夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました
23 雪蛍
「そろそろ行くか」
食事をすませてしばらくすると、ギュスターブは腰をあげた。
フリーデは寄りかかっているユーリを軽く揺らす。
「んぁ……?」
「ユーリ、平気?」
「へ、平気……」
そう言いながらも、ユーリの目はとろんとして瞼が重たそうだ。
「無理は」
「だ、大丈夫……。僕、みんなで、雪蛍が見たい……っ」
「じゃあ、行こっ」
夜の森の中は身を切るような冷たさで、昼間の温かさが嘘のよう。
荷物を背負ったギュスターブが案内役として尖塔を進み、フリーデ、ユーリ、それからスピノザと数人の騎士が護衛につく。
ドレスの上に毛皮の上着を羽織っても、寒さが骨身に染みた。
「フリーデ、大丈夫か。歩きにくいなら抱き上げる」
「ど、どうして私を抱き上げるんですか。どうせするんだったらユーリにしてあげてください……っ」
フリーデは頬を染めた。
「ユーリは大丈夫そうだからな」
この寒さで目が覚めたのか、ユーリはさっきよりも元気に誰も踏みしめていない雪に足跡を刻むのに夢中だ。
「わ、私だって大丈夫です。大人なんですからっ」
そんな恥ずかしい姿はユーリに見せたくない。
「無理はするなよ」
「大丈夫です」
降り積もった雪を踏みしめ、十分ほど歩いただろうか。
「このあたりだ」
ギュスターブは立ち止まると、中腰になった。
その隣にフリーデたちも並んで同じ姿勢になる。
彼は木々の間をじっと見つめている。
夜の闇の中には蛍と思わせるような光はどこにも見当たらなかった。
ギュスターブは荷物の中から大きめの外套を取り出すと、フリーデたちを包み込んでくれる。やっぱり人肌は温かい。
「あの……近くないですか?」
「そんなことはないだろ」
いや、確実に近い。というか、どさくさに紛れて肩まで抱かれてしまっている。
ユーリの手前、ふりほどけない。喧嘩してると心配させたくない。
――温かいから、受け入れてるの。それ意外に理由はないわ。
フリーデはそう自分に言い聞かせると心の中で呟く。
「……そろそろだ」
ギュスターブは空を眺めながら呟く。風に流された雲が月を隠す。
月明かりがなくなり、闇の深さに本能的な恐怖を覚え、首をすくめたその時、降り積もった雪が風もないのに巻き上げられた――そんな風に見えた。
巻き上げられたのではない。飛び立ったのだ。
雪の上で羽を休ませていたであろう無数のそれが。
「あっ」
フリーデは白い息とともに、感嘆の声を漏らしてしまう。
蛍のように黄緑がかった黄色ではなく、青白い、月明かりのような。
無数の雪蛍が木々の間をすり抜けるように、飛び回る。
闇の中に青白い光が尾を曳く。
幻想的。そんな言葉が陳腐に思えるような美しさ。
「すごい……。これが、雪蛍なんですねっ」
「普段は雪に擬態して外敵をやりすごし、こうして光がなくなった真の闇の中で求愛のために飛び立つ……。はじめて見た時、言葉を失った。こんなものがこの世界に存在するなんて信じられなかった。夢でもみているみたいに思ったよ」
それは決して大袈裟な言葉ではない。
まるで夜空に瞬く星々が何かの手違いで地上へ舞い降りてきたかのよう。
何百という燐光が一定周期で瞬きを繰り返しながら、競い合うように明度をさらに高めていく。
現代でイメージするのはクリスマスイルミネーションに近いかもしれない。
でも雪蛍は生き物なのだ。人の手が一切入っていない、自然の造形だからこそ、感動もひとしおだ。
「雪蛍は幼虫の時は土の中で過ごし、栄養を蓄えるために土を食べる。そうして土の中で蛹になってああして出てくる。子孫を残すためだけに。水分を取ることしかできないから、長生きもできない。寿命は一週間。その間、ああして命を燃やす」
その生き方はまるで物語の中のギュスターブのよう。
ただ一人、ユーリのためだけに己の身も顧みず、最期の最期まで命を燃やして戦い続けた彼の。
どれだけ燐光に見入っていただろう。
「……そろそろ戻ったほうがいいな」
ギュスターブのそんな囁きで、はっと我に返った。
「どうして?」
まだ命の競演は続いている。
ギュスターブが目線だけで示す。
ユーリがこくこくとゆるやかに体を前後に揺らしていた。
「そうね、帰りましょう」
フリーデが抱き上げようとするのを、ギュスターブが「俺がやろう」とやんわりと止めてた。
「じゃあ、お願いします」
「ユーリ、帰るぞ」
穏やかで落ち着いた声音で囁いたギュスターブは、ユーリを抱き上げた。
はっとしてユーリは目覚めた。
「あ、僕は大丈夫。まだ見るぅ……」
ろれつが回っていない。
「大丈夫。また来年の冬にでも見にこよう。冬はどこにも逃げないからな」
ユーリはギュスターブの首に両腕を回す。
その姿は立派なお父さん。
本人もまんざらでもなさそうな顔をしている。
「ギュスターブ様、ありがとうございます」
「ん?」
「連れて来てくれて。雪蛍、とっても素敵でした」
「良かった」
そう彼は穏やかに答えた。
原作に逆らい、生き残った価値があると言えば少々大袈裟になるかもしれないが、でも生きてて良かったとしみじみ思う。
テントに戻ると、簡易寝台に横になった。
屋敷と同じように、ユーリを間に挟んで。
「おやすみ、ギュスターブ様」
