婚約者に殺されかけた氷の聖女は、敵国となった追放先で幸せを掴む
輝いた聖女像
シュヴァール王国では、成人と認められる齢十六を迎える年に、国民の誰もが、神殿に祀られている聖女の像の前で祝福の儀を受ける。聖女像の手には、かつて聖女によって使われていた聖女の杖が抱かれていた。そして、この聖女像には特別な力が宿ると伝えられている。
この王国では、授かっている魔力の強さに応じて、魔法学校と普通科学校に進路が分かれる。高位の貴族は、高い魔力を生まれ持つことが多い。その中でも、魔法学校で優秀な成績を誇る、非常に強い魔力が認められた者には、祝福の儀の際、稀に聖女像がふんわりと光を帯びることがあった。そのような場合には、聖女像もとりわけその者の成人を喜んでいるとされ、大きな栄誉となるのだ。
ところが、アマリリスが成人の年を迎え、祝福の儀の際に聖女像の前で跪いた時、異変が起こった。伯爵令嬢ではあるが、魔法学校にすら通っていなかったアマリリスの前で、聖女像が明るい光を帯びたかと思うと、聖女像に抱かれていた杖が輝いてその手から滑り落ち、彼女の前にころころと転がって来たのだ。祝福の儀に参加していた神官たちは大騒ぎになった。これは聖女の再来に違いないと、あっという間に祀り上げられて、アマリリスは聖女に認定され、王太子ネイトの婚約者になった。聖女は国に偉大な恵みをもたらすと、そう言い伝えられているからだ。
誰よりこの事態に驚いたのは、アマリリス本人だった。これまで魔法を使ったこともなければ、そもそも自分に十分な魔力があるのかさえもわからない。そんな自分が聖女とされることは、アマリリスにとってはまさに晴天の霹靂だった。それにもかかわらず、試しにアマリリスが聖女の杖を手に取ってみると、杖は途端に美しい輝きを放ち、さらに、彼女が神官に伝えられた呪文を唱えてみると、初めての光魔法がいとも簡単に発動したのだ。
そんなアマリリスの聖女認定に度肝を抜かれた者は、他にもいた。異母妹のカルラを含む、彼女の家族だ。
アマリリスの母が亡くなった後、後妻として嫁いできた女性は、彼女の母の友人の一人だった。義母が生前の母を見舞う姿を何度も見掛けていたアマリリスは、母の死後すぐに父に嫁いだ彼女に対して、幼な心に割り切れない思いを抱えていた。その思いは、妹のカルラが生まれてさらに強いものとなった。カルラが生まれた時期が、彼女が嫁いで来てからあまりに早いように思われたからだ。カルラが生まれた時期から逆算すると、実母の存命中に、義母が妹を妊娠していた計算になると気付くのは、アマリリスがもう少し成長してからのことだったけれど。
そんなアマリリスの思いを知ってか知らずか、義母は嫁いでくるとすぐに彼女を疎んじた。カルラが生まれると、義母のアマリリスに対する態度はさらに酷いものとなった。少しでも口ごたえしようものなら、服に隠れて人目に付かない部分を遠慮なく打ったのだ。カルラも、成長するほどに義母に迎合した。
さらに、父までも、そんな義母と異母妹のふるまいに見て見ぬふりをしていたことが、アマリリスの胸を深く傷付けた。幼い頃は朗らかだったアマリリスからは、少しずつ笑顔が消えていき、その顔は次第に生気のない仮面のようになっていった。彼女の表情があまり動かないのは、そんな不遇な生い立ちによるものだ。
アマリリスが魔法学校の入学試験すら受けられなかったのも、裏で義母が手を回し、雇っていた家庭教師に袖の下を渡して、彼女には魔法の才能も魔力も乏しいと断言させたからだった。
もしも、聖女認定を受けたアマリリスが、実家での日常を王家に告げ口したなら、どんな罰が下るのか。そう縮み上がった三人だったけれど、ネイトとアマリリスとの婚約式に参加していた時、カルラは、ネイトが自分とアマリリスとを見比べる表情に気付いて、一つの確信を得ていた。彼は、間違いなく異母姉よりも自分に惹かれている、と。
アマリリスを氷のようだと評するなら、カルラはまるで砂糖菓子のように甘い、庇護欲をそそる可愛らしい容貌をしていた。豊かな明るい金髪に、ぱっちりとした碧眼は、シュヴァール王国では最も好まれる。さらに成長したらどれほどの美人になるのだろうと、そう予想させるような色香も、カルラは当時から漂わせていた。彼女はあえてネイトの気を惹くようにと、ことあるごとに理由をつけて彼の側に現れた。婚約者の妹だったために、それも容易かったのだ。
さらに魔法学校の成績も良かったカルラは、自分こそが本当の聖女なのではないか、姉のアマリリスは、自分の側にいるせいで何らかの影響を受けているだけなのではないかと、そうネイトに繰り返し訴えた。そして、自分こそが将来の王妃、つまり彼の婚約者に相応しいということも。カルラの囁きに、一目で彼女を気に入っていたネイトも瞳を輝かせていた。
