夫に離婚を切り出したら、物語の主人公の継母になりました
7 買い物
そんなことより、ユーリのことを考えよう。
ギュスターブのことを頭から追い出し、部屋を訪ねる。
ユーリは自分の部屋だというのに両手を膝の上において、本をめくっている。その顔はお世辞にもくつろいでいるとは言えない、困ったような顔をしている。
「ユーリ」
「あっ、フリーデ様!」
ユーリの顔にようやく笑顔が戻ってくれる。
「みんな、下がっていいわ。――座ってもいい?」
「もちろんですっ」
メイドを下がらせると、向かい会うように椅子に座った。
「あの、紅茶を、どうぞ」
ユーリは不器用な手でティーカップにお茶を注ぐが、まだ力もないから手元が狂い、こぼしてしまう。
「あっ、ごめんなさいっ」
「大丈夫」
ハンカチでテーブル拭き、ユーリの代わりにお茶を注ぐ。
「すいません。お役に立てなくて」
「子どもなんだから、役に立つとかどうでもいいことを考えなくても大丈夫だから。あなたのお世話をするのは大人の務め。本を読んでいたの?」
ユーリは曖昧に頷く。その時、その目が泳ぐ。
「ん?」
「あの……そのぉ……」
その顔で、ピンときた。
「字が読めないのね」
ユーリは顔を真っ赤にして頷く。
きっとメイドから暇なら読書でもと薦められ、断り切れず、呼んでいるフリをしていたのだろう。
「文字の読み書きを教えよっか?」
「本当ですか?」
「文字の読み書きは大切だから」
「お願いしますっ」
「いいわ。じゃあ、早速やりましょっか」
「はい!」
こうして一時間ほどユーリに読み書きを教えた。ユーリは真面目な顔で、フリーデがお手本として書いた文字を見よう見まねで書く。
「少し休憩にしましょう」
「まだ出来ます」
「根を詰めすぎたら駄目。千里の道も一歩から。少しずつ進めていきましょう。焦らなくても、時間ならたくさんあるんだから。ね?」
「……はい」
その時、扉が開けられた。
「ギュスターブ様!」
ユーリは嬉しそうな笑顔で、立ち上がった。
自分だけの笑顔でないことに、ちょっと嫉妬してしまう。
「もうお仕事はよろしいのですか?」
「ああ。ユーリと、君と時間を過ごそうと思って。今は何を?」
ユーリははっとしてテーブルの上に広げられた汚い文字を書き殴った紙を隠すが、すでにそのうちの一枚をギュスターブは取り上げていた。
「文字の練習か。頑張れ。少しずつやっていけば習得できる」
「……わ、笑わないんですか?」
「笑う理由がないだろう。学ぶことは大事だ」
笑われないことにほっとしたユーリは頷く。
「フリーデ様も同じことを。せんりの……えっと……」
「千里の道も一歩から?」
「それですっ」
ギュスターブは、ユーリの頭をくしゃっと撫でると、彼は嬉しそうにはにかんだ。
子どもと言っても男の子。ギュスターブに褒められるのと、フリーデに褒められるのとでは、違うのだろうか。
――ライバルはギュスターブ様ってわけね。
フリーデは心の中で静かな闘志をメラメラと燃やす。
「良ければギュスターブ様もお時間を見つけて、ユーリになにかを教えてあげるのもよろしいかと思います」
「そうだな。ま、俺ができるのは体を動かすことくらいだからな」
「運動も大切ですね」
「なら早速だが、これから三人で出かけよう。ユーリの服を揃えなければな」
「服はこれがありますしっ」
ユーリは今着ているものをみせる。その服は使用人の子どものお古だ。
「新品にこしたことはないだろ」
「僕は、あの……使用人の人たちと同じ格好でいいんです。こんな広い部屋まで頂いてしまっているのに、服まで買ってもらうわけにはいきません……」
ユーリは申し訳なさそうに身を縮こまらせた。
「ユーリ。子どものうちからそんな遠慮ばかりしていては駄目よ。ギュスターブ様が買ってくださると言うんだから甘えていいの」
「甘える……、ですか?」
「そう。欲しいものがあれば欲しいって言っていいの。遠慮されたほうが寂しいもの」
「分かりました」
フリーデは微笑み、「ちょっと待ってね」とギュスターブの袖を引く。