「おやすみ、フリーデ」
フリーデは幸せを噛みしめながら、目を閉じた。
食事をすませてしばらくすると、ギュスターブは腰をあげた。
フリーデは寄りかかっているユーリを軽く揺らす。
「んぁ……?」
「ユーリ、平気?」
「へ、平気……」
そう言いながらも、ユーリの目はとろんとして瞼が重たそうだ。
「無理は」
「だ、大丈夫……。僕、みんなで、雪蛍が見たい……っ」
「じゃあ、行こっ」
夜の森の中は身を切るような冷たさで、昼間の温かさが嘘のよう。
荷物を背負ったギュスターブが案内役として尖塔を進み、フリーデ、ユーリ、それからスピノザと数人の騎士が護衛につく。
ドレスの上に毛皮の上着を羽織っても、寒さが骨身に染みた。
「フリーデ、大丈夫か。歩きにくいなら抱き上げる」
「ど、どうして私を抱き上げるんですか。どうせするんだったらユーリにしてあげてください……っ」
フリーデは頬を染めた。
「ユーリは大丈夫そうだからな」
この寒さで目が覚めたのか、ユーリはさっきよりも元気に誰も踏みしめていない雪に足跡を刻むのに夢中だ。
「わ、私だって大丈夫です。大人なんですからっ」
そんな恥ずかしい姿はユーリに見せたくない。
「無理はするなよ」
「大丈夫です」
降り積もった雪を踏みしめ、十分ほど歩いただろうか。
「このあたりだ」
ギュスターブは立ち止まると、中腰になった。
その隣にフリーデたちも並んで同じ姿勢になる。
彼は木々の間をじっと見つめている。
夜の闇の中には蛍と思わせるような光はどこにも見当たらなかった。
ギュスターブは荷物の中から大きめの外套を取り出すと、フリーデたちを包み込んでくれる。やっぱり人肌は温かい。
「あの……近くないですか?」
「そんなことはないだろ」
いや、確実に近い。というか、どさくさに紛れて肩まで抱かれてしまっている。
ユーリの手前、ふりほどけない。喧嘩してると心配させたくない。
――温かいから、受け入れてるの。それ意外に理由はないわ。
フリーデはそう自分に言い聞かせると心の中で呟く。
「……そろそろだ」
ギュスターブは空を眺めながら呟く。風に流された雲が月を隠す。
月明かりがなくなり、闇の深さに本能的な恐怖を覚え、首をすくめたその時、降り積もった雪が風もないのに巻き上げられた――そんな風に見えた。
巻き上げられたのではない。飛び立ったのだ。
雪の上で羽を休ませていたであろう無数のそれが。
「あっ」
フリーデは白い息とともに、感嘆の声を漏らしてしまう。
蛍のように黄緑がかった黄色ではなく、青白い、月明かりのような。
無数の雪蛍が木々の間をすり抜けるように、飛び回る。
闇の中に青白い光が尾を曳く。
幻想的。そんな言葉が陳腐に思えるような美しさ。
「すごい……。これが、雪蛍なんですねっ」
「普段は雪に擬態して外敵をやりすごし、こうして光がなくなった真の闇の中で求愛のために飛び立つ……。はじめて見た時、言葉を失った。こんなものがこの世界に存在するなんて信じられなかった。夢でもみているみたいに思ったよ」
それは決して大袈裟な言葉ではない。
まるで夜空に瞬く星々が何かの手違いで地上へ舞い降りてきたかのよう。
何百という燐光が一定周期で瞬きを繰り返しながら、競い合うように明度をさらに高めていく。
現代でイメージするのはクリスマスイルミネーションに近いかもしれない。
でも雪蛍は生き物なのだ。人の手が一切入っていない、自然の造形だからこそ、感動もひとしおだ。
「雪蛍は幼虫の時は土の中で過ごし、栄養を蓄えるために土を食べる。そうして土の中で蛹になってああして出てくる。子孫を残すためだけに。水分を取ることしかできないから、長生きもできない。寿命は一週間。その間、ああして命を燃やす」
その生き方はまるで物語の中のギュスターブのよう。
ただ一人、ユーリのためだけに己の身も顧みず、最期の最期まで命を燃やして戦い続けた彼の。
どれだけ燐光に見入っていただろう。
「……そろそろ戻ったほうがいいな」
ギュスターブのそんな囁きで、はっと我に返った。
「どうして?」
まだ命の競演は続いている。
ギュスターブが目線だけで示す。
ユーリがこくこくとゆるやかに体を前後に揺らしていた。
「そうね、帰りましょう」
フリーデが抱き上げようとするのを、ギュスターブが「俺がやろう」とやんわりと止めてた。
「じゃあ、お願いします」
「ユーリ、帰るぞ」
穏やかで落ち着いた声音で囁いたギュスターブは、ユーリを抱き上げた。
はっとしてユーリは目覚めた。
「あ、僕は大丈夫。まだ見るぅ……」
ろれつが回っていない。
「大丈夫。また来年の冬にでも見にこよう。冬はどこにも逃げないからな」
ユーリはギュスターブの首に両腕を回す。
その姿は立派なお父さん。
本人もまんざらでもなさそうな顔をしている。
「ギュスターブ様、ありがとうございます」
「ん?」
「連れて来てくれて。雪蛍、とっても素敵でした」
「良かった」
そう彼は穏やかに答えた。
原作に逆らい、生き残った価値があると言えば少々大袈裟になるかもしれないが、でも生きてて良かったとしみじみ思う。
テントに戻ると、簡易寝台に横になった。
屋敷と同じように、ユーリを間に挟んで。
「おやすみ、ギュスターブ様」
「おやすみ、フリーデ」
フリーデは幸せを噛みしめながら、目を閉じた。