に」
「え?」
亡くなったことが分かったのに涙が引いていく。
たぶん、それは信じたくなかったからだと思う。
「亡くなったってどういうこと?カメラマンになるとか、そのために私たちの前からいなくなったのではなかったの?」
考えるよりも先に口が動く。
「違います。言いにくいことですが、太陽くんは本当に亡く……。持病が悪化してしまって。それをあなたに知られたくなかったから地元に帰ってきて、それから、その」
「持病?」
なにそれ。そんなの聞いてない。初耳。どうして言ってくれなかったの?ずっと一緒にいたのに?
「それで、太陽くんが亡くなった後にこのカメラを太陽くんのご両親から渡されて。太陽くんは僕に、
勝手で本当に迷惑をかけるけど、もしできるならこれをある人に渡してほしいってお願いされて」
「どうしてある人が私だと思ったの?」
「いつも聞いていたんです。大学に趣味で絵を描いている人がいるって。一緒にいるとすごく楽しいけれど、僕には持病があるからあまり距離感を近づけたくないって」
何も言えなかった。心の整理が追い付かない。
「だからすぐにでもあなたのもとへ届けようと思っていたんですけど、地元が遠いし、僕は高校生だったし、なによりあなたの名前を聞いていなくて。だから、太陽くんと同じ大学に来たら会えるかもって
思って」
「そうだったの。ありがとう。本当にありがとう」
何も言葉が出てこなくて、弱々しい声が私の口から発せられる。カメラを強く握りながら高野君に感謝する。まだ心の整理なんてできていないけど、高野君に感謝を伝えることが今の私にできることだった。
「それでカメラの中身は何だったの?」
「中身は見てないです。僕が見るべきものではないと思うので」
「そうなの。家に帰って見てみる。本当にありがとう」
ただ感謝の言葉しか言えなかった。頭がまだ混乱している。こんなの奇跡だ。名前もわからない人の元へ高野君がたどり着けたのは。
少しして1つ疑問が浮かんだ。
「どうしてここまでしたの?」
「どうしてというのは?」
「いや、もちろん高野君と太陽は仲がいいのだと思うけど、大変だったでしょ?ここまでたどり着いたの」
「ああ、そう言うことですか。確かに大変でしたけど、太陽くんには本当にお世話になったので。ただそれだけです」
高野君はまっすぐに私を見てきた。それ以上何も聞く必要はなかった。
「そういえば、私の名前言ってなかったよね」
「そうですね。聞いてないです」
「私は岩本新葉。ねえ、連絡先、交換しておかない?」
「いいんですか。ぜひお願いします」
互いにスマホを出し、連絡先を交換した。
「あの、もし良ければでいいんですけど」
遠慮しがちに彼は言う。
「また会ってくれませんか?太陽くんが大学でどんな風に過ごしていたのか知りたくて。僕一人っ子で、父もいなかったので、太陽くんは本当にお兄ちゃんとお父さんみたいな存在で、大好きだったんです」
「もちろん。また会いましょ。このカメラの中身も伝えるわ」
「ありがとうございます!では僕はこれで」
そう言って高野君は階段を降りて行った。その後ろ姿は太陽と重なり、私は2年前のことを思い出す。
真っ白のキャンバスと色鉛筆を持って。
心の奥深くでは、彼がいることを信じて。
結局、いつも期待は裏切られるのだけど、毎回必ず彼がそこにいると信じてしまう。
階段をゆっくりと上り、最上段まで行く。10月になったにもかかわらず、さすがに暑い。羽織っているカーディガンは上っている途中でバッグに入れた。
案の定、高台には誰もおらず、いつもの風景と石のベンチだけが私を待っている。
バッグをベンチに置き、キャンバスと色鉛筆を出して絵を描き始めた。いつも通り私の好きなように、時折彼が撮った写真を見ながら。
1時間ぐらい経っただろうか。階段から足音がして、私は手を止めた。
こんなところに人が来るなんて珍しい。足音のする方向を見ると1人の男の人が階段を上ってきていた。年齢は、私よりも下だと思う。まだ幼い雰囲気を隠しきれていない彼は、私の方へと近づいてきた。明らかに私と目が合っている。勘違いではなかった。
「あの、いきなり変なこと聞いて申し訳ないんですけど」
少し警戒心を持った私に彼は続けて言った。
「『吾妻太陽』って人を知っていますか?」
その名前に、私の心臓が反応する。急激に鼓動が早くなって手が少し震える。
「ええ知っているけれど。彼がどうしたの?」
落ち着いて答えようとしても、声が震える。とりあえず持っていたキャンバスと色鉛筆をベンチに置き、深呼吸する。
「よかった!やっと見つけました。あなただったんですね」
