夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました
17 交渉
フリーデが応接間へ入ると、三人の商会の代表者たちが立ち上がり、うやうやしく頭を下げた。礼儀正しい笑みを浮かべているが、心の中ではこちらを丸め込もうと手ぐすね引いて待っているはず。
「奥様、お初にお目に掛かります」
「あぁ、なんとお美しいっ」
「あの伯爵様といい、美男美女でございますねえ。お似合いのご夫婦です!」
彼らはよく回る舌で甘い言葉を囁きながらも、鋭い刃を隠している。
「お座りください。では、交渉をはじめましょう」
「早速、でございますねえ」
「時は金なりと言いますでしょ?」
「話が早いのは助かります。ではさっそく。条件でございますが、事前に提示して頂いた内容では、我々に不利です。あのルートを開拓するのにはかなりの金額が必要になります。それを考えますと提示された税制の優遇だけではとても……。交易品の取引価格についても譲歩していただきたい」
フリーデは商人たちの言葉に耳を傾けながら、紅茶に口をつける。
「正直、この条件で伯爵様に許可を頂くだけでもかなり難色を示されたのです」
「奥様。貴族の世界に流儀があるように、我々商人の世界にも流儀がございます。その流儀を武力をちらつかせてねじ曲げるようとするのは、感心いたしませぬ」
「ご安心を。あなた方を脅すような真似はしません。私は騎士ではありませんし、夫にそんなことをさせたりもしません。ただ皆さんには、目先の利益ではなく、長期的な視野に立って欲しいだけなのです」
「賛成でございます」
「このルートが開通すれば、物だけでなく、人の流れも活性化するでしょう。人がいるところに商機あり。新規事業をはじめるにも、人がいなければ話になりません。このルートは物と人の流れを劇的に変えることになります」
商人たちが視線を交わす。
「しかし魚の値段に関しては、そちらの条件を呑み、以前とは考えられないほどの高嶺で取引をしているではございませんか。その値段を下げるくらい……」
一人の商人たちが話すと、他の二人がうんうんと大きく頷く。
まったく、被害者ぶるのはやめて欲しい。
「ずいぶん良く言うのですね。足元を見て、さんざん買いたたいておきながら。帝都ではそれをいくらでお売りに? 二倍ですか? 三倍ですか? もっと、でしょうか?」
「それは前にもそちらの執事にも説明しましたが、都へ持っていけば無条件で売れるというわけではないのです。塩漬けとはいえ、南部の気候では長期保存は難しい。手早く売るのも骨が折れるのです。そしてそんな顧客の開拓をしたのは我々の努力の賜物なのですよ」
「正直、この条件を出すかどうかには迷いました。私たちはすでにあなた方に多くの利益を与えていると思っていたからです。なのに、そんなに欲をかかれるとは思いもしませんでした」
「聞きづてなりませんね。たしかに氷の販売に関しては我々も感謝しております。しかし適正な価格で仕入れているのですから、そう恩着せがましく仰られても……」
「そのことだけではありません。氷事業をはじめたことで、多くの労働者がそれに従事することになりました。これによって北部の領民たちの懐にも余裕が出て来ている。あなた方はその恩恵を受けている、ということでございます」
「! そ、それはぁ……」
「誤魔化しても無駄ですよ。こちらは北部の取引にかかる税収額を把握しています。例年に比べ、取引額はあらゆる品物に関して増えていますよね。これまで南部から北部へ運ばれてくる品物の多くは生活必需品がほとんど。でも近頃は煙草やお酒などの嗜好品の割合が増えてきています。それはあなた方が北部の商売で相応の利益を得ているということ。違いますか?」
「………」
「違いますか?」
「ま、まあ……ですが、それは決して安定的に利益を得ているわけではないのでございましてぇ~」