「どうかしたか?」
「……街には色んな人の目があります。ユーリは目立つから」
曇りのない金髪に、潤みがちな美しい青い瞳はまるで宝石だ。
隠しきれぬ高貴さがいつ誰の目に留まるか分からない。
「そうだな」
メイドがすぐに大きめの帽子を持って来る。
「じゃ、ユーリ、これをかぶって」
眉の辺りまでがすっぽりと隠れるし、ひさしのお陰で目に影がかかって青い瞳がくすんで見える。
それに、これはこれで可愛い。
「少し大きいですけど」
「今はそれしかないから我慢してね」
すぐに馬車の用意が調えられ、街に向かった。
ユーリはまるで電車に乗る子どものように座席の上で膝立ちになって、窓の向こうに広がる、北部の雄大な景色に夢中だ。
今日はよく晴れていて、普段は濃霧でほとんど見えない、真っ白な山脈までくっきりと見えた。
「雪だらけで、見応えはないんじゃない?」
フリーデは、ユーリを微笑ましい気持ちで眺めながら言った。
「そんなことありません。晴れている時の雪山を見るのがすごく好きで……。あの山の向こうにはどんな世界が広がってるんだろうって想像するのが楽しくて」
「そうなのね」
それはきっと、理不尽な叔父の元で育った彼なりの心を平穏を保つ術だったのだろう。 彼の笑顔を守っていきたい。
と、道は馬車一台が本当にぎりぎり通れるかどうかの悪路を通る。
他にも道はあるのだが、ここが一番最短距離だ。他の道では移動だけで半日が潰れてしまうほど遠回りになる。
「うあ!」
ユーリは驚いて、窓から目を背ける。ちょうどユーリが見ていたほうは崖側で、底の見えない深い谷がぽっかりと口を開けている。
――刺客に殺されたフリーデはこの谷底に落とされたのよね。
フリーデにとっても忌まわしい場所だ。
「平気か。顔が青いが」
向かいに座っているギュスターブが心配そうに見つめてくる。
「ええ、大丈夫です」
フリーデは少し引き攣った笑顔で頷く。
※
悪路を越えて間もなく、大きな街が見えてくる。
「すごい人……」
街に入ってすぐに大通りを行き交うたくさんの人々に、ユーリは声を上げた。
「ここにいる人たちは、みなさん普段、どこに住んでいるんですか?」
「この街だったり、他の街から商売をしに集まったり、旅の人たちや傭兵だったり、まあ色々ね」
「こんな大きな街が他にもあるんですか?」
「この国で一番大きいのは帝都、という場所よ。私はそこからギュスターブ様のもとにお嫁にきたの。帝都はここよりももっと広いんだから」
「ここよりも……」
ユーリの視線が露骨にさまよう。想像の範疇を超えてしまったのだろう。
思わず吹き出してしまうと、ユーリは頬を赤らめた。
「ごめんなさい。ユーリを笑ったんじゃないの。ただ、微笑ましくって」
「ううう……」
そうこうしているうちに馬車は洋装店の前に止まった。
ギュスターブが最初に下りるとフリーデに手を差し出してくる。
仕方ないとその手を取りつつ、もう片方の手をユーリへ伸ばす。
ユーリは笑顔でフリーデの手をぎゅっと握ってくれる。
「地面が凍って滑りやすくなってるから気を付けろ」
「ユーリ、気を付けてね」
「はい!」
三人で手をつなぎあいながら洋装店に入ると、「これは、伯爵様」と初老の店主がうやうやしく頭を下げて出迎えてくれる。
「今日もドレスでございましょうか。それともアクセサリーを?」
「いや、今日はこの子の服を用意してもらいたい」
「かしこまりました」
ユーリはさまざまな服や布地、装飾品でかざられた店内をキラキラした目で眺めて回る。
いくつもの子供服が用意される。
「ユーリ、どれが気に入った?」
「え? 僕はなんでも……着られればそれで」
「好きな色とか、これを着てみたいとかあるでしょ」
ユーリは目の前のたくさんの服を前に、困惑している。こんな風にたくさんのものから選ぶということがこれまでの人生になかったから、どうすればいいのか途方にくれているように見えた。
「じゃあ、一緒に選びましょう」
安心させるようにフリーデはユーリの手を握る。
緊張していたユーリの顔が少し和らいだ。
