大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~
「あの、今日はどのようなご用件でおみえになったのでしょうか?」
なるべく穏やかに話そうと思うのだが、以前に院長室で言われた言葉がよみがえり、明日香の声は震えてしまった。
「まだ別れる気にならないのかと思ってね」
「え?」
「アフリカに行くという我儘を聞いてやったんだ。君も、もういいだろう」
「あの、おっしゃっている意味がわかりません」
「恋愛ごっこはおしまいだ」
親斉は、冷え冷えとした声で言い放つ。
明日香があらためて親斉の顔を見たら、なにか違和感を感じた。
燈生によく似た整った風貌なのに、以前より精彩を欠いている。
少しやつれて痩せたようだし、顔色も青黒い。
「燈生には、いい縁談があるんだ」
「え?」
「うちの病院のメインバンクの頭取のお嬢さんでね、燈生がアフリカから帰国したら結婚させたい」
親斉は心臓外科の最新機器を導入するために、資金を借り入れたらしい。
その令嬢は燈生のアフリカでの医療活動に賛成してくれて、帰国するまで快く待ってくれている。
上品で気立てのいいお嬢さんだと親斉は一方的に話し続ける。
「君のような立場では、坂野家に迎えることはできないんだよ。わかるね」
まるで物わかりの悪い子どもに言い聞かせているようなセリフだ。
明日香は以前に婚約者のフリを頼まれた時、燈生と交わした言葉を思い出した。
『君に政治家や実業家の親戚がいるか?』
『いません』
明日香は大病院の院長の妻として夫を支えられるような家柄も財産も持っていないのだ。
あえて『君のような立場』と親斉が口にしたのは、燈生との結婚を望むべきではないと言いたいのだろう。
悔しくても言い返せなくて、明日香は俯いて唇をかんだ。
「君は燈生と結婚して、贅沢な暮らしをしたいのかもしれないが」
「そんな!」
望んでもいないことを言われて、明日香は頭の中が真っ白になった。
「燈生は大事なひとり息子なんだ。病院を継がせたい」
明日香はなにも言葉が浮かんでこない。
燈生がいない今、親斉に対してなにを言い、どう振舞えばいいのかわからない。
結婚を約束したといってもふたりだけで交わした口約束だし、指輪もなければ証人がいるわけでもない。
確かなのはお腹に宿っている燈生との赤ちゃんだけで、それすら秘密のままだ。