少しだけ日差しが私の背中を照り付けてくる。彼の目が少しだけ光って見えるのは気のせいだろうか。
「えっと、どういうこと?」
心臓の鼓動は少しばかり収まり、次は困惑と言う心情が前に出てくる。
「すみません。急に変ですよね。僕、高野文也といいます。あ、こう言った方が伝わりやすいか。僕、太陽くんに家庭教師をしてもらっていました」
家庭教師、と言うワードにまた鼓動が早くなる。そういえば、彼は地元の子に勉強を教えていると言っていた。
今、私が置かれている状況に理解が追い付かない。
もしかして、私の前にいる彼は本当に……。
「ずっとあなたのことを探していたんです。これを受け取ってください」
そう言って彼はリュックからカメラを出した。それは太陽が使っていたものに違いなかった。黒いカメラの両脇には剝がれかけたイチゴとリンゴのシールがある。
私と那緒が太陽にあげたものだ。
ーその次の日から太陽はいなくなった。ー
「それって。太陽が使っていたカメラよね?ねえ、太陽は今どこにいるの?」
思わず立ち上がり、彼のもとへ近づく。
「ねえ、お願い答えて!」
「……」
それでもなお、彼は黙ったままだった。私の目から少しずつ涙が流れ、思わず上を向く。
「太陽くんは、その」
歯切れの悪い声が聞こえ、私は彼を見た。彼も私と同じように涙を流していて、私の後ろから照り付ける日差しがそれを反射する。
泣いているのはなぜだろうか。疑問に思った瞬間、その理由は彼の口から発せられた。
「太陽くんは亡くなりました。2年前に」
「え?」
亡くなったことが分かったのに涙が引いていく。
たぶん、それは信じたくなかったからだと思う。
「亡くなったってどういうこと?カメラマンになるとか、そのために私たちの前からいなくなったのではなかったの?」
考えるよりも先に口が動く。
「違います。言いにくいことですが、太陽くんは本当に亡く……。持病が悪化してしまって。それをあなたに知られたくなかったから地元に帰ってきて、それから、その」
「持病?」
なにそれ。そんなの聞いてない。初耳。どうして言ってくれなかったの?ずっと一緒にいたのに?
「それで、太陽くんが亡くなった後にこのカメラを太陽くんのご両親から渡されて。太陽くんは僕に、
勝手で本当に迷惑をかけるけど、もしできるならこれをある人に渡してほしいってお願いされて」
「どうしてある人が私だと思ったの?」
「いつも聞いていたんです。大学に趣味で絵を描いている人がいるって。一緒にいるとすごく楽しいけれど、僕には持病があるからあまり距離感を近づけたくないって」
何も言えなかった。心の整理が追い付かない。
「だからすぐにでもあなたのもとへ届けようと思っていたんですけど、地元が遠いし、僕は高校生だったし、なによりあなたの名前を聞いていなくて。だから、太陽くんと同じ大学に来たら会えるかもって
思って」
「そうだったの。ありがとう。本当にありがとう」
何も言葉が出てこなくて、弱々しい声が私の口から発せられる。カメラを強く握りながら高野君に感謝する。まだ心の整理なんてできていないけど、高野君に感謝を伝えることが今の私にできることだった。
「それでカメラの中身は何だったの?」
「中身は見てないです。僕が見るべきものではないと思うので」
「そうなの。家に帰って見てみる。本当にありがとう」
ただ感謝の言葉しか言えなかった。頭がまだ混乱している。こんなの奇跡だ。名前もわからない人の元へ高野君がたどり着けたのは。
少しして1つ疑問が浮かんだ。
「どうしてここまでしたの?」
「どうしてというのは?」
「いや、もちろん高野君と太陽は仲がいいのだと思うけど、大変だったでしょ?ここまでたどり着いたの」
「ああ、そう言うことですか。確かに大変でしたけど、太陽くんには本当にお世話になったので。ただそれだけです」
高野君はまっすぐに私を見てきた。それ以上何も聞く必要はなかった。
「そういえば、私の名前言ってなかったよね」
「そうですね。聞いてないです」
「私は岩本新葉。ねえ、連絡先、交換しておかない?」
「いいんですか。ぜひお願いします」
互いにスマホを出し、連絡先を交換した。
「あの、もし良ければでいいんですけど」
遠慮しがちに彼は言う。
「また会ってくれませんか?太陽くんが大学でどんな風に過ごしていたのか知りたくて。僕一人っ子で、父もいなかったので、太陽くんは本当にお兄ちゃんとお父さんみたいな存在で、大好きだったんです」
「もちろん。また会いましょ。このカメラの中身も伝えるわ」
「ありがとうございます!では僕はこれで」
そう言って高野君は階段を降りて行った。その後ろ姿は太陽と重なり、私は2年前のことを思い出す。