大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~


思わず席を立とうと動きかけたが、倫子がキツイ視線をよこした。
喪主の座を離れることはできない。

燈生は仕方なく、真後ろの席にいる敦に小声で頼んだ。

「明日香だ」
「え?」
「頼む」

それだけで敦は察してくれたようだ。
静かに席を立つと、敦はすっと斎場から出ていった。

燈生は目を閉じた。

(見間違いではない。きっと明日香だ)

ただ祈るような気持で、敦からの連絡を待った。




***




明日香が親斉の訃報を聞いたのは、偶然だった。
さつき苑入居者の診察のために定期的に訪れる神田院長の予定変更を、たまたま事務室で耳にしたのだ。

「神田先生の診察ですが、明日の火曜日の午後は別の先生だそうです」
「連絡があったの?」

「急にお葬式が入ったから変更お願いしますってお電話がありました」

介護スタッフや事務の人たちの会話が聞こえた。

「ご親戚のお葬式ですか?」

肉親の方だったらと気になって、明日香も話しに加わった。

「それが、以前お世話になった坂野総合病院の院長先生みたいです」
「えっ!」

「あ、小田さんは前の勤め先が坂野総合病院でしたっけ」
「あの、お葬式はどちらで?」
「さあ?」

さすがにスタッフも聞いていないだろう。

院長が亡くなったということは、陸の祖父が亡くなったということだ。
マンションにいきなり訪ねてきた時、すでに病魔に侵されていると話していたのを思い出す。

陸を出産したころ、燈生たちのボランティアチームが心臓病の子をアフリカからフランスへ連れて行くニュースで聞いた覚えがある。
燈生が今どこで何をしているのか、明日香はなにも知らない。

(お父様と最後のお別れができたのかな)

もしかしたら親斉が決めていたご令嬢と結婚していることだって考えられる。
坂野親斉とは辛い思い出しかないが、陸とは血が繋がっている人だ。

(せめて遠くからでもお別れをしたい)

あとから冷静になれば、どうしてそう考えたのか明日香にもわからない。
明日香は大胆にも葬儀場に出かけようと思いたった。





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