婚約者に殺されかけた氷の聖女は、敵国となった追放先で幸せを掴む

戦の気配

(私、これほどまでにネイト様に嫌われていたのね……)

 牢屋から遠ざかって行く足音を聞きながら、アマリリスは深い溜息を吐いた。

 婚約式で初めてネイトに出会った時から、彼の瞳が自分ではなくカルラに向けられていることに、アマリリスは気付いていた。妹と自分を見比べて、『お前じゃない』とネイトが言いたげだったことも。艶やかなヘーゼルの髪に、空色の瞳をした端整な顔立ちのネイトが、今よりもさらに痩せて貧相だった自分を見て顰めた顔も、その時に感じた胸の痛みも、アマリリスは昨日のことのように思い出せる。

 それでも、表向きは自分を婚約者として扱ってくれるネイトに、アマリリスは静かに従っていた。それは、今まで家族から服従を強いられていた彼女に、それ以外の選択肢が思い浮かばなかったことに加えて、それまで家族からされていた仕打ちに比べたら、まだまともな扱いをされているように感じられてもいたからだ。アマリリスは、自分がネイトの役に立てるのならと、魔法の訓練にも王妃教育にも必死に取り組んでいた。そんな彼女にも彼は素っ気なかったものの、感情を押し殺すことにとっくの昔に慣れていたアマリリスには、多少の虚しさをやり過ごすことも難しくはなかった。

 けれど、そんなネイトから酷く嫌われたとアマリリスが確信する出来事が、少し前に起きていた。彼から、隣国のライズ王国への侵攻に手を貸すようにと言われた時のことだ。そのきっかけは、隣国での稀少資源の発見だった。

 それは硬度と魔法への耐性が高い、特殊な鉱石だった。材料として上手く使えば、軽くて防御力が高い上、魔法攻撃にも耐え得る強力な防具を作ることができる。非常な高値で取引されているその鉱石は、特に魔力の高い魔物の被害が多い国にとっては、まさに垂涎の品だ。

 隣国での稀少資源の採掘の噂がシュヴァール王国にも広がり始めた、半月ほど前のこと。隣国の王太子たちを招いたパーティーが、王宮で催されていた。その裏にある目的は、稀少資源の利権を巡る交渉だ。稀少資源が見付かった場所が、シュヴァール王国との国境にも程近い場所だったことから、ネイトは自国に有利な条件でその利権を譲らせようとしていたものの、結局、交渉は決裂に終わっていた。小規模な隣国から、強国と目されているシュヴァール王国が交渉を跳ね除けられたことに、彼は怒り心頭だった。

 交渉の決裂後、ネイトはアマリリスを呼び出すと、不遜な笑みを浮かべた。

「お前の聖女の力が、ようやく役に立つ時が来た。ライズ王国を攻め落として、この国の配下に収めるぞ」
「それはできません」

 初めてネイトの目を真っ直ぐに見つめて反論したアマリリスに、ネイトは苛立ちを隠せなかった。

「なぜだ」
「戦をすれば、必ず多くの民の命が失われます。このシュヴァール王国の民の命も、そしてライズ王国の民の命も。この聖女の杖に宿る力は、民を守るためのものと考えております。どうかご再考くださいませ」

 ネイトは鼻息荒く言った。

「お前の考えなんて、どうだっていい。俺が欲しいのは、お前のその聖女の杖の力だ。お前の魔法は十人並らしいが、その杖の力は素晴らしいと聞いているからな」

 ラッセルに魔法を習ううち、すぐにアマリリスにわかったことが一つあった。聖女の杖が、非常に大きな力を秘めているということだ。杖なしでは、アマリリス自身には未だ覚束ないような高度な魔法でも、聖女の杖を手にするだけで、簡単に成功させ、強い威力を発現させることができる。ネイトを含む周囲も、その事実をよく理解していた。だからこそ、聖女像の一部と化していた杖が選んだと思われる彼女を、聖女としてネイトの婚約者に据えたのだ。

「ですが……」
「お前はいったい、何のための聖女だ」

 大袈裟な溜息と共に、ネイトは憎々しげな視線をアマリリスに向けた。

「この国に魔物の被害がほとんどない今こそが、ライズ王国に攻め入る好機だ。しかも、あの国は未だ魔物の被害にあえいでいて、戦の準備もままならないようだ。……ライズ王国は、かつてこのシュヴァール王国の一部を成していた国。あんな稀少資源まで出たのだ、取り戻す方が国益に資するに決まっている。それを、俺がこうして頼んでいるというのに、お前は協力を拒むつもりか?」

 ライズ王国の独立は、歴史上、シュヴァール王国の同意を得て認められたものだった。友好的というには多少の緊張感を伴うものの、今でも両国は中立的な関係を保っている。ただ、魔物の被害も多く、小規模でこれといった特徴もなかったライズ王国を、これまでシュヴァール王国は対等な相手として扱ってはこなかった。それが、ライズ王国で稀少資源が見付かったことで、急に風向きが変わったのだ。

 アマリリスは再び口を開いた。

「ネイト様の考えていらっしゃることは承知しております。……それでも、申し訳ございませんが、この杖の力で民の血を流したくはないのです」

 国対国の力関係に照らせば、ライズ王国が国力を強めることが、シュヴァール王国にとっては望ましいものではないと、アマリリスにもわかってはいた。けれど、魔物の被害にあえぐ隣国にこそ、魔物対策に有益なその鉱石が使われるべきであるように、彼女には思われた。そして、ライズ王国は決して好戦的な国ではないということも、アマリリスは隣国の王太子たちと対面した時に感じていたのだ。

 ネイトははっきりと顔を歪めた。

「これだけ言ってもわからないのか! 使えない奴め」

 彼はアマリリスの手から聖女の杖をひったくると、彼女を睨み付けてから踵を返して立ち去っていった。
 その直後に開催された夜会で、アマリリスはネイトから婚約破棄を告げられることになるのだった。
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