婚約者に殺されかけた氷の聖女は、敵国となった追放先で幸せを掴む
再会
ライズ王国の上空を飛翔しているヴィクターの腕の中から、アマリリスの目に象牙色の王宮が遠く映る。シュヴァール王国の王宮よりは小規模であるものの、歴史の感じられる美しい王宮は、彼女の視界の中で次第に大きくなっていき、ついにはその脇でヴィクターが地面に降り立った。
「はい、着きましたよ」
アマリリスに微笑んだヴィクターに向かって、彼女は戸惑いがちに口を開いた。
「ありがとうございます。あの、まずは下ろしていただけると……」
「ああ、失礼しました」
ようやくヴィクターに下ろされて、アマリリスはどきどきとうるさい胸を持て余しながら、彼の前で深々と頭を下げた。
「助けてくださって、本当に感謝しています」
「どういたしまして」
からりと明るく笑う彼は、アマリリスにはどこか飄々として見えた。こともなげに魔物を焼き払い、自分を救い出してくれたヴィクターを見つめて、彼女はラッセルの言葉を思い出していた。
(ラッセル様が、彼の知る最も優れた魔術師がヴィクター様だと仰っていた意味が、私にもわかったような気がするわ)
彼の形のよい青緑色の瞳は、深い湖のように美しく澄んでいて、アマリリスは思わず、彼の目をじっと覗き込んでいた。
「大丈夫ですか? 怖かったでしょう」
ヴィクターの言葉にはっと我に返ったアマリリスは、慌てて彼を見上げた。
「私は大丈夫なのですが、お知らせしたいことがあるのです。ライズ王国に危険が迫っているかもしれません。シュヴァール王国が……」
「この国に攻め入ろうとしていることですか?」
「!? どうして、それを?」
驚いた彼女の耳に、可愛らしい高い声が響く。
「師匠、お帰りなさい! あれっ?」
こちらに向かって走ってくる少年の姿は、アマリリスにも見覚えがあった。
「あら、あなたは……」
少年がアマリリスを見上げて、嬉しそうににっこりと笑う。
「こんにちは! わあ、アマリリス様、この国に来てくれたんですね」
「はい。ヴィクター様に助けていただいたお蔭です」
「えっ、師匠に助けられて……?」
不思議そうに首を傾げた少年を、瞳を細めたヴィクターが見つめた。
「シュヴァール王国がこのライズ王国に敵意を向けていることは、彼――ロルフが気付いてくれたのですよ。まあ、詳しくは中で話すとしましょうか」
アマリリスは、ヴィクターとロルフに案内されるまま、王宮の側にある石造りの建物へと入っていった。
勧められるまま椅子に腰掛けたアマリリスの前で、ロルフがお茶を淹れると、カップにこぽこぽと注いで彼女に差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
どことなく懐かしいような、ほっとする香りの漂うお茶を前にして、アマリリスの隣に、ヴィクターとロルフも丸テーブルを囲んで腰を下ろす。
初めて来た場所だというのに、アマリリスは不思議とくつろぎを覚えていた。
何から話したらよいのかと頭を巡らせていたアマリリスだったけれど、結局、一番気になっていたことから尋ねることにした。
「先ほど、ヴィクター様は、ロルフ様が、シュヴァール王国からの敵意に気付いたと仰っていましたね。それは、どういうことなのですか?」
ロルフがぶんぶんと顔の前で手を振った。
「あっ、僕のことは、ロルフでいいですよ! 様なんて付けられると、何だかむずむずしちゃいますから」
照れた様子で頬を染めているロルフを見て、アマリリスの口角がほんの僅かに上がる。
(わあ、可愛い)
透き通るような色白の肌に淡い金髪がかかり、若葉のような黄緑色の大きな瞳をした彼は、まるで妖精のように見えた。母性本能をくすぐられるような彼の姿を見つめたアマリリスの視線が、彼の耳に移る。
(やっぱり、耳の先が少し尖っているような……?)
