大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~
(こんなはずじゃなかったのに)
せっかく病院で働いていても、坂野燈生という人はいつも無表情で手術ばかりしている。
茜から声をかけようにもチャンスはないし、結婚自体を避けているようだ。
もしかしたら、かつてマンションに出入りしていた恋人のことを想い続けているのだろうか。
(私の立場はどうなるの)
学生時代の友人はどんどん結婚していく。
考えるのも面倒になって、商社時代の男友達とストレス解消のため飲みに行く機会が増えた。
大勢で楽しく遊ぶなら少々羽目を外してもかまわないだろうと思ったけど、両親の機嫌は悪くなる一方だ。
そんな日々を過ごしているうち、とうとう院長が亡くなった。
少しは存在感を出そうと葬儀の手伝いを申し出たら、倫子夫人からやんわり断られてしまった。
『あなたは板野家の家族ではありませんので』
茜にもやっとわかった。自分は坂野家に拒否されたのだ。
燈生との結婚ばかり考えていたのが悔やまれる。ほかの選択肢もキ-プしておくべきだった。
(もう病院の仕事、辞めちゃおう)
両親に次の結婚相手を探してもらわなければと気がせいた。
不機嫌なまま葬儀場から帰ろうと思ったところで、坂野敦が走っているのを見かけた。
「明日香さん」
焦った表情で、黒いコートを着た女性を追いかけている。
気になって様子を伺っていたら、その女性は声をかけられているのにタクシーに乗って去ってしまった。
茫然と見送っているのが気になって、茜は自分もタクシーを呼び止めた。
「前のタクシーを追ってちょうだい」
イラついていたからだろうか、坂野家に拒否されたことが腹立たしかったからだろうか。
あの女性の顔を見たいと思ったのだ。
茜はあっさりと見放されたのに、あの女性は追い求められていた。
それが羨ましいのか悔しいのか、茜は少し前を走るタクシーにらんだ。