婚約者に殺されかけた氷の聖女は、敵国となった追放先で幸せを掴む
優しい場所
そっと目頭を指先で拭ったアマリリスに向かって、一拍置いてから、今度はヴィクターが尋ねた。
「ところで、アマリリス様は、なぜあんな場所にいたのです? 貴女はネイト王太子の婚約者で、シュヴァール王国の聖女だというのに。しかも、あんな風に後ろ手に縛られた状態で」
「私はもう、ネイト様の婚約者でも、シュヴァール王国の聖女でもありません」
アマリリスが、ネイトに婚約破棄され追放されたことをかいつまんで話すと、ヴィクターとロルフの表情がみるみるうちに険しくなる。
「うわあ、ネイト王太子って最低だね!」
怒りに顔を真っ赤にしたロルフに、ヴィクターも頷いた。
「まさか、そんなことがあったとは……」
アマリリスの話にじっと耳を傾けていた二人に、彼女は戸惑いながら尋ねた。
「あの、私の言葉を信じてくださるのですか?」
ネイトから濡れ衣を着せられて婚約破棄された時には、ラッセル以外の貴族たちからは白い目を向けられていたのに、ヴィクターとロルフはそのまま彼女の言葉を受け入れているように見えることが、アマリリスには少し不思議に思えた。
「ええ。貴女の言葉に嘘は感じられませんから」
微笑んだヴィクターは、しばし口を噤んでから、怪訝な顔で首を捻った。
「ですが、シュヴァール王国は、なぜみすみす貴女を手放すような真似をしたのでしょうね。貴女にそんな汚名まで着せて」
アマリリスは呟くように言った。
「私が聖女の力を戦に使うのを拒んだことも、一因なのかもしれません」
彼女がぽつぽつとネイトと交わした会話について話すと、ヴィクターは感慨深げに彼女を見つめた。
「アマリリス様、貴女は勇敢な方ですね。王太子の頼みを真っ向から拒否するなんて。ようやく全貌が見えてきました。ライズ王国の一員として、感謝します」
「いえ。民を守るためにあるはずの力を、民の血が流れ、恨みや憎しみを生む戦に使いたくはなかっただけです。それに……」
アマリリスの表情が、苦しげに歪む。
「私が強い魔法を使えたのは、ひとえに『聖女の杖』の力のお蔭だったのです。残念ですが、私自身には、たいした力はありません。それこそが、きっと私が追放された最大の理由だったのでしょうね」
彼女の言葉に、ヴィクターとロルフが不思議そうに目を見合わせた。
「『聖女の杖』とは何なのですか?」
「ああ、ご存知ありませんでしたよね。シュヴァール王国の前聖女が使っていたと言い伝えられている、聖なる力を秘めた杖です」
「ほう、そんな杖があるのですね」
腕組みをしたヴィクターに、アマリリスが頷く。
「我が国の国民が成人を迎える時、聖女像の前で祝福を受ける儀式があるのですが、その時、なぜか聖女像が抱いていた杖が私の元に転がってきたのです。それがきっかけで、それまで魔法を使ったことすらなかった私が、いつの間にか聖女に祀り上げられていました」
表情を翳らせたアマリリスだったけれど、彼女は改めて顔を上げると、感謝を込めてヴィクターを見つめた。
「魔物に襲われかけていたあの時、ヴィクター様が助けてくださらなかったら、私は間違いなく死んでいました。貴方様は、私の命の恩人です」
「いえいえ。まあ、あの場所でアマリリス様の姿を見付けた時には、いったい何事が起きているのかと、目を疑いましたけれどね」
「……ヴィクター様は、なぜあの時、あんな場所にいらしたのですか?」
小首を傾げたアマリリスに、ヴィクターはふふっと悪戯っぽく笑った。
「これも、運命かもしれませんね」
「……!?」
どぎまぎと頬を仄かに色付かせたアマリリスの前で、ジト目になったロルフが、ちょんとヴィクターの脇を小突く。
「もう! 師匠ったら。アマリリス様は真面目に聞いているんですよ?」
「私は至って真剣ですよ」
掴みどころのない笑顔でそう言ってから、ヴィクターは続けた。
「なぜ私があの場にいたかを理詰めで説明するなら、ロルフがシュヴァール王国から向けられている敵意を――戦の気配を嗅ぎ取ったために、国境付近の警備が手薄になっている箇所を見て回っていたのです。あの場所は、魔物の住処が近いこともあり、魔物の被害が出た場合を除いては、近付く機会のあまりない場所でしたからね」
「そういうことだったのですね」
納得したように頷いたアマリリスは、ロルフとヴィクターを見つめた。
