大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~

***



坂野親斉の葬儀のあと、坂野総合病院の体制は大きく変わった。

臨時の理事会が開かれ、倫子が坂野総合病院の理事長に就任した。
義母の力量は燈生の想像を超えていた。これからの病院経営は、倫子の指導のもとで安定していくだろう。

倫子は身内である弟の伊久にも容赦しなかった。
伊久では力不足だと言い切って、院長には東都大学病院から名誉教授を引き抜いてきたのだ。
アメとムチを使い分け、伊久をなだめるために理事の枠に敦をねじ込んだ。
そのうえで大学病院と坂野総合病院の医療連携を強めて、互いに収益を上げる計画を立ち上げた。

燈生も大学病院で週に何日か診察や手術を担当するし、その逆もある。
手薄な小児科などでは医師を派遣してもらえるのだ。
その他に、病床の協力も進められた。
たがいの空室状況を把握すれば、急患にも対応しやすくなるというものだ。

燈生は倫子の手腕に脱帽した。
今となっては倫子の力なくては坂野総合病院は成り立たないだろう。

自分の母の存在に苦しめられたはずなのに、倫子はすべて公平な目で判断してくれる。

「私だって平静ではなかったわ。でも、誰かを恨んで一生を送りたくないもの」

義母の言葉は胸に刺さった。
これまで自分がこだわってきた父や産みの母との関係なんて、長い人生のほんの一部でしかなかったと気づかされたのだ。

(今度こそ、自分の人生を取り戻そう)

燈生は決意を胸に刻んだ。



***



大学病院からの帰り道、燈生は散りゆく桜の花びらが浮かぶ川面を見つめていた。

「明日香……」

姿を消した愛しい人の名をつぶやく。

今どこにいるのか、なにをしているのか。

父の葬儀の日に見かけたのは、確かに明日香だったようだ。
敦に追いかけてもらったが、タクシーに乗って急いで去って行ったという。

明日香が父の弔問に来てくれるとは思ってもみなかった。
院長室に呼び出されたり、無理やりマンションから出ていくように言われたりしたのだから辛い思い出しかなかっただろう。
それなのに、わざわざ足を運んでくれたのだ。

(なにか理由があるはずだ)

それに斎藤茜から事務長経由で、敦に伝言があったらしい。
明日香らしい人物と、懐かしいこの川沿いの街で出会ったという話だ。

(彼女もここを訪れたとしたら……)

少しはふたりで暮らした日々を懐かしんでくれていると信じたい。

燈生は再びこの街に住むことを決めた。
ちょうど明日香が住んでいた屋敷の跡地に十階建てのマンションが完成していたのだ。
前の物件ほどのグレードはないが、こじんまりとしていてひとり暮らしにはピッタリだ。
未練がましいかもしれないが、この街に住んでいれば明日香と会える気がしてならないのだ。

彼女が今どこで何をしているのか知りたい。
ほかの男性と結婚していると想像したら、胸をかきむしりたくなるほどの嫉妬にかられる。
すでに恋人と暮らしていることもありえるが、今の燈生は多くを望んでいるわけではない。
ただ、会いたい。

父の重い病と危うかった病院の経営。それに行方がわからなかった明日香。
それらがいっきに燈生にのしかかってきたが、明日香のことを最優先できなかった。
まるでトリアージのようだと燈生は思う。
医師は、目の前の状況から緊急度や重症度に応じて対処していく優先順位を決めていく。
燈生は医師として、死を目前にした父を見放すことができなかったのだ。

(言い訳にしかならないな)

親子関係とは不思議なものだ。
あれほど理解しあえないと思っていたのに、父の人生が終わろうとしていると知った瞬間、自分の子どもを抱かせてやりたかったと後悔したのだ。
父から自分へ、そして子へと命が繋がっていることを父に知ってもらいたかった。

(今となっては夢でしかないが)

明日香を探し出すため、燈生は川沿いの道から歩き始めた。







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