御曹司は離婚予定の契約妻をこの手に堕とす~一途な愛で溶かされました~
「あの?」

「ここは成瀬の逃げ場所なんだろ? 俺に遠慮なく、気のすむまでいればいい」

 彼には情けない姿を見せてばかりで、気まずくて仕方がない。

「小早川さんは、なぜここに?」

 平静を装って、彼の話にすり替えた。

「俺も、気分転換にここへよく来ていたんだ。あそこから、よく成瀬を見かけていた」

 そう言っ彼が指さした上階を、もう一度見上げる。
 つまり先日と今だけでなく、成瀬さんはここで何度か私を目撃していたらしい。その事実があまりにも恥ずかしくて、柄にもなく熱くなった頬を両手で隠した。

「成瀬がそんなふうに感情を表に出すなんて、珍しいな」

 くすりと笑った小早川さんが、ますます羞恥を煽る。

「あ、あの……」

「うろたえるなんて、もっと珍しい」

「からかわないでください!」

 彼は直属の上司ではないものの、私よりも目上の人だ。ついむきになってしまい、しまったと後悔する。

「そうやって大きな声を出すと、多少はすっきりするだろ?」

「え?」

 ふと真剣な顔をされて、わずかに落ち着きを取り戻す。
 私の言動に彼が不快に感じている様子はなく、穏やかに見つめ返された。

「成瀬に必要なのは、そういう吐き出す場じゃないのか? さっきまでずいぶん思い詰めていたのに、今はすっきりと……していたのは一瞬だったか。すっかりポーカーフェイスに戻ってしまったな」

 小早川さんが、小さく苦笑した。

 いつだって私は、わかりにくい人だと言われてきた。
 私の気持ちを敏感に察してくれたのは、親友の渚くらいのものだった。

 それなのに、小早川さんにここまで見抜かれてしまったことに驚きが隠せない。動揺して、いつもの自分のペースが保てなくなる。
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