「今こうして私が生きてここにいられるのは、お二人のお蔭ですね。本当に幸運でした。それに、私の魔法の師であるラッセル様からも、国外に追放されたら、ヴィクター様を頼るようにと助言をいただいていたのです。まさか、ヴィクター様から私を見付けてくださるとは、思いもよりませんでした」
ヴィクターの顔が、嬉しそうに綻ぶ。
「ラッセル様も、なかなかいいことを言ってくれますね。ここしばらく彼とは会っていないのですが、彼は変わらず元気にしていますか?」
「はい、お元気になさっています。ラッセル様にも彼の奥様にも、私はとてもお世話になりました。……シュヴァール王国との戦いは、何とか避けられないものでしょうか」
温かかった彼らの笑顔が、アマリリスの目に浮かぶ。尊敬する師と敵味方に分かれるなんて、想像もしたくはなかった。相変わらずそれほど表情が動かないながらも、思い詰めた様子の彼女の肩を、ヴィクターがぽんと軽く叩いた。
「まだ開戦した訳ではありませんし、ライズ王国だって、戦を望んでいる訳ではありません。どんな手が打てるか、考えましょう」
「はい」
彼女の瞳が希望の色に輝く。けれど、思案気に俯いた彼女の表情は、再び翳った。
「でも、私がいては、お二人にご迷惑をかけてしまうかもしれません。戦を仕掛けて来ようとしている国から急にやってきたなんて、ライズ王国の方々に、何をしに来たのかと疑われても仕方ありませんから」
そんなアマリリスの手を労わるように取ると、ヴィクターがきっぱりとした口調で言い切った。
「何を言っているんです? 私たちは、アマリリス様なら大歓迎ですよ。むしろ、是非とも私たちの元に留まっていただきたい。そうでしょう、ロルフ?」
ロルフも勢いよく頷いた。
「うん!! 師匠の言う通り、ここにいてくれますよね?」
期待を込めた瞳を二人から向けられて、アマリリスは困惑しながらも、彼らの温かな気持ちに涙が浮かびそうになるのを堪えていた。
「ありがとうございます。何てお礼を言ってよいのか、わかりません」
「水臭いことはなしですよ。この屋敷には部屋も余っていますし、アマリリス様が使ってくださったら、もっと賑やかになりますね」
「そうですね、師匠。僕も楽しみです!」
思いがけぬ歓迎に、アマリリスの表情も次第に柔らかくなっていた。
「魔法が得意ではない私にも、何かお役に立てることがあるとよいのですが。掃除や炊事、洗濯くらいなら……」
「えっ。貴族のアマリリス様が、そんなことまでできるのですか?」
目を丸くしたヴィクターに、アマリリスは頷いた。
「はい。昔、実家では、ある程度やっていましたから」
聖女と認定される前には、義母を中心とした家で、食事にありつくために、メイド同様に働かされていたことを彼女は思い出していた。
「それは大変助かります。もちろん、無理をしていただく必要はありませんが」
「では、これから、どうぞよろしくお願いします」
ヴィクターに取られたままになっていた手で、アマリリスは彼と改めて握手をした。彼の手は大きく、そして温かかった。
「ロルフ、アマリリス様に部屋の用意をお願いできるかい?」
「はーい!」
弾むような足取りで駆けて行くロルフの後ろ姿を、アマリリスは胸がじわじわと熱くなるのを感じながら見送った。突然自分のところに転がり込んできた幸運が、信じられないくらいだった。
「そうだ、一つ、アマリリス様に訂正しておかないといけないことがありました」
ヴィクターにじっと見つめられて、アマリリスは目を瞬いた。
「それは何でしょうか?」
「貴女様が、魔法が苦手なはずはないと、私はそう思います。……魔物に襲われそうになっていたあの時だって、お見事でしたよ」
「えっ?」
驚いたようにヴィクターを見つめ返したアマリリスに、彼は軽くウインクをした。
「まあ、いずれわかるでしょう」
彼の言葉の意味はまだわからなかったけれど、それでも、アマリリスは、未来に向かって確かな光が差し始めたように、胸が自然と弾み出すのを感じていた。
「ところで、アマリリス様は、なぜあんな場所にいたのです? 貴女はネイト王太子の婚約者で、シュヴァール王国の聖女だというのに。しかも、あんな風に後ろ手に縛られた状態で」
「私はもう、ネイト様の婚約者でも、シュヴァール王国の聖女でもありません」
アマリリスが、ネイトに婚約破棄され追放されたことをかいつまんで話すと、ヴィクターとロルフの表情がみるみるうちに険しくなる。
「うわあ、ネイト王太子って最低だね!」
怒りに顔を真っ赤にしたロルフに、ヴィクターも頷いた。