――ああいえばこういう。商人だから、というか、この人たち、貴族の足元を見ることにこだわりすぎてるとしか思えない。
「あなた方がそこまで言うのなら……」
「譲歩して頂けますか?」
「いいえ。別の人たちを頼ります」
「別?」
「オウム商会、クライベス商業組合、スローム貿易社」
「!!」
その名前を出した瞬間、商人たちの顔が一変する。
フリーデは三通の封筒を、商人たちの前に出す。
「あなた方がそこまで非協力的であるのなら、私どもも交渉相手を変えざるをえません」
「お、お待ち下さい。その三社は……」
「ご存じでしょう。南部の大商人です。皆さんはご存じかどうか分かりませんが、私は帝都の侯爵家出身ですので、伝手がございます」
嘘だ。フリーデは虐げられた侯爵家の長女だ。伝手などあるはずがない。
でも彼らはそれを知らない。
「我々、北部で長年従事している商人ではなく、南部のゴロツキどもを頼ると!? 連中は利益のみを求め、愛郷精神の欠片もございませんよ!?」
「あら、ご自分たちの愛郷精神の欠落を棚に上げ、そんなことを仰るなんて、皆さんも面白いことを仰られますねえ。オホホホ」
旗色が悪くなっているのか、商人たちは目を泳がせる。しかしそれでも彼らは粘り続ける。
「で、では、条件のほうですが、我々も少し譲歩しまして――」
フリーデはすっと目を細め、三人の商人を睨め付けた。
商人たちがぐっと息を呑む。
三人の前でおもむろに取り出したペンで、すでに提示した条件の一つに横線を引く。
「な、なにを?」
「こちらの条件は取り消します」
「何ですと!?」
「誠意のない相手に譲歩するつもりはございません。先程、あなた方は貴族には貴族の、商人は商人の流儀がある、と仰いましたよね。では商人の世界にも、道理というもあるのでは?」
「それはどういう……」
「正当以上の対価を提示する相手に対し、強欲で応じるのは信義に背く、ということです。信義の何たるかも知らない強突く張りに譲歩するつもりは、ありません」
フリーデはペンを握る指先に力をこめる。
「ここでサインをするか、それともいけ好かない南部商人が北部で幅を利かせるのを良しとするか。私どもは良心的な条件を出したと自負しております。それが気に入らないのであれば、どうぞ席を立って下さい。お帰りはあちらです」
フリーデはさらに一つの優遇条件に取り消し線を引くため、紙にペン先を押し当てた。
「お、お待ちを、奥様! 分かりました!」
商人の一人が立ち上がった。
「そちらの条件でようございます!」
「おい、何を勝手に!」
「打ち合わせと違うじゃないか!」
突然の裏切りに、他の二人が泡を食う。
「打ち合わせ? 何のことですかな。私は奥様のご高説に感動詞、自らの愚かさを反省したのですよ!」
「では、サインを」
「はいっ。あ、あのぉ……」
「何か?」
「こちらの取り消された条件については……」
「それはすでに消えてしまった条件。ご不満ですか?」
「い、いえいえ! 確認したまででございます!」
「良かったわ」
フリーデは、残り二人の商人を見る。
「それで、あなた方は?」
「わ、私どもは……」
二人は顔を見合わせる。
「あら手がすべりましたわ」
さらに一つの条件を削除すると、二人は目を剥く。
「分かりました! サインいたします!」
「二つも優遇条件を削除してしまったのですけれど、それでもよろしくて?」
二人は喉の奥から呻きを漏らす。
「……構いません」
こうして三人の商人との我慢比べに勝利を果たした。
「良かった。皆さんなら分かってくれると信じていましたわ」
にこりと笑顔を見せる。
「では、握手でお別れを」
「お、奥様、本日はありがとうございました」
「……これからもよろしくお願いいたします」
「素晴らしい商談でございました」
商人たちはうなだれながら、メイドたちに連れ出されていった。
心の中でゆっくり100秒を数えてから、フリーデはソファーに寝そべった。
「はあぁぁぁぁぁ……なによ、あいつら、どんだけ粘るのよ……しんどすぎ……あぁぁぁぁぁぁ!」
