夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

26 乗馬練習

 ギュスターブ、ルード、フリーデによる恒例となった話し合いのテーマは、春の祭典に関することだ。
 今年は例年よりもずっと予算が潤沢なおかげで食糧や酒の手配をいつも以上に迅速に、大量に行っていた。

「せっかく色々なところから見物客が来るのだから、氷も振る舞いたいわ」

 春と言っても雪が溶けて温かいのは平野部で、氷室のある山は一年を通して雪が残っている。

「そうだな。北部産の氷を国中、いや、大陸中に広めるまたとない機会だ」
「ただ氷を提供するだけでなく、氷の彫像なんかも用意してみてもいい宣伝になるかもしれません」
「面白い趣向だな。ルード、どうだ?」
「かしこまりました。彫刻師と打ち合わせをしてみます」
「頼む」

 こうして会合が終わり、ほっと一息ついてフリーデは廊下に出た。

「フリーデ様、お仕事はもう終わった!?」

 ユーリが待っていたのでびっくりする。

「え、ええ、終わったけど、どうかした? 今日勉強は……」
「じゃなくて、乗馬! この間、約束したよねっ!」
「あ、ああ……そうだったわね」

 ユーリは僕は忘れてないという訴えるように小指を立てて見せる。

「もしかしてこれから?」
「うんっ」
「待って。その前に着替えてくるから」
「えー。そのままでも大丈夫だよっ」
「さすがにドレスで乗馬は……。すぐに済むから」
「じゃあ、早くしてねっ」
「はいはい」

 会合の間中ずっと終わるのを待っていたのだろう。ユーリは焦れったそうな顔をしていた。

 ――急だけどね、今さら断るわけにもいかないわね。

 フリーデは気合いを入れ、乗馬服に着替えた。

「お待たせ」
「行こっ!」
「わわ!」

 ユーリに手を引かれ、馬場に向かう。
 本当にローランを練習に使うようだ。

 ――英雄の愛馬で乗馬の練習なんて畏れ多いわね……。

 原作の中では、ローランのことを戦場を駆け抜ける一陣の黒い風と称したりもしている。

「大丈夫。僕がしっかり轡をもっているからっ」

 ユーリは安心させようと声をかけてくれた。

「え、ええ。そうよね」

 フリーデは台に乗ると、恐る恐る鞍に跨がった。
 仔馬とはいえ、大きい。
 それに跨がると、結構な高さがあって怖い。

「そうして手綱を握って。フリーデ様はただ跨がっていればいいいから。まず馬に乗るっていう感覚を体に馴染ませるんだよ」

 ――得意げに説明してくれるユーリも可愛いっ。

 微笑ましくなる。

「フリーデ様、ちゃんと前を向いてっ。初心者がよそ見をしたらそれこそ危ないんだからっ」
「あ、そうね。ごめんね」

 言われた通り、前を向く。

「背中も曲がってるっ。ちゃんと背筋を伸ばして」
「こ、こう?」
「もっとビシッて感じ!」

 ――ユーリ、以外にスパルタ!?

 ユーリの知らなかった一面に戸惑いつつ、言われた通りにしてみる。

「じゃあ、ゆっくり歩かせるね」

 ユーリは馬の轡を掴み、歩き出す。

「ひ……!」
「大丈夫?」
「ちょ、ちょっと揺れてびっくりしただけ……」

 ユーリはしきりに振り返りつつ、ゆっくりと馬場を一周してくれる。
 最初はびくついていたけれど、少しずつ周りに目をやる余裕がでてきた。

 ――もしかして乗馬の才能がある?

 慣れてくると、気持ちいいと思える余裕もでてきた。

「――なかなか筋がいいじゃないか」
「ギュスターブ様」

 ギュスターブが馬場を囲う柵に寄りかかっていた。様子を見に来てくれたのだろう。

「だいぶ扱かれてるみたいだな」
「そ、そう見えますか?」
「そうとしか見えない」
「そこは微笑ましい親子のやりとり、とか言えないんですか?」

 ユーリは「ダメ!」と真剣な顔で手足を広げてギュスターブの前にたちはだかると、フリーデを背中に庇う。

「ユーリ? どうかしたの?」
「ギュスターブ様、今は僕が教えてるから邪魔しないで」
「俺だって乗馬は得意だぞ?」
「フリーデ様には僕が教えるからっ」

 そう言うユーリはとても微笑ましい。ギュスターブも同じことを思っているみたいで、怒ったユーリとは裏腹に、口元は緩んでいる。

「分かった。じゃあ、ユーリ、頼むな」
「うん!」
「フリーデ、がんばれよ」
「任せて下さい! そのうち、ギュスターブ様も追い抜くほどに上達しますからっ!」
「じゃ、フリーデ様! 次はさっきよりローランが速度を出すからね!」
「え、ええええ……? それは少し早くない……? もう少し段階を踏んだほうが」
「大丈夫。ローランと僕を信用してっ」