「好きな色は?」
「あ、青が好きす。よく晴れた空の色が……雪の白も」
「じゃあ、まずは青い服を選びましょう。この三着だとどれがいい? こっちは結構派手ね。こっちはすごくシンプルなデザイン……」
「じゃ、じゃあ、真ん中のを」
「襟元にワンポイントがはいったものね。すごく可愛いわ。じゃあ、これを試着してみましょう」
「しちゃく?」
「買う前に実際に着てみるの。いらっしゃい」
ユーリの手を引いたフリーデは一緒に試着室に入ると、ユーリに服を着せた。それから鏡の前に立たせる。
「すごく綺麗な服……それに、さらさらしてて、すごく気持ちいいですっ」
ユーリは自分が着ている服をしきりに触る。これまでユーリが着ていた服は麻でごわごわしていた。それとくべると綿の生地は新鮮なのだ。
「ギュスターブ様にも見せてあげましょう」
「はい! ギュスターブ様、ど、どうですか?」
試着室から出る。
ギュスターブは優しい眼差しを向ける。
「よく似合っている。気に入ったか?」
「はいっ」
「じゃあ、これをもらおう」
「ありがとうございます」
「もっと買え。毎日着替えることをふくめてせめて一週間分は必要だろう」
それから何着か試着をして、購入する。
ユーリは自分が購入した服を前に、目を輝かせながら、抱える。
「ありがとうございます、ギュスターブ様、フリーデ様!」
ユーリはほくほく笑顔で笑った。
「それじゃ、次はフリーデの番だな」
「私? いいえ、いりません。服なら十分ありますから」
「遠慮するな」
「そういうわけには」
「遠慮はいけません! フリーデ様も甘えてくださいっ!」
ユーリが自分が言われた言葉をそっくり返してくる。
「もう、ユーリってば」
「……ユーリが正しいな。それに、せっかく新しい服は購入しても、すぐに実家の妹に送っているとメイドから聞いたぞ」
「!」
全身がぎくりと強張る。
「お前の服だ。どうするのかは自由だが、自分のことを最優先にしろ。メイドがどんどんドレスを送るものだから心配していた」
「……じゃあ、何着か」
すると、自分の服選びではもじもじしていたはずのユーリが、「フリーデ様にはこれが似合います!」と積極的に選びはじめた。
ユーリのセンスがいいのかは分からないが、選んでくれるものは前bう、フリーデの好みにピッタリだった。
「ユーリ。お前が選んだドレスも悪くはないが、フリーデは緑のドレスもよく似合うんだ。これを着てみろ」
まるで子どもに対抗するように、ギュスターブがドレスを勧めてくる。ただ、ギュスターブが選んだドレスは普段あまり着ない色やデザインのドレスで、フリーデの好みというより、フリーデに着させたいものを選んでいるようだ。
二人から迫られ、フリーデは苦笑いしてしまう。
「二人とも、落ち着いて。二人がおすすめしてくれたドレスはちゃんと試着するから」
なだめ、ドレスを試着し、二人から勧められたドレスをそれぞれ購入する。
――ふぅ。まさか私まで服を買ってもらえるなんて。
ギュスターブは、フリーデが実家にドレスを送っていることを知っていた。きっとアクセサリーの件も知っているのだろう。
――でも怒ったりはしないのね……。
むしろ心配されてしまった。
罪悪感に胸がズキリ、と痛んだ。
試着室から出ると、ギュスターブとユーリが、店主から何かを見せられ、真剣な顔でじっと見ている。
「二人とも、何を見ているの?」
フリーデが覗くと、それはアクセサリーの数々。
「こちらはどれも今年発表された新作でございます」
「これがいいと思います!」
ユーリが選んだのは、フリーデの瞳と同じ色の大粒の宝石の入ったネックレス。
ギュスターブはにこりと微笑んだ。
「なかなか趣味がいいな。俺もそれが似合うと思っていた」
「……分かったわ。それも試着してみるわね」
二人から期待の視線を受け、ネックレスをかける。
「どう?」
「よく似合っています! ね、ギュスターブ様」
「これも包んでくれ」
「え、こんな高価なものまで!?」
「似合ってるんだから問題ないだろ」
