夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

22 家族団欒

 目を開けると、ユーリと眼が合う。

「おはようございます、フリーデ様っ」
「おはよう、ユーリ。ふぁ……」

 と、ユーリの肩ごしに、ギュスターブと目が合う。
 朝日を浴び、彫りの深い顔立ちに艶っぽい影ができ、色気が立ちこめる。

「おはよう、フリ-デ」

 半ば枕に顔を押しつけたフリーデはくぐもった声で、「お、おはようございます……」と応じた。

「ユーリ。約束通り、フリーデが起きるまで待ったんだ。そろそろいいだろ」
「はいっ」

 ユーリが手を離すと、苦笑しながらギュスターブがベッドから立ち上がった。

「約束?」

 ねぼけ眼をこすりながら、聞く。

「お前が起きるまでここにいてください、って言われたんだ」
「だっていつもギュスターブ様は僕たちが起きると、いませんから。だから今日くらい、みんなで『おはよう』って、挨拶したいなって思ったんです!」
「ふふ、そうね」

 笑顔のフリーデは、ユーリの頭を優しく撫でる。
 ユーリの嬉しそうな顔を見ると、フリーデも嬉しくなる。

「みんなで、このまま朝ご飯に行きましょう!」
「私はいいけれど、ギュスターブ様は」
「構わない。行こう」

 フリーデとギュスターブは顔を見合わせ、「外で待っている」と彼は部屋を出ていく。

「さ、行きましょう!」
「そんなに焦らないで。今から着替えるから……っ」

 フリーデは侍女を呼んで、着替えの準備をした。
 着替えをして朝食の席につくと、他の使用人たちと共にいたルードが、「おや?」という顔をし、それから微笑ましそうに目を細めた。
 これまで三人がてんでばらばらに食堂に来ることはあっても、こうして三人一緒にやってくるのは、初めてのことだからだろう。
 メイドたちが朝食を並べていく。
 いただきます、と手を合わせて、食べ始める。

「ギュスターブ様、今日の予定は?」

 ウインナーを頬張り、ユーリが尋ねる。

「執務とそれから訓練だな。特別な予定はない」
「フリーデ様は?」
「私もギュスターブ様と執務をして、あとは特に予定はないわ」
「じゃあ、またみんなで出かけませんか?」
「街へ?」
「どこでもいいです。とにかく、みんなで……」
「私は構わないわ」
「俺も、問題ない」
「じゃあ、行きましょう! 約束ですよっ!」

 ユーリは期待に目を輝かせると、フリーデたちもまた笑顔になった。



「フリーデ様……っ」
「どうかした?」
「服は自分で着られますっ」

 そろそろ出かけるという時間にユーリの部屋を訪れたフリーデは、出かけることに浮かれる彼に上着を着せようとしたのだ。
 ユーリのサイズに合わせたもこもこの毛皮のジャケット。

「分かってるわ」
「じゃあ」
「今は服を着させてあげたいの……ダメ?」
「…………だ、ダメじゃありません」

 フリーデはわざと少し残念そうな顔と上目遣いを向けた。
 ユーリは頬を染め、大人しくなすがままになる。
 そんな様子をメイドたちが微笑ましそうに眺めた。

「ちゃんと手袋も。マフラーもね」

 あっという間にユーリはもこもこに埋まるような格好になる。
 訓練場で騎士たちと一緒に稽古に励む姿は、子どもながらに成長したあとの彼の風格を漂わせているが、今の姿は目の中にいれても痛くないくらい可愛い、年相応。

「ふふ、可愛い」
「……可愛いって言われても、うれしくありません……っ」

 嫌がっているというよりも恥ずかしがっているみたいだ。
 こんな風に何気なくユーリと会話を楽しめることが幸せだ。
 子どもの成長は早い。
 特にユーリは物語の主役だし、精神的にも早熟だから、同年代の子どもだちよりも早く親離れしてしまうかもしれない。
 こうして甘やかすことができるのは今のうちだけだろう。

