婚約者に殺されかけた氷の聖女は、敵国となった追放先で幸せを掴む

断罪

 シュヴァール王国の王宮で催されていた華やかな夜会の会場に、王太子ネイトの怒声が響き渡る。

「アマリリス、この悪女が!」

 夜会の場に足を踏み入れるなりそう叫んだネイトは、冷ややかな眼差しでアマリリスに近付くと、腰に差していた剣を鞘から抜いて彼女の喉元に突き付けた。その直前、ネイトの婚約者であるアマリリスが、彼のエスコートなく一人で夜会の場に姿を現したことにざわめいていた貴族たちに、さらに一層大きな衝撃が走る。豪華なシャンデリアの光を浴びて鋭利な剣が輝く様子に、周囲の空気が凍り付いた。

 アマリリスの代わりにネイトの隣に控えているのは、彼女の異母妹のカルラだ。ネイトは、アマリリスに剣を向けたまま告げた。

「お前は、真の聖女がカルラであることを隠して、聖女だと偽っていたな。お前との婚約は、今この場で破棄させてもらう!」

 折れてしまいそうに華奢なアマリリスの肩が、びくりと跳ねる。白銀の前髪に隠れて、俯いた彼女の赤い瞳が揺れていた。それまで賑やかだった会場は、ネイトの声と鬼のような形相に、水を打ったようにしんと静まり返っている。

 カルラは瞳を潤ませると、豊満な身体をさらにネイトに寄せながら、彼の腕に触れた。

「ネイト様、お姉様にご慈悲を。どうぞ剣をお収めくださいませ」

 その言葉に、ネイトの表情がふっと和らぐ。

「カルラ、君は優し過ぎる。これまでアマリリスに利用されていたのは、君だというのに。……それだけではない。アマリリス、お前はカルラを手にかけようとしただろう?」

 そうネイトが吐き捨てると、会場に集う華やかに着飾った貴族たちから、再び細波のようなざわめきが起こった。

 ――あのアマリリス様が、妹のカルラ様を殺そうと……?
 ――確かに、彼女なら、それくらい顔色一つ変えずにやりそうだな。

 アマリリスは上品に整った顔立ちをしているにもかかわらず、その表情の乏しさからは、一見すると冷たい印象を受ける。シュヴァール王国では好まれない、色素の薄い白銀の髪も、紅玉のような瞳も、聖女というよりは妖魔のようだと、一部の貴族からは口さがない陰口を叩かれることもあった。『氷の聖女』という、あまり喜ばしくない二つ名が付けられていることも、アマリリスは知っている。

 けれど、実際のところ、アマリリスはいつも婚約者のネイトの後を三歩下がってついていくような令嬢だった。俯きがちで口数も少なく、いつも大人しくネイトに従っているように見えたアマリリスを悪女と罵る彼の言葉に、夜会に集まっている貴族たちは、困惑と好奇心の混ざった視線を彼女に向けていた。
 青ざめたアマリリスが、震えを抑えながら必死に言葉を紡ぐ。

「私、決してそんなことは……」
「お前の言い訳を聞くつもりはない。カルラ、アマリリスではなく、君が聖女であるという証拠を皆に見せるのだ」

 ネイトの側で控えていた従者の手には、一本の杖があった。銀色の竜の頭部と翼、そして尾があしらわれた美しいその杖は、三百年ほど前に王国に現れた前聖女が使っていたと言い伝えられている、神聖なものだ。竜の両目には真紅のルビーがあしらわれ、今にも動き出しそうに見えるほど精巧に作られていた。
 そして、それはアマリリスが聖女認定をされる発端となった杖でもある。

「承知いたしました」

 頷いたカルラは、『聖女の杖』と呼ばれるそれを従者から受け取った。すると、まるでカルラに呼応するかのように、彼女の手の中にある聖女の杖がたちまち眩い光を帯びた。
 周囲の貴族たちのざわめきが、より一層大きくなる。

「聖女の杖が、カルラ様に反応したぞ……!」
「何て素晴らしい輝きなんだ」
「では、本物の聖女様は……」

 アマリリスは、自分に向けられる視線が一気に冷たくなったことを感じた。それだけではなく、彼女は気付いていた。カルラの口角が、隠し切れず、勝ち誇ったように上を向いていることに。

 ネイトが、腕の中にカルラを抱き寄せながら満足気に笑う。

「皆もこれでわかっただろう、カルラが本物の聖女だと。アマリリスは、妹のカルラの力を利用して、彼女の代わりに聖女の地位を手中に収め、この杖を我が物顔で手にしていたのだ」

 アマリリスは、カルラの手の中で光を放っている杖をぼんやりと眺めた。

(私、聖女になりたいなんて望んだことは、一度もなかったのに……)

 彼女は聖女と認定された日のことを遠く思い返していた。
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