結局、ユーリよりもずっとたくさんのドレスとアクセサリーを購入することになってしまった。
ギュスターブのことを頭から追い出し、部屋を訪ねる。
ユーリは自分の部屋だというのに両手を膝の上において、本をめくっている。その顔はお世辞にもくつろいでいるとは言えない、困ったような顔をしている。
「ユーリ」
「あっ、フリーデ様!」
ユーリの顔にようやく笑顔が戻ってくれる。
「みんな、下がっていいわ。――座ってもいい?」
「もちろんですっ」
メイドを下がらせると、向かい会うように椅子に座った。
「あの、紅茶を、どうぞ」
ユーリは不器用な手でティーカップにお茶を注ぐが、まだ力もないから手元が狂い、こぼしてしまう。
「あっ、ごめんなさいっ」
「大丈夫」
ハンカチでテーブル拭き、ユーリの代わりにお茶を注ぐ。
「すいません。お役に立てなくて」
「子どもなんだから、役に立つとかどうでもいいことを考えなくても大丈夫だから。あなたのお世話をするのは大人の務め。本を読んでいたの?」
ユーリは曖昧に頷く。その時、その目が泳ぐ。
「ん?」
「あの……そのぉ……」
その顔で、ピンときた。
「字が読めないのね」
ユーリは顔を真っ赤にして頷く。
きっとメイドから暇なら読書でもと薦められ、断り切れず、呼んでいるフリをしていたのだろう。
「文字の読み書きを教えよっか?」
「本当ですか?」
「文字の読み書きは大切だから」
「お願いしますっ」
「いいわ。じゃあ、早速やりましょっか」
「はい!」
こうして一時間ほどユーリに読み書きを教えた。ユーリは真面目な顔で、フリーデがお手本として書いた文字を見よう見まねで書く。
「少し休憩にしましょう」
「まだ出来ます」
「根を詰めすぎたら駄目。千里の道も一歩から。少しずつ進めていきましょう。焦らなくても、時間ならたくさんあるんだから。ね?」
「……はい」
その時、扉が開けられた。
「ギュスターブ様!」
ユーリは嬉しそうな笑顔で、立ち上がった。
自分だけの笑顔でないことに、ちょっと嫉妬してしまう。
「もうお仕事はよろしいのですか?」
「ああ。ユーリと、君と時間を過ごそうと思って。今は何を?」
ユーリははっとしてテーブルの上に広げられた汚い文字を書き殴った紙を隠すが、すでにそのうちの一枚をギュスターブは取り上げていた。
「文字の練習か。頑張れ。少しずつやっていけば習得できる」
「……わ、笑わないんですか?」
「笑う理由がないだろう。学ぶことは大事だ」
笑われないことにほっとしたユーリは頷く。
「フリーデ様も同じことを。せんりの……えっと……」
「千里の道も一歩から?」
「それですっ」
ギュスターブは、ユーリの頭をくしゃっと撫でると、彼は嬉しそうにはにかんだ。
子どもと言っても男の子。ギュスターブに褒められるのと、フリーデに褒められるのとでは、違うのだろうか。
――ライバルはギュスターブ様ってわけね。
フリーデは心の中で静かな闘志をメラメラと燃やす。
「良ければギュスターブ様もお時間を見つけて、ユーリになにかを教えてあげるのもよろしいかと思います」
「そうだな。ま、俺ができるのは体を動かすことくらいだからな」
「運動も大切ですね」
「なら早速だが、これから三人で出かけよう。ユーリの服を揃えなければな」
「服はこれがありますしっ」
ユーリは今着ているものをみせる。その服は使用人の子どものお古だ。
「新品にこしたことはないだろ」
「僕は、あの……使用人の人たちと同じ格好でいいんです。こんな広い部屋まで頂いてしまっているのに、服まで買ってもらうわけにはいきません……」
ユーリは申し訳なさそうに身を縮こまらせた。
「ユーリ。子どものうちからそんな遠慮ばかりしていては駄目よ。ギュスターブ様が買ってくださると言うんだから甘えていいの」
「甘える……、ですか?」
「そう。欲しいものがあれば欲しいって言っていいの。遠慮されたほうが寂しいもの」
「分かりました」
フリーデは微笑み、「ちょっと待ってね」とギュスターブの袖を引く。
「どうかしたか?」
「……街には色んな人の目があります。ユーリは目立つから」
