大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~
燈生はこちらを見るより先に、椅子に座るとすぐにパソコン画面に集中している。
「陸君、12月生まれで一歳七か月……」
カルテを読んでいた燈生の言葉が止まった。
椅子を回転させて、ゆっくりとこちらを向く。
「小田、陸君」
その目はじっと明日香を見つめ、すぐに陸に移った。
ゆっくりと手が伸びてきて、明日香の膝の上に座っている陸の頭を撫で、頬に、肩に触れていく。
沈黙があった。
きっとカルテの陸の生年月日と出産までの週数から、自分の子だと気がついたのだ。
明日香は身の置き場がないくらいに動揺していた。
逃げ場もなければ、隠れる場所もない。
燈生を目の前にしていて、しかも陸を抱いているのだ。
「検診で心臓疾患の疑いがあると言われたんですね」
「はい」
「これまで日常生活で気になることはありませんでしたか」
「ありません」
燈生から何を聞かれても、明日香は機械的に答えていた。
いや、燈生の質問もセオリー通りなのだろう。
淡々とした口調で、必要最低限のことだけを喋っているようだ。
「今日から入院ですね。藤原医師から検査の指示が出ていますから、このまま病棟へお願いします」
「わかりました」
「午後から検査になります」
「はい」
「あとで病室へ伺います」
そのひと言だけが、やけに耳に残った。
まるで(逃げるな)と言われたようで、明日香はピクリと身震いしてしまった。
(覚悟を決めよう)
たとえ燈生に婚約者がいても、結婚していてもかまわない。
自分はなにも望まないのだから、葬儀の日に出会った令嬢と燈生の間に波風が立つはずない。
大丈夫だと、明日香は自分に言いきかせる。彼が無視してくれたらいいのにとさえ思う。
燈生と私たちとは、このまま他人として生きていけばいい。
ただ燈生が陸の存在を知ってどう行動するかが未知数だった。
明日香は重い足取りで入院病棟へ向かった。