 ますますやる気になったユーリのスパルタ乗馬レッスンは結局、日が沈むまで行われた。



 翌日は案の定、全身の筋肉痛と腰痛に襲われ、動けなかった。

「ごめんね、ユーリ。今日からしばらく乗馬はお休みでいい?」

 ベッドに入ったまま、フリーデはユーリに小さく手を合わせる。

「フリーデ様、ごめん……僕……」

 ユーリは今にも泣き出してしまいそうで目を潤ませ、床に正座をしていた。

「そんな顔しないで。ほら、立って。よかれと思ってやってくれたんだから。ただ私が運動不足気味だったから」

 ギュスターブが、ユーリの頭を優しく撫でると、膝を折り、目線を合わせる。

「ユーリ、張り切るのもいいが、これからは気を付けろ」
「うん……」
「これくらい少し休めば治るわ」

 フリーデもにこりと微笑む。

「本当?」
「俺の兵士たちもこれまで馬に乗ってこなかった奴はだいたい、みんなこんな感じだからな。十日も休めば……」
「と、十日……そんなに!」

 ユーリの顔にはそんなに、と書いてある。
 フリーデは咳払いをして、ギュスターブのことをじっと睨んだ。
 ばつが悪そうな顔をしたギュスターブは「仕事があるから、看病を頼むぞ」とユーリに言った。

「任せて! フリーデ様が早く治るようにお手伝いするっ!」
「フリーデ。それじゃ、俺は執務に出てくる。よく休めよ」
「はい、いってらっしゃいませ」

 ギュスターブが部屋をでていくと、フリーデはベッドの背板に背中を密着させ、ベッドに深く腰かける格好で本を読む。
 ユーリはあれやこれやと甲斐甲斐しくお世話をしてくれる。
 食事を運んでくれたり、動けないフリーデの代わりに書類を運んでくれたり。

「ユーリ、ありがとう。でも今日はたしか剣術の訓練があるんじゃなかった? 私のことは大丈夫だから……」
「ううん、今日は先生に休むって伝えたから大丈夫」
「ユーリ」
「フリーデ様もギュスターブ様も優しいから責めないけど、でもフリーデ様の体のことを考えなかったのは僕の責任だから」
「じゃあ、休むのは今日だけにして? ユーリは色々と学ばなきゃいけないことがたくさんあるから。それにスピノザたちだってあなたのために時間を作ってくれていることも忘れてはダメ。私はただの腰痛と筋肉痛なんだから。ね?」
「分かった。でも今日一日はお世話するからっ」

 数時間後、ユーリはさすがに疲れてしまったのか、ベッドに頭を預け、すぅすぅと寝息を立てている。

「ふふ。あなたがそばにいてくれるだけで、癒やされるわ」

 フリーデは頬を緩め、ユーリの頭を優しく撫でる。
 扉がノックされた。

「はい」
「入ってもいいか?」
「どうぞ」

 ギュスターブが入って来る。眠るユーリに、目元を柔らかくし、それからフリーデに視線を向ける。

「具合は?」
「腰は痛いままですけど、それ以外は健康体そのものですっ」
「食欲は?」
「そっちも問題ありません。シオンからよく効く痛み止めをもらいましたから、明日からはそれで何とか」
「無茶をするなよ。痛み止めは痛みを一時的に散らすだけで、痛みの原因を取り除くわけじゃない。下手をすると依存しかねない」
「依存って……さすがに大袈裟だと思いますけど」
「シオンの処方だからそこまで強い薬ではないんだろうが、無理はするな。できるかぎり薬は使わず、安静してくれ。癖になると大変だからな」
「ふふっ」

 ギュスターブの言葉に思わず笑ってしまう。

「おかしなことを言ったか?」

 ギュスターブは首をかしげた。

「ユーリもそうですけど、そんな過保護にならなくても大丈夫です」
「分かってるが、心配なんだよ。ただの腰痛、筋肉痛とはいえ。なにかして欲しことや、欲しいものは?」
「それじゃあ、ユーリを私の隣に寝かせてください」
「分かった」

 ギュスターブは、ユーリをそっと抱き上げて、フリーデの隣に寝かせてくれた。

「ユーリのやつ、また大きくなったんじゃないか?」
「かもしれませんね。また新しい服を仕立てないと」
「すぐに手配する」
「ありがとうございます。子どもの成長は本当にあっという間なんですね」
「だからって今からそんな寂しい顔をするなよ」

 ギュスターブはくすりと笑う。

「ですね。すみません。あ、これ、今日の書類です。ルードに渡してください」
「分かった。今日の夕食は三人で、ここで取ろう」
「はい」
「じゃ、また来る」
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