曇りのない金髪に、潤みがちな美しい青い瞳はまるで宝石だ。
隠しきれぬ高貴さがいつ誰の目に留まるか分からない。
「そうだな」
メイドがすぐに大きめの帽子を持って来る。
「じゃ、ユーリ、これをかぶって」
眉の辺りまでがすっぽりと隠れるし、ひさしのお陰で目に影がかかって青い瞳がくすんで見える。
それに、これはこれで可愛い。
「少し大きいですけど」
「今はそれしかないから我慢してね」
すぐに馬車の用意が調えられ、街に向かった。
ユーリはまるで電車に乗る子どものように座席の上で膝立ちになって、窓の向こうに広がる、北部の雄大な景色に夢中だ。
今日はよく晴れていて、普段は濃霧でほとんど見えない、真っ白な山脈までくっきりと見えた。
「雪だらけで、見応えはないんじゃない?」
フリーデは、ユーリを微笑ましい気持ちで眺めながら言った。
「そんなことありません。晴れている時の雪山を見るのがすごく好きで……。あの山の向こうにはどんな世界が広がってるんだろうって想像するのが楽しくて」
「そうなのね」
それはきっと、理不尽な叔父の元で育った彼なりの心を平穏を保つ術だったのだろう。 彼の笑顔を守っていきたい。
と、道は馬車一台が本当にぎりぎり通れるかどうかの悪路を通る。
他にも道はあるのだが、ここが一番最短距離だ。他の道では移動だけで半日が潰れてしまうほど遠回りになる。
「うあ!」
ユーリは驚いて、窓から目を背ける。ちょうどユーリが見ていたほうは崖側で、底の見えない深い谷がぽっかりと口を開けている。
――刺客に殺されたフリーデはこの谷底に落とされたのよね。
フリーデにとっても忌まわしい場所だ。
「平気か。顔が青いが」
向かいに座っているギュスターブが心配そうに見つめてくる。
「ええ、大丈夫です」
フリーデは少し引き攣った笑顔で頷く。
※
悪路を越えて間もなく、大きな街が見えてくる。
「すごい人……」
街に入ってすぐに大通りを行き交うたくさんの人々に、ユーリは声を上げた。
「ここにいる人たちは、みなさん普段、どこに住んでいるんですか?」
「この街だったり、他の街から商売をしに集まったり、旅の人たちや傭兵だったり、まあ色々ね」
「こんな大きな街が他にもあるんですか?」
「この国で一番大きいのは帝都、という場所よ。私はそこからギュスターブ様のもとにお嫁にきたの。帝都はここよりももっと広いんだから」
「ここよりも……」
ユーリの視線が露骨にさまよう。想像の範疇を超えてしまったのだろう。
思わず吹き出してしまうと、ユーリは頬を赤らめた。
「ごめんなさい。ユーリを笑ったんじゃないの。ただ、微笑ましくって」
「ううう……」
そうこうしているうちに馬車は洋装店の前に止まった。
ギュスターブが最初に下りるとフリーデに手を差し出してくる。
仕方ないとその手を取りつつ、もう片方の手をユーリへ伸ばす。
ユーリは笑顔でフリーデの手をぎゅっと握ってくれる。
「地面が凍って滑りやすくなってるから気を付けろ」
「ユーリ、気を付けてね」
「はい!」
三人で手をつなぎあいながら洋装店に入ると、「これは、伯爵様」と初老の店主がうやうやしく頭を下げて出迎えてくれる。
「今日もドレスでございましょうか。それともアクセサリーを?」
「いや、今日はこの子の服を用意してもらいたい」
「かしこまりました」
ユーリはさまざまな服や布地、装飾品でかざられた店内をキラキラした目で眺めて回る。
いくつもの子供服が用意される。
「ユーリ、どれが気に入った?」
「え? 僕はなんでも……着られればそれで」
「好きな色とか、これを着てみたいとかあるでしょ」
ユーリは目の前のたくさんの服を前に、困惑している。こんな風にたくさんのものから選ぶということがこれまでの人生になかったから、どうすればいいのか途方にくれているように見えた。
「じゃあ、一緒に選びましょう」
安心させるようにフリーデはユーリの手を握る。
緊張していたユーリの顔が少し和らいだ。
「好きな色は?」
「あ、青が好きす。よく晴れた空の色が……雪の白も」