「準備はできたか?」

 ギュスターブが部屋に顔を出す。

「今行きます」

 ユーリはフリーデとギュスターブと手をしっかり繋いで外に出ると、馬車が停まっていた。周囲にはスピノザをはじめとして騎士団の護衛がしっかりとつく。
 伯爵夫妻が出かけるのだからか、護衛は仰々しい。
 ただの散歩なのに。
 馬車に乗り込む。座席はギュスターブの向かいに、フリーデとユーリが座る。
 今日は風も弱く、日も出ていて、寒さは和らいでいた。
 最近はこうした穏やかな天候が続いている。

「もうじき春がきますね」

 フリーデは真っ白な雪原、その向こうにかすかに見える民家から出る炊煙を眺めながらぽつりと呟く。
 今日の外出は領地をぐるっと一周する予定。

「春と言えば、久しぶりに祭りに参加するな」

 ギュスターブと迎えるはじめての春。なんだか妙な感じだ。

 ――そう言えば去年の晩春、ギュスターブがユーリを連れてきたのよね。

 もうそろそろユーリが領地に来て一年も経つ。早いものだ。

「春にお祭りがあるんですか?」

 ユーリが興味津々に聞いてきた。

「今年もまた寒い冬を乗り越えられたことを祝う北部を上げての祭りだ。他の地域からも商人が来て、大きな市場が開かれて、そこでは各地の珍しい品物が並べられたり、人形劇や演劇、パフォーマンス……色々な催しが開かれるのよ」

 まるで毎年のように参加しているような口ぶりで、フリーデは説明するが、参加したのは北部に嫁いだ最初の何年か。参加と言っても、使用人たちに連れられ、戦争に出ているギュスターブの代わりに座って、領民の挨拶を聞いているだけだった。

「楽しそうですね!」

 ユーリはわくわくした顔をする。

「今年はみんなで行きましょう。ね、ギュスターブ様」
「そうだな」
「こんなに春が来るのが待ち遠しいのは、はじめてですっ!」
「ね、ユーリ。もっとくだけた話し方をしてもいいのよ」
「え……?」
「いつまでも、そうして丁寧な言葉じゃなくてもいいってこと。私たちが一緒に暮らすようになってそろそろ一年なんだもの」

 笑いかけると、ユーリは戸惑ったようにフリーデとギュスターブを見つめる。

「でも僕は引き取ってもらって……お二人に色々としてもらってるので……」
「ユーリは、私たちにとってはもう立派な家族の一員なんだから」
「家族……」

 ユーリはギュスターブに目をやる。彼も力強く頷いた。

「うん……わ、分かった」

 ――可愛すぎて我慢できない!

 頬を赤らめながら、たどたどしく言う様に、フリーデは我慢できず、ユーリを抱きしめる。
 前世で結婚したことがなかったから余計に愛おしさが募る。
 抱きしめるだけでなくて、膝の上にしっかりのせる。

「ふ、フリーデ様!?」
「もう、家族に、様づけはないでしょ?」

 たしか原作で、ユーリは本当の母親のことをママと呼んでいた。回想シーンでそんな描写があったはずだ。

「あうぅぅ」
「なーんてね」

 ユーリのきょとんとした顔に、くすりと微笑んだ。

「ごめんね。つい昂奮しちゃって。好きに呼んでいいわ。いきなり何もかも変えろなんて無理な話だもん。好きに呼んでいいし、敬語が混ざっても大丈夫。ゆっくり馴れていきましょう。――あ、見て。ユーリ、ウサギよっ」

 雪をかぶった平野に動くものがあって、偶然、見つけることができた。

「あ!」
「ギュスターブ様、私はウサギが好きなんです」

 ギュスターブにもしっかり教えておこう。
 昨夜お互いを知り合いましょうと提案したのは、フリーデなんだから。
 ギュスターブは「そうか」と微笑ましそうに頷く。

「僕は、馬っ」
「本当にローランが気に入ったのね」
「ローランだけじゃなくって、他の馬も大好きです……じゃなくて、好きっ」

 フリーデとユーリは二人して、向かいに座るギュスターブを見る。

「俺は、そうだな……昔、父親に連れられていった野営の訓練の時に見た、雪蛍、だな」
「ユキボタル?」

 フリーデは「知ってる?」と聞くように、ユーリを見る。ユーリは首を横に振った。

「蛍っていうことは虫ですか? 夏の蛍みたいな?」
「そうだ」
「どこで見られるんですか? もし見られる場所があるなら」
「……そうだな」

 ギュスターブはふっと頬を緩めると、「森のほうへ行け」と御者に指示を飛ばし、さらに護衛としてついてきているスピノザにもなにがしかを命じる。スピノザはすぐに行動に移った。

 ――蛍を見に行くだけ……だよね?