カルラの言葉が一層真実味を帯びたのは、彼女が成人の儀を迎えた時に、聖女像が強く発光したからだ。アマリリスの成人の儀の時よりも、さらに眩く輝いた聖女像の話を耳にしたネイトは、アマリリスとの婚約を解消して、カルラと婚約を結び直すつもりでいた。
それに加えて、カルラが姉に嫉妬されて命まで狙われたと一芝居打ったことも、彼には都合が良かった。カルラと違って自分に媚びることもなく、憎々しく思っていたアマリリスを、ネイトは断罪することに決めたのだった。
「アマリリスを捕らえて、牢屋へ連れて行け」
ネイトの言葉に、アマリリスははっと我に返った。凍り付いたように動けなくなっていた彼女の前に、進み出てきた一人の若者がいた。
「王太子殿下、お言葉ですが……」
青年はネイトの前に跪くと続けた。
「アマリリス様の成人の儀の際、聖女の杖が発光し、彼女を迎えるように彼女の元へと転がっていったことも事実です。そのように早急なご判断をなさるのは、いかがなものかと存じます」
アマリリスを庇う彼の言葉に、彼女の視界が涙で滲む。
(ラッセル様……)
彼は、魔法学校に通っていなかったアマリリスが聖女認定をされてからというもの、彼女に魔法を教えている魔術の師だった。温厚で魔法の腕の良い彼のことを、アマリリスはまるで本当の兄のように慕っている。実の家族よりも、ずっと頼りになる温かな存在だ。
けれど、ラッセルの言葉を、ネイトは鼻で笑った。
「はっ。アマリリスは、真の聖女であるカルラの影響を、何らかの形で受けていただけだろう。それに、今までだって、彼女は聖女に相応しい働きを何一つしてはいないではないか」
そもそも、アマリリスに聖女としての役割が求められたことは、これまでに一度もなかった。今のところ、お飾りの聖女と言った方が正しい。シュヴァール王国には平和な年月が長く続いている。前聖女の存命中には王都や町々を脅かしていた魔物たちも、今ではすっかり鳴りを潜め、人里離れた森の奥に生息しているのみだ。滅多に人間の前に姿を現すことはない魔物たちを、見たこともないという者の方が多いくらいだった。
「それは……」
さらに言葉を続けようとしたラッセルに、ネイトはきっぱりと言い放った。
「それ以上はやめろ、ラッセル。お前まで罰することになる」
ですが、とそれでも反論しかけたラッセルを、アマリリスが止めた。
「ありがとうございます、ラッセル様。……もう十分です」
笑顔ともつかないほど微かに口角を上げた彼女は、近付いて来た兵士たちに両腕を抱えられるようにしながら、牢屋へと連行されていった。
この王国では、授かっている魔力の強さに応じて、魔法学校と普通科学校に進路が分かれる。高位の貴族は、高い魔力を生まれ持つことが多い。その中でも、魔法学校で優秀な成績を誇る、非常に強い魔力が認められた者には、祝福の儀の際、稀に聖女像がふんわりと光を帯びることがあった。そのような場合には、聖女像もとりわけその者の成人を喜んでいるとされ、大きな栄誉となるのだ。
ところが、アマリリスが成人の年を迎え、祝福の儀の際に聖女像の前で跪いた時、異変が起こった。伯爵令嬢ではあるが、魔法学校にすら通っていなかったアマリリスの前で、聖女像が明るい光を帯びたかと思うと、聖女像に抱かれていた杖が輝いてその手から滑り落ち、彼女の前にころころと転がって来たのだ。祝福の儀に参加していた神官たちは大騒ぎになった。これは聖女の再来に違いないと、あっという間に祀り上げられて、アマリリスは聖女に認定され、王太子ネイトの婚約者になった。聖女は国に偉大な恵みをもたらすと、そう言い伝えられているからだ。
誰よりこの事態に驚いたのは、アマリリス本人だった。これまで魔法を使ったこともなければ、そもそも自分に十分な魔力があるのかさえもわからない。そんな自分が聖女とされることは、アマリリスにとってはまさに晴天の霹靂だった。それにもかかわらず、試しにアマリリスが聖女の杖を手に取ってみると、杖は途端に美しい輝きを放ち、さらに、彼女が神官に伝えられた呪文を唱えてみると、初めての光魔法がいとも簡単に発動したのだ。
そんなアマリリスの聖女認定に度肝を抜かれた者は、他にもいた。異母妹のカルラを含む、彼女の家族だ。
アマリリスの母が亡くなった後、後妻として嫁いできた女性は、彼女の母の友人の一人だった。義母が生前の母を見舞う姿を何度も見掛けていたアマリリスは、母の死後すぐに父に嫁いだ彼女に対して、幼な心に割り切れない思いを抱えていた。その思いは、妹のカルラが生まれてさらに強いものとなった。カルラが生まれた時期が、彼女が嫁いで来てからあまりに早いように思われたからだ。カルラが生まれた時期から逆算すると、実母の存命中に、義母が妹を妊娠していた計算になると気付くのは、アマリリスがもう少し成長してからのことだったけれど。
