大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~
「燈生名義のこのマンションは近いうちに片付けるから、今後の身の振り方を考えておくように」
明日香に対してすべて言い切って満足したのか、親斉がゆっくりと立ち上がった。
玄関に進み始めたが、その身体がグラリと揺れた。
「だ、大丈夫ですか!」
慌てて明日香が駆け寄ると、その顔色はますます悪くなっている。
「気にしなくていい」
「でも……」
「ガンなんだ」
「えっ?」
明日香は耳を疑った。
だが改めて親斉の顔を見ると、以前よりも頬がこけている。
その黒ずんだ顔色や思わず支えた体の細さを考えると、嘘をついているとは思えない。
これまで何人もの患者と接してきた経験から、重い病に侵されていると直感した。
「なに、治療さえうまくいけば、急にどうこうということはない」
自身も医者らしい、冷静な言葉だった。
「だから燈生を帰国させたんだ。あれのために心臓手術に必要な最新式の設備も整えた」
絞り出すような親斉の言葉に、明日香は息をのんだ。
「燈生にはなにもしてやれなかったが、せめて病院は遺したい」
病院長としてではなく、ひとりの父親としての切なる思いが伝わってくる。
「頼むから、燈生と別れてくれ。私に息子を返してくれ」
傲慢で恐れるものなどなにもないはずの人が、明日香に頭を下げている。
「余命を悟ると、思い残すことばかりだ。もう私には燈生しかいない」
親斉は明日香の腕にすがりつくようにして懇願してくる。
明日香はその視線を受け止めながら「別れる」とも「別れない」とも言えなかった。
「君の誠意に期待する」
俯いて黙り込んだ明日香の返事を待たずに、静かに親斉が部屋を出ていった。
玄関ドアが閉まると、明日香は身体の力が抜けてその場にしゃがみ込んでしまった。
どれくらい時間が経っただろう。
気がつくと、明日香の目からはとめどなく涙が流れていた。