大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~
愛し始めたら


***


高層マンションから見下ろす隅田川は思った以上に川幅が広くて、行き交う観光船が小さく見える。
朝と夜ではまったく違う風景が楽しめて、いくら眺めても見飽きることはなかった。

あれから叔父との問題は、坂野敦弁護士が間に入って話し合いが進んでいる。
もう怪しげな男も叔父も、明日香の周りには姿を現さない。
叔父に直接会わなくてよくなったので、精神的にはずいぶんと楽になった。

明日香は結局、婚約者のフリをして欲しいという燈生の頼みを受け入れた。
マンションは広くて部屋にも余裕があるから、屋敷にあった最低限の明日香のものだけを運び込ませてもらっている。
いつでも引っ越しできるように、ほとんどは段ボール箱の梱包を解かずに置いたままだ。

マンションでの同居といっても、比較的規則正しい勤務の明日香に比べて燈生のスケジュールはまちまちだ。
手術のある日とない日でも違うし、救急に呼ばれたり当直をする日もある。
気がかりな患者がいれば、数日病院へ泊まり込むようだ。

ふたりで住んでいても、まともに顔を合わせる日が少ないくらいすれ違いの毎日だった。

ルームシェアらしく部屋代くらい支払いたいと申し出たら、陶生からは『気にしなくていい』と言われてしまった。
フリとはいっても婚約者を住まわせているんだからと涼しい顔だ。
それでもと食い下がったら『食事を頼む』というのが燈生の代替案だった。
部屋の掃除は業者に任せているが、不規則な生活だから食事までは頼んでいないらしい。

確かに医者の不養生と言われそうなくらい、素晴らしいキッチンに食材はほとんどなかった。

(水、ビール、栄養補助食品……)

これでは長時間の大手術をする日だってあるのに、身体を壊してしまう。
今は若さで乗り切っているのだろうが、栄養士としてこの状況を見過ごすことはできない。

明日果は遠慮なくキッチンを使わせてもらうことにした。
慌しい朝に時間がなくてもつまんで食べられるものや、遅い時間に帰宅しても胃にもたれないものがあれば食べてもらえるだろう。

そう決めて、自分の食事と同時に何種類か作りおきしておくと、燈生がきれいに食べてくれる。
つまり口にあったのだろう。完食してくれると、また美味しいと思ってくれるものを作りたくなる。

そうしているうち、明日香はここでの暮らしが楽しくなってきた。

(まるで家政婦みたいだけど、喜んでくれているのかな)

祖父母が亡くなってからひとりで暮らしていた明日香には、すれ違いの生活でも誰かの役に立てていることが嬉しかった。
もちろん相手が燈生だからというのは、明日香の心の中だけの秘密だ。







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