夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました

27 春の祭典

 いよいよ春の祝祭当日を迎える。その頃にはフリーデはすっかり回復していた。
 朝早く起きて支度を調え、ユーリには子どもには堅苦しい礼装を着せる。普段着と違って動きにくい服装をさせてしまっているが、ユーリは文句を言わない。

「どう? 首元、苦しくない?」
「大丈夫」
「よし。じゃ、これをかぶって」
「これ、本当にかぶらなきゃ駄目……?」
「ごめんね。邪魔だと思うけど我慢して。街には色んな人がいるから、そのまんまのユーリだと目立って、誘拐を考える人がいるかもしれないから」
「もしそうだったら僕が倒すよ!」
「駄目。危ないことはしないで。そうならないための変装なんだから」
「……う、うん」

 ユーリは子ども用のタキシードでネクタイまできっちり締め、黒髪のかつらをかぶせた。
 ギュスターブは軍服で、フリーデは春らしい黄色と緑を取り合わせたドレス。
 以前、ユーリが選んでくれた、瞳と同じ石のネックレスをする。

「そろそろ行くか」

 ギュスターブは左腕を差し出してエスコートをしてくれる。
 フリーデは左手でユーリと手をつないで、屋敷の外で待機している馬車に乗り込んだ。
 護衛を務めるスピノザ以下、騎士団の面々も正装で華やか。
 祭りの期間中はアンナや使用人たちは休暇をとれるから、祭りを楽しんでいるはずだ。
 祭りは北部にある大小様々な街で行われる。フリーデたちはその街を巡る。
 天気は穏やかで、風は温かく、心地いい。
 伯爵家の馬車が街に繰り出すと、住民全員で出迎えられ、町長からの挨拶、それから街の人たちによる催しを経て、次の街へ。

 これを全ての街を巡るまで続ける。
 祭りの期間が三日間取られているのは、つまり、こういう理由からだ。
 ちなみにユーリの立場は、伯爵家の養子だ。
 街をめぐるごとに、そこで育てられた花を一輪受け取る。三日間を無事に過ごすと、一束の見事な花束ができあがる。これが北部の人々の結束の証。
 馬車の中が甘い香りで包まれるのは、心が躍る。
 無事に一日目を終えると、フリーデたちはその日の宿に宿泊する。宿と言っても、宿屋ではなく、事前の申し合わせ通り、一軒家を用意してくれていた。

 ――一生分の笑顔を見せたようなきがしたけど、これをあと二日分、しなきゃいけないのよね。

 頬をマッサージしながらそんなことを考える。
 ギュスターブはと言えば、いつものむっつり顔である。それが軍人らしい厳格さを演出していることもあって、何にも違和感はないのが羨ましい。
 さすがに華やかなドレス姿でがむっつり顔をさらすわけにはいかない。
 しかし心配なのはユーリである。
 一日目は無事に乗り切れたが、二日目はまた朝から街を巡る予定だ。
 いくら大人びているとはいえ子どもである。あと二日間、付き合わせるのは難しいだろうと思ったのだ。
 そのことを話し合うため、ギュスターブの寝室を訪ねた。

「一足早くユーリには屋敷に帰らせたほうがいいと思うんですけど、ギュスターブ様はどうお考えですか?」
「俺もユーリが気になってた……」
「僕なら大丈夫だよっ」

 ユーリが部屋に飛び込んできた。

「ユーリ、どうして」
「フリーデ様の部屋を訪ねたら留守だったから、もしかしたらギュスターブ様の部屋にいるかもと思って。僕もちゃんと行く。街の人たちみんなが歓迎してくれるのに、どうして自分たちの街だけ僕が顔を出さなかったのかって思わせたくないんだ」
「ユーリ、その気持ちはすごく嬉しいけど、無理をしたらあとが辛いわ」
「僕のことは気にしないで。それより街の人たちの気持ちのほうがよっぽど大切だからっ」

 そんなことまでユーリが考えていたことに、フリーデだけでなく、ギュスターブまで驚かされながらも、ユーリの意思を尊重して最後までしっかり街を巡ろうということになった。
 二日目もしっかりと街を巡り、いよいよ最終日。
 はじめてユーリたちと買い物に出かけた街へ向かう。
 今日のメインイベントは夜の祈りである。
 このために、王都の司祭が北部へやってくる。
 また一年、北部がそこに住まう人々が幸せいられるよう祈りを捧げてくれるのだ。
 街に到着した時には日が暮れ、星が瞬く。
 市長から挨拶を受け、教会へ案内される。
 会場である教会の周りは、住人で賑わっていた。
 騒ぎを避けるために裏から教会に入り、席に着く。
 時刻になると、司祭が壇上に立つ。

「っ!」

 フリーデは目を瞠り、全身に嫌な汗をかいてしまう。

「みなさん、こんばんは。今年もまた祝祭を見届けることができて、嬉しく思っております」

 司祭の顔を一目見た瞬間、血の気が引き、フリーデは全身の鳥肌という鳥肌が立つのを感じた。
 神々しい白いローブに身を包んだ司祭、その声が教会にろうろうと響きわたるが、フリーデの耳には右から左へと抜けていく。

 ――違う……司祭なんかじゃない……!

 原作で、フリーデを殺し、物語序盤でギュスターブに殺される、王都からの刺客だった。
 組んだ掌がみるみる汗ばみ、体が小刻みに震えてしまう。
 落ち着かなければと思うが、どうしても震えを抑えられなかった。

 ――どうしてバレたの?

 ここ最近、王都のことはほとんど考えていなかった。
 平和で穏やかに過ぎていく日々に、自分がシリアスな物語の世界にいることを完全に忘れていた。

「おい、フリーデ」
「フリーデ様?」

 はっとしてそちらを見ると、ギュスターブたちがじっと見ていた。
 気付けば、司祭の説教は終わっていた。

「顔色がひどいぞ」

 ギュスターブが心配してハンカチを差し出してくれる。

「あ、ありがとう……」

 かすれた声をこぼし、汗を拭う。
 心配させまいと微笑んだつもりが頬が少し引き攣らせるくらいしかできなかった。
 市長が顔を出す。

「司祭様が是非、伯爵様とお話をしたいと仰っております」
「そうか、分かった」
「! ごめんなさい。私、気分が……」

 フリーデはギュスターブの手を握り、行かないでと訴える。少しでもあの男との接触は避けたい。ギュスターブは頷く。

「悪いが、妻が体調を崩したようだ」
「それは大変ですね。ではすぐに医者をここに」
「その必要はない。今から戻る。だから司祭には」
「分かりました。司祭様への伝言と歓待に関してはお任せください」
「すまない。後日、礼をさせてもらう」

 市長に見送られ、フリーデとユーリに支えられながら教会を出て馬車に乗り込んだ。
 ギュスターブはゆっくり走るよう御者に命じると、隣に寄り添い、右手を握りながら背中をさすってくれる。

「……本当にごめんなさい。せっかくの祝祭なのに」
「謝るようなことか。三日間も長い距離を移動したんだ。疲れが出たのだろう。屋敷についたら起こすから休め」

 ありがとうございます、とフリーデは謝り、目を閉じた。
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