素直な言葉を吐き出すと、多少気持ちが晴れる。
喋りすぎたせいで口周りの筋肉が引き攣っていた。
休もう。
フリーデはクタクタになり、目を閉じた。
「奥様、お初にお目に掛かります」
「あぁ、なんとお美しいっ」
「あの伯爵様といい、美男美女でございますねえ。お似合いのご夫婦です!」
彼らはよく回る舌で甘い言葉を囁きながらも、鋭い刃を隠している。
「お座りください。では、交渉をはじめましょう」
「早速、でございますねえ」
「時は金なりと言いますでしょ?」
「話が早いのは助かります。ではさっそく。条件でございますが、事前に提示して頂いた内容では、我々に不利です。あのルートを開拓するのにはかなりの金額が必要になります。それを考えますと提示された税制の優遇だけではとても……。交易品の取引価格についても譲歩していただきたい」
フリーデは商人たちの言葉に耳を傾けながら、紅茶に口をつける。
「正直、この条件で伯爵様に許可を頂くだけでもかなり難色を示されたのです」
「奥様。貴族の世界に流儀があるように、我々商人の世界にも流儀がございます。その流儀を武力をちらつかせてねじ曲げるようとするのは、感心いたしませぬ」
「ご安心を。あなた方を脅すような真似はしません。私は騎士ではありませんし、夫にそんなことをさせたりもしません。ただ皆さんには、目先の利益ではなく、長期的な視野に立って欲しいだけなのです」
「賛成でございます」
「このルートが開通すれば、物だけでなく、人の流れも活性化するでしょう。人がいるところに商機あり。新規事業をはじめるにも、人がいなければ話になりません。このルートは物と人の流れを劇的に変えることになります」
商人たちが視線を交わす。
「しかし魚の値段に関しては、そちらの条件を呑み、以前とは考えられないほどの高嶺で取引をしているではございませんか。その値段を下げるくらい……」
一人の商人たちが話すと、他の二人がうんうんと大きく頷く。
まったく、被害者ぶるのはやめて欲しい。
「ずいぶん良く言うのですね。足元を見て、さんざん買いたたいておきながら。帝都ではそれをいくらでお売りに? 二倍ですか? 三倍ですか? もっと、でしょうか?」
「それは前にもそちらの執事にも説明しましたが、都へ持っていけば無条件で売れるというわけではないのです。塩漬けとはいえ、南部の気候では長期保存は難しい。手早く売るのも骨が折れるのです。そしてそんな顧客の開拓をしたのは我々の努力の賜物なのですよ」
「正直、この条件を出すかどうかには迷いました。私たちはすでにあなた方に多くの利益を与えていると思っていたからです。なのに、そんなに欲をかかれるとは思いもしませんでした」
「聞きづてなりませんね。たしかに氷の販売に関しては我々も感謝しております。しかし適正な価格で仕入れているのですから、そう恩着せがましく仰られても……」
「そのことだけではありません。氷事業をはじめたことで、多くの労働者がそれに従事することになりました。これによって北部の領民たちの懐にも余裕が出て来ている。あなた方はその恩恵を受けている、ということでございます」
「! そ、それはぁ……」
「誤魔化しても無駄ですよ。こちらは北部の取引にかかる税収額を把握しています。例年に比べ、取引額はあらゆる品物に関して増えていますよね。これまで南部から北部へ運ばれてくる品物の多くは生活必需品がほとんど。でも近頃は煙草やお酒などの嗜好品の割合が増えてきています。それはあなた方が北部の商売で相応の利益を得ているということ。違いますか?」
「………」
「違いますか?」
「ま、まあ……ですが、それは決して安定的に利益を得ているわけではないのでございましてぇ~」
――ああいえばこういう。商人だから、というか、この人たち、貴族の足元を見ることにこだわりすぎてるとしか思えない。
「あなた方がそこまで言うのなら……」
「譲歩して頂けますか?」
「いいえ。別の人たちを頼ります」
