大切なひと~強引ドクターは最愛の人をあきらめない~
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翌朝、燈生が仕事を終えて病棟から一歩出ると、夜勤明けの目に太陽がまぶしかった。
適温に保たれている病院内に比べれば、真昼の外気はやはり暑い。
睡眠不足ではあったが、燈生は機嫌よく足を踏み出した。一緒にランチをとろうと家族と約束しているからだ。
近くの公園では、妻と息子が彼を待ちかねているだろう。
少し歩くと、背の高い並木と緑の芝生が見えてきた。
その広い公園で、陸が走り回っているはずだ。
お腹を空かせてくれた方がご飯をしっかり食べるし、疲れてコテンと寝てくれる。
つい燈生は足早になりながら、息子ことを考えている自分が少しおかしく思えてきた。
かつてはクールで無表情だと言われていたのに、家族中心に物事を考えている。
妻や息子と暮らす幸せを失っていたかもしれないなんて、今の自分を見て誰が信じるだろう。
(俺には明日香と陸がいる)
ふたりから、自分が医者として働くエネルギーをもらえているような気さえする。
明日香と離れていた時間は苦しかった。
それに陸の誕生を後から知った事実が、時おり燈生を虚しくさせる。
いや、過去を振り向いてはいけない。
失った日々は取り返せないが、けして同じ過ちを繰り返したりしない。
明日香と再会した日に、燈生はそう決意したのだ。
燈生はロサンゼルスの病院で、心臓外科医として新しい技術の習得に励んでいる。
燈生が人間としても医師としてもひと回り成長することを条件に、義母に数年間の自由を申し出たのだ。
『悔いのないようにしなさい』
義母はそう言って快く送り出してくれた。
ただし、いつか坂野総合病院に戻って院長を引き継ぐ約束はしている。
もちろん明日香と話しあったうえでだ。
遠目に、芝生を駆け回っている息子の姿が見えた。
白いシャツとカーキのパンツ姿がなんだか自分とお揃いみたいだ。
近くの木陰のベンチには強い日射しを避けるように、妻の明日香が座っている。
「あっ! パパだ~」
目ざとく父親の姿を見つけた陸が、こちらに向かって駆けだしてきた。
「陸、お待たせ!」
大きな声で返事をしたら、待っていたと言わんばかりの笑顔で妻も振り向いた。
サッと立ち上がった妻の、少し膨らんだお腹の辺りが見えると愛しさがこみあげてくる。
「明日香、急に動いちゃだめだよ」
駆け寄って、妻をベンチに座らせた。
「安定期に入ってるから大丈夫。燈生さんったら心配性なんだから」
今でこそ笑っているけれど、悪阻の時期の妻は痛々しかった。
毎朝辛そうだったし、食欲もなくて青白い顔をしていたからだ。
「パパ、お腹空いたよ」
「ああ、お昼ご飯にしよう」
「ハンバーガーだよ!」
「了解」
それだけのことで陸の顔がパアッと輝くと、燈生まで嬉しくなる。
家族で暮らせる幸せな時間を取り戻すまでに、どれほど苦い思いをしたことか。
明日香はもっと、切なく辛かったはずだ。
過去は過去というけれど、そのうえに今日という日が成り立っている。
ふたりが自分に笑顔を向けてくれると、家族の大切さが身に染みる。
「明日香」
「はい」
陸を片腕で抱き上げて、もう片方の手を明日香に差しだす。
愛おしい妻と手をつなぐ。名を呼べば、自分だけを見つめてくれる。
ただそれだけで、心が温かい。
「さあ、行こう」
どこまでも抜けるような青空の下。
妻と息子、やがて生まれてくる子と一緒に燈生は歩き出した。