彼女の視線の先を、ヴィクターが追っていた。
「鋭いですね。気付きましたか」
「ええ。もしかして、ロルフ君は……」
ロルフが自分の耳を撫でながら、アマリリスの言葉に頷く。
「はい。僕にはエルフの血が混じっているんですが、僕は特に先祖返りというか、その特徴がよく出ているみたいで。普通の人よりも大分、感覚が鋭いんです」
「では、ヴィクター様が仰っていたように、敵意のようなものまで、鋭敏に感じられると?」
「そうですね。嗅覚と言うか第六感というか、どんな感覚かを言い表すのは、ちょっと難しいんですが……かなり正確に見抜ける自信はあります」
ヴィクターがロルフを見つめて微笑んだ。
「この前、シュヴァール王国の王宮に行った時、アマリリス様は、彼の顔色が悪かったのを心配して、様子を見に来てくださったでしょう? あれも、悪意に当てられてしまったことが原因です」
「まあ」
アマリリスは、当時、ライズ王国の稀少資源の採掘権を巡っての交渉に、ネイトが鼻息を荒くしていた様子を思い出していた。
ヴィクターが苦笑する。
「あのパーティーに招かれた本当の目的が、我が国で見付かった稀少資源の採掘権の交渉の席を設けるためだということは、私たちにも当然わかっていました。ですが、いかんせん、交渉条件が強引かつ不公平過ぎたのです。ルキウス様にも譲歩の限度がありますが、それを遥かに超えていました。なのに、それで当然という傲慢さと、我が国を見下している様子が、私にすら感じられましたからね」
「それは申し訳ありません」
いたたまれなくなって俯いたアマリリスは、再び視線を上げるとロルフに尋ねた。
「あの場で、敵意まで感じたということですか?」
「いや、交渉前のあの時は、そこまでではなかったんです。その後にルキウス様に届いた手紙からは、敵意がぷんぷん感じられましたけど」
「手紙から?」
ロルフはこくりと頷いた。
「僕は、物に込められた思いや、そこに宿っている思いも感じられるんです。それが強ければ、強いほどに。ルキウス様が受け取った手紙からは、敵意を超えて、殺意まではっきりと感じられましたからね」
顔を顰めてふるりと身体を震わせてから、彼は続けた。
「でも、そういう負の感情だけじゃなくて、物にまつわる、いろんな種類の思いも感じられるんですよ。例えば……」
彼はじっと、アマリリスの胸元のロケットを見つめた。
「アマリリス様が首にかけている、そのロケット。……誰か、アマリリス様にとって大切な人にまつわるものが入っていませんか?」
彼女は驚きに目を見開いた。
「その通りです。私の産みの母の髪を一房、形見としてロケットに入れて持ち歩いています」
ロルフは温かく微笑んだ。
「お母様は、アマリリス様のことを心から愛していたんですね。アマリリス様の行く末を案じ、幸せを心底願う気持ちが、そのロケットの中から、今でもはっきりと感じられますから」
はっとして、アマリリスは胸元のロケットを見つめた。
(お母様……)
家族から虐げられ、ネイトからは疎まれて、心が折れてしまいそうに辛く苦しかった時も、母がそっと自分を守っていてくれたのかもしれないと、アマリリスにはそんな気がしていた。
大切そうにロケットを両手に包み、目の奥がじんと熱くなるのを感じていたアマリリスを、ヴィクターとロルフは温かな瞳で見守っていた。
「はい、着きましたよ」
アマリリスに微笑んだヴィクターに向かって、彼女は戸惑いがちに口を開いた。
「ありがとうございます。あの、まずは下ろしていただけると……」
「ああ、失礼しました」
ようやくヴィクターに下ろされて、アマリリスはどきどきとうるさい胸を持て余しながら、彼の前で深々と頭を下げた。
「助けてくださって、本当に感謝しています」
「どういたしまして」
からりと明るく笑う彼は、アマリリスにはどこか飄々として見えた。こともなげに魔物を焼き払い、自分を救い出してくれたヴィクターを見つめて、彼女はラッセルの言葉を思い出していた。
(ラッセル様が、彼の知る最も優れた魔術師がヴィクター様だと仰っていた意味が、私にもわかったような気がするわ)
彼の形のよい青緑色の瞳は、深い湖のように美しく澄んでいて、アマリリスは思わず、彼の目をじっと覗き込んでいた。
「大丈夫ですか? 怖かったでしょう」
ヴィクターの言葉にはっと我に返ったアマリリスは、慌てて彼を見上げた。
「私は大丈夫なのですが、お知らせしたいことがあるのです。ライズ王国に危険が迫っているかもしれません。シュヴァール王国が……」
「この国に攻め入ろうとしていることですか?」
「!? どうして、それを?」
驚いた彼女の耳に、可愛らしい高い声が響く。
「師匠、お帰りなさい! あれっ?」
こちらに向かって走ってくる少年の姿は、アマリリスにも見覚えがあった。
「あら、あなたは……」
少年がアマリリスを見上げて、嬉しそうににっこりと笑う。
「こんにちは! わあ、アマリリス様、この国に来てくれたんですね」
「はい。ヴィクター様に助けていただいたお蔭です」
「えっ、師匠に助けられて……?」
不思議そうに首を傾げた少年を、瞳を細めたヴィクターが見つめた。
「シュヴァール王国がこのライズ王国に敵意を向けていることは、彼――ロルフが気付いてくれたのですよ。まあ、詳しくは中で話すとしましょうか」
アマリリスは、ヴィクターとロルフに案内されるまま、王宮の側にある石造りの建物へと入っていった。
勧められるまま椅子に腰掛けたアマリリスの前で、ロルフがお茶を淹れると、カップにこぽこぽと注いで彼女に差し出した。
「はい、どうぞ」
「ありがとうございます」
どことなく懐かしいような、ほっとする香りの漂うお茶を前にして、アマリリスの隣に、ヴィクターとロルフも丸テーブルを囲んで腰を下ろす。
初めて来た場所だというのに、アマリリスは不思議とくつろぎを覚えていた。
何から話したらよいのかと頭を巡らせていたアマリリスだったけれど、結局、一番気になっていたことから尋ねることにした。
「先ほど、ヴィクター様は、ロルフ様が、シュヴァール王国からの敵意に気付いたと仰っていましたね。それは、どういうことなのですか?」
ロルフがぶんぶんと顔の前で手を振った。
「あっ、僕のことは、ロルフでいいですよ! 様なんて付けられると、何だかむずむずしちゃいますから」
照れた様子で頬を染めているロルフを見て、アマリリスの口角がほんの僅かに上がる。
(わあ、可愛い)
透き通るような色白の肌に淡い金髪がかかり、若葉のような黄緑色の大きな瞳をした彼は、まるで妖精のように見えた。母性本能をくすぐられるような彼の姿を見つめたアマリリスの視線が、彼の耳に移る。
(やっぱり、耳の先が少し尖っているような……?)