「別?」
「オウム商会、クライベス商業組合、スローム貿易社」
「!!」
その名前を出した瞬間、商人たちの顔が一変する。
フリーデは三通の封筒を、商人たちの前に出す。
「あなた方がそこまで非協力的であるのなら、私どもも交渉相手を変えざるをえません」
「お、お待ち下さい。その三社は……」
「ご存じでしょう。南部の大商人です。皆さんはご存じかどうか分かりませんが、私は帝都の侯爵家出身ですので、伝手がございます」
嘘だ。フリーデは虐げられた侯爵家の長女だ。伝手などあるはずがない。
でも彼らはそれを知らない。
「我々、北部で長年従事している商人ではなく、南部のゴロツキどもを頼ると!? 連中は利益のみを求め、愛郷精神の欠片もございませんよ!?」
「あら、ご自分たちの愛郷精神の欠落を棚に上げ、そんなことを仰るなんて、皆さんも面白いことを仰られますねえ。オホホホ」
旗色が悪くなっているのか、商人たちは目を泳がせる。しかしそれでも彼らは粘り続ける。
「で、では、条件のほうですが、我々も少し譲歩しまして――」
フリーデはすっと目を細め、三人の商人を睨め付けた。
商人たちがぐっと息を呑む。
三人の前でおもむろに取り出したペンで、すでに提示した条件の一つに横線を引く。
「な、なにを?」
「こちらの条件は取り消します」
「何ですと!?」
「誠意のない相手に譲歩するつもりはございません。先程、あなた方は貴族には貴族の、商人は商人の流儀がある、と仰いましたよね。では商人の世界にも、道理というもあるのでは?」
「それはどういう……」
「正当以上の対価を提示する相手に対し、強欲で応じるのは信義に背く、ということです。信義の何たるかも知らない強突く張りに譲歩するつもりは、ありません」
フリーデはペンを握る指先に力をこめる。
「ここでサインをするか、それともいけ好かない南部商人が北部で幅を利かせるのを良しとするか。私どもは良心的な条件を出したと自負しております。それが気に入らないのであれば、どうぞ席を立って下さい。お帰りはあちらです」
フリーデはさらに一つの優遇条件に取り消し線を引くため、紙にペン先を押し当てた。
「お、お待ちを、奥様! 分かりました!」
商人の一人が立ち上がった。
「そちらの条件でようございます!」
「おい、何を勝手に!」
「打ち合わせと違うじゃないか!」
突然の裏切りに、他の二人が泡を食う。
「打ち合わせ? 何のことですかな。私は奥様のご高説に感動詞、自らの愚かさを反省したのですよ!」
「では、サインを」
「はいっ。あ、あのぉ……」
「何か?」
「こちらの取り消された条件については……」
「それはすでに消えてしまった条件。ご不満ですか?」
「い、いえいえ! 確認したまででございます!」
「良かったわ」
フリーデは、残り二人の商人を見る。
「それで、あなた方は?」
「わ、私どもは……」
二人は顔を見合わせる。
「あら手がすべりましたわ」
さらに一つの条件を削除すると、二人は目を剥く。
「分かりました! サインいたします!」
「二つも優遇条件を削除してしまったのですけれど、それでもよろしくて?」
二人は喉の奥から呻きを漏らす。
「……構いません」
こうして三人の商人との我慢比べに勝利を果たした。
「良かった。皆さんなら分かってくれると信じていましたわ」
にこりと笑顔を見せる。
「では、握手でお別れを」
「お、奥様、本日はありがとうございました」
「……これからもよろしくお願いいたします」
「素晴らしい商談でございました」
商人たちはうなだれながら、メイドたちに連れ出されていった。
心の中でゆっくり100秒を数えてから、フリーデはソファーに寝そべった。
「はあぁぁぁぁぁ……なによ、あいつら、どんだけ粘るのよ……しんどすぎ……あぁぁぁぁぁぁ!」
素直な言葉を吐き出すと、多少気持ちが晴れる。
喋りすぎたせいで口周りの筋肉が引き攣っていた。
休もう。
フリーデはクタクタになり、目を閉じた。