「じゃあ、まずは青い服を選びましょう。この三着だとどれがいい? こっちは結構派手ね。こっちはすごくシンプルなデザイン……」
「じゃ、じゃあ、真ん中のを」
「襟元にワンポイントがはいったものね。すごく可愛いわ。じゃあ、これを試着してみましょう」
「しちゃく?」
「買う前に実際に着てみるの。いらっしゃい」
ユーリの手を引いたフリーデは一緒に試着室に入ると、ユーリに服を着せた。それから鏡の前に立たせる。
「すごく綺麗な服……それに、さらさらしてて、すごく気持ちいいですっ」
ユーリは自分が着ている服をしきりに触る。これまでユーリが着ていた服は麻でごわごわしていた。それとくべると綿の生地は新鮮なのだ。
「ギュスターブ様にも見せてあげましょう」
「はい! ギュスターブ様、ど、どうですか?」
試着室から出る。
ギュスターブは優しい眼差しを向ける。
「よく似合っている。気に入ったか?」
「はいっ」
「じゃあ、これをもらおう」
「ありがとうございます」
「もっと買え。毎日着替えることをふくめてせめて一週間分は必要だろう」
それから何着か試着をして、購入する。
ユーリは自分が購入した服を前に、目を輝かせながら、抱える。
「ありがとうございます、ギュスターブ様、フリーデ様!」
ユーリはほくほく笑顔で笑った。
「それじゃ、次はフリーデの番だな」
「私? いいえ、いりません。服なら十分ありますから」
「遠慮するな」
「そういうわけには」
「遠慮はいけません! フリーデ様も甘えてくださいっ!」
ユーリが自分が言われた言葉をそっくり返してくる。
「もう、ユーリってば」
「……ユーリが正しいな。それに、せっかく新しい服は購入しても、すぐに実家の妹に送っているとメイドから聞いたぞ」
「!」
全身がぎくりと強張る。
「お前の服だ。どうするのかは自由だが、自分のことを最優先にしろ。メイドがどんどんドレスを送るものだから心配していた」
「……じゃあ、何着か」
すると、自分の服選びではもじもじしていたはずのユーリが、「フリーデ様にはこれが似合います!」と積極的に選びはじめた。
ユーリのセンスがいいのかは分からないが、選んでくれるものは前bう、フリーデの好みにピッタリだった。
「ユーリ。お前が選んだドレスも悪くはないが、フリーデは緑のドレスもよく似合うんだ。これを着てみろ」
まるで子どもに対抗するように、ギュスターブがドレスを勧めてくる。ただ、ギュスターブが選んだドレスは普段あまり着ない色やデザインのドレスで、フリーデの好みというより、フリーデに着させたいものを選んでいるようだ。
二人から迫られ、フリーデは苦笑いしてしまう。
「二人とも、落ち着いて。二人がおすすめしてくれたドレスはちゃんと試着するから」
なだめ、ドレスを試着し、二人から勧められたドレスをそれぞれ購入する。
――ふぅ。まさか私まで服を買ってもらえるなんて。
ギュスターブは、フリーデが実家にドレスを送っていることを知っていた。きっとアクセサリーの件も知っているのだろう。
――でも怒ったりはしないのね……。
むしろ心配されてしまった。
罪悪感に胸がズキリ、と痛んだ。
試着室から出ると、ギュスターブとユーリが、店主から何かを見せられ、真剣な顔でじっと見ている。
「二人とも、何を見ているの?」
フリーデが覗くと、それはアクセサリーの数々。
「こちらはどれも今年発表された新作でございます」
「これがいいと思います!」
ユーリが選んだのは、フリーデの瞳と同じ色の大粒の宝石の入ったネックレス。
ギュスターブはにこりと微笑んだ。
「なかなか趣味がいいな。俺もそれが似合うと思っていた」
「……分かったわ。それも試着してみるわね」
二人から期待の視線を受け、ネックレスをかける。
「どう?」
「よく似合っています! ね、ギュスターブ様」
「これも包んでくれ」
「え、こんな高価なものまで!?」
「似合ってるんだから問題ないだろ」
結局、ユーリよりもずっとたくさんのドレスとアクセサリーを購入することになってしまった。