大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~
「つまり私なら先生に言い寄ったりしないし、坂野総合病院の跡取りの妻には役不足だから、先生の希望する条件にピッタリということですか?」
口にしてみたら、ずいぶんな内容だ。
仮とはいえ院長夫人を望まず、坂野家と釣り合わない相手をこの人は望んでいいるのだ。
「君に政治家や実業家の親戚がいるか?」
「いません」
両親も祖父母も亡くなっていて、いるのは借金まみれの叔父くらいだ。
「そういうことだ」
「はあ」
失礼な話だが、あっさり肯定されてしまうと事実なのだから納得するしかない。
「病院にはふたりの関係は内緒にしておくから、仕事は今まで通りでいい」
どんどん話が進んで、婚約者のフリを受けるとも、いやだとも言えない雰囲気になってきた。
「あの、坂野先生」
「その呼び方は、固いな」
「坂野先生とお呼びしてはいけないんですか?」
「プライベートでは、お互い婚約者らしく名前呼びだ」
誰もいないところで婚約者のフリをする必要があるのだろうか。
「婚約者らしくとは?」
尋ねながら(あれ?婚約者のフリを引き受けたんだったっけ?)と明日香も混乱してわからなくなってきた。
「慣れておかないと、いざという時にボロがでる」
まっとうな理由を返してくるし、すっかり彼のペースだ。
「明日香、疲れただろう。今夜はゆっくり休むといい。ゲストルームを使ってくれ」
「……」
さっそく名前で呼ばれたが、明日香は返事もできない。
燈生はさっと立ち上がると案内してくれた。
ベッドやクローゼット、シャワーやトイレの設備もある、まるでホテルのようなひと部屋だ。
「じゃあ、また明日」
「おやすみなさい」
燈生が部屋から出ると、明日香はポスっとベッドに倒れ込む。
(疲れた……)
スマートフォンを見ると、デジタル時計は深夜を表示していた。
まだ頭の中はグチャグチャだ。
叔父の借金が原因で屋敷には正体のわからない男たちが来るし、身の危険を感じていたら坂野燈生のマンションに泊めてもらうことになった。
おまけに、いつの間にか丸め込まれていて『コンヤクシャのフリ』をするのだ。
もう明日香は限界で、いつの間にか悩むことすら放棄して眠りに落ちていた。