大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~
ふたりがマンションで生活し始めてひと月が経ち、季節は夏を過ぎて秋の気配が漂い始めている頃。
「父には恋人と暮らしているから、縁談は不要だと言っておいた」
燈生はとうとう院長に宣言したらしい。
「でも相手については、なにも言ってないから安心して」
病院には、ふたりが同居していることは内緒にしている。
お互い仕事で関わりがあるから、周囲に知られて働きにくくなっては困るのだ。
「大丈夫でしょうか」
「ま、これで院長だって諦めるさ。いざとなったら……」
燈生はどうしても院長の決めた相手と結婚しろと言われたら、病院を辞めると言う。
そもそも一年という約束で帰国したのだから、辞めることについてはまったく気にしていないらしい。
「そうならないことを祈るし、君の仕事に影響がでないよう最大限考慮する」
燈生はそう言ってくれるけど、明日香は鵜呑みにしてるわけではない。
成り行きとはいえ、院長に噓までついてしまったのだ。
住むところを失って困っているときに助けてもらった恩があるとはいえ、明日香の燈生への気持ちは抑えきれなくなっている。
医師としての尊敬から始まって、すでに恋心にまで膨らんでいるのだ。
(婚約者のフリはいつまでと約束していないけど、叔父さんとの問題が落ち着くまでにしなくては)
そうでも思わないと、偽りの関係なんて続けていられない。
明日香は自分の想いを隠し通せる自信がなかった。
燈生は病院でのクールな様子とは違って、家では穏やかで話しやすい。
明日香のちょっとした心遣い、たとえば料理とか部屋の片付けくらいでも『ありがとう』と口に出して言ってくれる。
(本当の婚約者じゃないのに。ここに住まわせてもらっているだけなのに)
今の暮らしが心地よくて、つい自分の立場を忘れそうになる。
同じマンションで暮らしていると、不意打ちのように胸が高鳴ってしまう瞬間があるのも頭痛のタネだ。
シャワーを浴びたばかりの燈生も、会議のためにカチッとしたスーツ姿の燈生も素敵だ。
大きな手術を終えて深夜に帰宅したヨレヨレのところだって、好ましい。
寝坊したと、慌てて部屋から飛び出してくるところを知っているのは自分だけだと思うと照れくさい。
滅多にないが、凍えそうなくらい厳しい顔をしているのは、患者を助けられなかった日かもしれない。
(この人と、ずっと一緒にいたい)
だが、自分は身寄りのない栄養士で、彼は大病院のひとり息子で優秀な外科医だ。
そんなふたりが結ばれるなんて、甘い夢を見る年頃ではないと自分を諫める。
でも明日香にだって、コントロールできない感情がある。
(燈生さんが好き)
好きという気持ちに嘘はない。
ただ秘かに心で想うだけで、けして伝えてはいけない恋だ。