そんなアマリリスの思いを知ってか知らずか、義母は嫁いでくるとすぐに彼女を疎んじた。カルラが生まれると、義母のアマリリスに対する態度はさらに酷いものとなった。少しでも口ごたえしようものなら、服に隠れて人目に付かない部分を遠慮なく打ったのだ。カルラも、成長するほどに義母に迎合した。
さらに、父までも、そんな義母と異母妹のふるまいに見て見ぬふりをしていたことが、アマリリスの胸を深く傷付けた。幼い頃は朗らかだったアマリリスからは、少しずつ笑顔が消えていき、その顔は次第に生気のない仮面のようになっていった。彼女の表情があまり動かないのは、そんな不遇な生い立ちによるものだ。
アマリリスが魔法学校の入学試験すら受けられなかったのも、裏で義母が手を回し、雇っていた家庭教師に袖の下を渡して、彼女には魔法の才能も魔力も乏しいと断言させたからだった。
もしも、聖女認定を受けたアマリリスが、実家での日常を王家に告げ口したなら、どんな罰が下るのか。そう縮み上がった三人だったけれど、ネイトとアマリリスとの婚約式に参加していた時、カルラは、ネイトが自分とアマリリスとを見比べる表情に気付いて、一つの確信を得ていた。彼は、間違いなく異母姉よりも自分に惹かれている、と。
アマリリスを氷のようだと評するなら、カルラはまるで砂糖菓子のように甘い、庇護欲をそそる可愛らしい容貌をしていた。豊かな明るい金髪に、ぱっちりとした碧眼は、シュヴァール王国では最も好まれる。さらに成長したらどれほどの美人になるのだろうと、そう予想させるような色香も、カルラは当時から漂わせていた。彼女はあえてネイトの気を惹くようにと、ことあるごとに理由をつけて彼の側に現れた。婚約者の妹だったために、それも容易かったのだ。
さらに魔法学校の成績も良かったカルラは、自分こそが本当の聖女なのではないか、姉のアマリリスは、自分の側にいるせいで何らかの影響を受けているだけなのではないかと、そうネイトに繰り返し訴えた。そして、自分こそが将来の王妃、つまり彼の婚約者に相応しいということも。カルラの囁きに、一目で彼女を気に入っていたネイトも瞳を輝かせていた。
カルラの言葉が一層真実味を帯びたのは、彼女が成人の儀を迎えた時に、聖女像が強く発光したからだ。アマリリスの成人の儀の時よりも、さらに眩く輝いた聖女像の話を耳にしたネイトは、アマリリスとの婚約を解消して、カルラと婚約を結び直すつもりでいた。
それに加えて、カルラが姉に嫉妬されて命まで狙われたと一芝居打ったことも、彼には都合が良かった。カルラと違って自分に媚びることもなく、憎々しく思っていたアマリリスを、ネイトは断罪することに決めたのだった。
「アマリリスを捕らえて、牢屋へ連れて行け」
ネイトの言葉に、アマリリスははっと我に返った。凍り付いたように動けなくなっていた彼女の前に、進み出てきた一人の若者がいた。
「王太子殿下、お言葉ですが……」
青年はネイトの前に跪くと続けた。
「アマリリス様の成人の儀の際、聖女の杖が発光し、彼女を迎えるように彼女の元へと転がっていったことも事実です。そのように早急なご判断をなさるのは、いかがなものかと存じます」
アマリリスを庇う彼の言葉に、彼女の視界が涙で滲む。
(ラッセル様……)
彼は、魔法学校に通っていなかったアマリリスが聖女認定をされてからというもの、彼女に魔法を教えている魔術の師だった。温厚で魔法の腕の良い彼のことを、アマリリスはまるで本当の兄のように慕っている。実の家族よりも、ずっと頼りになる温かな存在だ。
けれど、ラッセルの言葉を、ネイトは鼻で笑った。
「はっ。アマリリスは、真の聖女であるカルラの影響を、何らかの形で受けていただけだろう。それに、今までだって、彼女は聖女に相応しい働きを何一つしてはいないではないか」
そもそも、アマリリスに聖女としての役割が求められたことは、これまでに一度もなかった。今のところ、お飾りの聖女と言った方が正しい。シュヴァール王国には平和な年月が長く続いている。前聖女の存命中には王都や町々を脅かしていた魔物たちも、今ではすっかり鳴りを潜め、人里離れた森の奥に生息しているのみだ。滅多に人間の前に姿を現すことはない魔物たちを、見たこともないという者の方が多いくらいだった。
「それは……」
さらに言葉を続けようとしたラッセルに、ネイトはきっぱりと言い放った。
「それ以上はやめろ、ラッセル。お前まで罰することになる」
ですが、とそれでも反論しかけたラッセルを、アマリリスが止めた。
「ありがとうございます、ラッセル様。……もう十分です」
笑顔ともつかないほど微かに口角を上げた彼女は、近付いて来た兵士たちに両腕を抱えられるようにしながら、牢屋へと連行されていった。