彼女の視線の先を、ヴィクターが追っていた。
「鋭いですね。気付きましたか」
「ええ。もしかして、ロルフ君は……」
ロルフが自分の耳を撫でながら、アマリリスの言葉に頷く。
「はい。僕にはエルフの血が混じっているんですが、僕は特に先祖返りというか、その特徴がよく出ているみたいで。普通の人よりも大分、感覚が鋭いんです」
「では、ヴィクター様が仰っていたように、敵意のようなものまで、鋭敏に感じられると?」
「そうですね。嗅覚と言うか第六感というか、どんな感覚かを言い表すのは、ちょっと難しいんですが……かなり正確に見抜ける自信はあります」
ヴィクターがロルフを見つめて微笑んだ。
「この前、シュヴァール王国の王宮に行った時、アマリリス様は、彼の顔色が悪かったのを心配して、様子を見に来てくださったでしょう? あれも、悪意に当てられてしまったことが原因です」
「まあ」
アマリリスは、当時、ライズ王国の稀少資源の採掘権を巡っての交渉に、ネイトが鼻息を荒くしていた様子を思い出していた。
ヴィクターが苦笑する。
「あのパーティーに招かれた本当の目的が、我が国で見付かった稀少資源の採掘権の交渉の席を設けるためだということは、私たちにも当然わかっていました。ですが、いかんせん、交渉条件が強引かつ不公平過ぎたのです。ルキウス様にも譲歩の限度がありますが、それを遥かに超えていました。なのに、それで当然という傲慢さと、我が国を見下している様子が、私にすら感じられましたからね」
「それは申し訳ありません」
いたたまれなくなって俯いたアマリリスは、再び視線を上げるとロルフに尋ねた。
「あの場で、敵意まで感じたということですか?」
「いや、交渉前のあの時は、そこまでではなかったんです。その後にルキウス様に届いた手紙からは、敵意がぷんぷん感じられましたけど」
「手紙から?」
ロルフはこくりと頷いた。
「僕は、物に込められた思いや、そこに宿っている思いも感じられるんです。それが強ければ、強いほどに。ルキウス様が受け取った手紙からは、敵意を超えて、殺意まではっきりと感じられましたからね」
顔を顰めてふるりと身体を震わせてから、彼は続けた。
「でも、そういう負の感情だけじゃなくて、物にまつわる、いろんな種類の思いも感じられるんですよ。例えば……」
彼はじっと、アマリリスの胸元のロケットを見つめた。
「アマリリス様が首にかけている、そのロケット。……誰か、アマリリス様にとって大切な人にまつわるものが入っていませんか?」
彼女は驚きに目を見開いた。
「その通りです。私の産みの母の髪を一房、形見としてロケットに入れて持ち歩いています」
ロルフは温かく微笑んだ。
「お母様は、アマリリス様のことを心から愛していたんですね。アマリリス様の行く末を案じ、幸せを心底願う気持ちが、そのロケットの中から、今でもはっきりと感じられますから」
はっとして、アマリリスは胸元のロケットを見つめた。
(お母様……)
家族から虐げられ、ネイトからは疎まれて、心が折れてしまいそうに辛く苦しかった時も、母がそっと自分を守っていてくれたのかもしれないと、アマリリスにはそんな気がしていた。
大切そうにロケットを両手に包み、目の奥がじんと熱くなるのを感じていたアマリリスを、ヴィクターとロルフは温かな瞳で見守っていた。