 たしかに伯爵家の当主が予定外の行動をとるのだからそれなりの準備や、ルードたちへの連絡など必要なのかもしれない。
 フリーデはあまりに気軽にお願いしてしまったかなと反省してしまう。

「ギュスターブ様、やっぱり蛍は別の機会に」
「ダメだ」
「な、なぜです?」
「お前がはじめて、俺に何かを望んでくれたんだ。それを叶えないわけにはいかないだろう。それに、こいつらにも野営の訓練にもなる。だから自分の一言のせいで大事になった、なんて思うなよ」
「う」

 お見通しだったらしい。
 馬車は森のほうへ向かっていく。
 針葉樹林の木々の中、差し込む夕日の茜色が樹木の褐色や、葉の緑、雪の白さと絡みあい、美しく森の中を照らし出している。
 しばらく進むと、馬車が止まる。

「ひとまずここで野営だ」

 ギュスターブが言った。

「野営? 蛍を見に行くのではないんですか?」
「見るさ。でも蛍が活動するのは夜だからな」

 しばらくすると、スピノザが援軍の騎士を引き連れて現れた。
 スピノザがテキパキと彼らにテントを張るよう命じ、また馬の世話などに他の騎士たちが当たる。
 騎士たちは木々を伐採して手に入れた木材を乾かし、火を熾す。

「奥様、テントの準備が整いましたので、どうぞ」

 スピノザが報告をする。

「ユーリ、行きましょう」
「うん」

 スピノザに案内されてテントに入る。

「え、これがテント、ですか?」
「すごい。普通の部屋みたい……」

 ユーリもびっくりしたように目を大きくする。
 見た目はテントだが、中身は居間と変わらない。テーブルセットに、地面にはフカフカの絨毯が敷かれ、中央には即席の暖炉が設けられ、テントの中をぽかぽかと温めてくれていた。

「ここでおくつろぎください」
「ありがとう」
「では、失礼いたします」

 テントから外を覗くと、ギュスターブが騎士たちにあれやこれやと指示を飛ばしていた。 てきぱきと動く騎士たちの様子を、ユーリは興味津々に眺める。
 完全に日が沈むと、獣よけの篝火や暖を取るための焚き火の明かりが、夜の静まり返った森を鮮やかに照らす。
 ギュスターブがテントに入って来る。

「居心地はどうだ? 屋敷と比べると不便だろうが」
「い、いいえ! これだけしてくれて本当にありがたいのですが……やりすぎ、というか……。とてもテントの中だとは思えないくらいくつろいでおります」
「そうか。……茶を淹れた。ユーリと飲んでくれ」

 カップを二つ渡してくれる。

「ありがとうございます。ここまでしてくださるなんて」
「せっかくの家族団欒で、風邪を引かせるわけにはいかないからな」

 外からいい香りがしてきた頃、スピノザと他の騎士たちが野菜スープ、肉料理、パンなどを届けてくれる。パンには溶けたチーズが載せられていた。

「スピノザさん、色々とすみません。私が不用意に口走ってしまったせいで、手間を色々とかけさせてしまって」
「お気になさらず。ギュスターブ様がご家族のためにここまでされることが、私には嬉しいんです」

 スピノザはにこやかに言った。

「そうなんですか?」
「ええ。ずっと、お二人の仲を、騎士団一同、気に掛けておりましたので」
「……それは……あの、ありがとうございます……」
「では奥様、失礼いたします」

 スピノザはきびきびとした動きでテントを出ていった。
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