「まさか、そんなことがあったとは……」
アマリリスの話にじっと耳を傾けていた二人に、彼女は戸惑いながら尋ねた。
「あの、私の言葉を信じてくださるのですか?」
ネイトから濡れ衣を着せられて婚約破棄された時には、ラッセル以外の貴族たちからは白い目を向けられていたのに、ヴィクターとロルフはそのまま彼女の言葉を受け入れているように見えることが、アマリリスには少し不思議に思えた。
「ええ。貴女の言葉に嘘は感じられませんから」
微笑んだヴィクターは、しばし口を噤んでから、怪訝な顔で首を捻った。
「ですが、シュヴァール王国は、なぜみすみす貴女を手放すような真似をしたのでしょうね。貴女にそんな汚名まで着せて」
アマリリスは呟くように言った。
「私が聖女の力を戦に使うのを拒んだことも、一因なのかもしれません」
彼女がぽつぽつとネイトと交わした会話について話すと、ヴィクターは感慨深げに彼女を見つめた。
「アマリリス様、貴女は勇敢な方ですね。王太子の頼みを真っ向から拒否するなんて。ようやく全貌が見えてきました。ライズ王国の一員として、感謝します」
「いえ。民を守るためにあるはずの力を、民の血が流れ、恨みや憎しみを生む戦に使いたくはなかっただけです。それに……」
アマリリスの表情が、苦しげに歪む。
「私が強い魔法を使えたのは、ひとえに『聖女の杖』の力のお蔭だったのです。残念ですが、私自身には、たいした力はありません。それこそが、きっと私が追放された最大の理由だったのでしょうね」
彼女の言葉に、ヴィクターとロルフが不思議そうに目を見合わせた。
「『聖女の杖』とは何なのですか?」
「ああ、ご存知ありませんでしたよね。シュヴァール王国の前聖女が使っていたと言い伝えられている、聖なる力を秘めた杖です」
「ほう、そんな杖があるのですね」
腕組みをしたヴィクターに、アマリリスが頷く。
「我が国の国民が成人を迎える時、聖女像の前で祝福を受ける儀式があるのですが、その時、なぜか聖女像が抱いていた杖が私の元に転がってきたのです。それがきっかけで、それまで魔法を使ったことすらなかった私が、いつの間にか聖女に祀り上げられていました」
表情を翳らせたアマリリスだったけれど、彼女は改めて顔を上げると、感謝を込めてヴィクターを見つめた。
「魔物に襲われかけていたあの時、ヴィクター様が助けてくださらなかったら、私は間違いなく死んでいました。貴方様は、私の命の恩人です」
「いえいえ。まあ、あの場所でアマリリス様の姿を見付けた時には、いったい何事が起きているのかと、目を疑いましたけれどね」
「……ヴィクター様は、なぜあの時、あんな場所にいらしたのですか?」
小首を傾げたアマリリスに、ヴィクターはふふっと悪戯っぽく笑った。
「これも、運命かもしれませんね」
「……!?」
どぎまぎと頬を仄かに色付かせたアマリリスの前で、ジト目になったロルフが、ちょんとヴィクターの脇を小突く。
「もう! 師匠ったら。アマリリス様は真面目に聞いているんですよ?」
「私は至って真剣ですよ」
掴みどころのない笑顔でそう言ってから、ヴィクターは続けた。
「なぜ私があの場にいたかを理詰めで説明するなら、ロルフがシュヴァール王国から向けられている敵意を――戦の気配を嗅ぎ取ったために、国境付近の警備が手薄になっている箇所を見て回っていたのです。あの場所は、魔物の住処が近いこともあり、魔物の被害が出た場合を除いては、近付く機会のあまりない場所でしたからね」
「そういうことだったのですね」
納得したように頷いたアマリリスは、ロルフとヴィクターを見つめた。
「今こうして私が生きてここにいられるのは、お二人のお蔭ですね。本当に幸運でした。それに、私の魔法の師であるラッセル様からも、国外に追放されたら、ヴィクター様を頼るようにと助言をいただいていたのです。まさか、ヴィクター様から私を見付けてくださるとは、思いもよりませんでした」
ヴィクターの顔が、嬉しそうに綻ぶ。
「ラッセル様も、なかなかいいことを言ってくれますね。ここしばらく彼とは会っていないのですが、彼は変わらず元気にしていますか?」
「はい、お元気になさっています。ラッセル様にも彼の奥様にも、私はとてもお世話になりました。……シュヴァール王国との戦いは、何とか避けられないものでしょうか」
温かかった彼らの笑顔が、アマリリスの目に浮かぶ。尊敬する師と敵味方に分かれるなんて、想像もしたくはなかった。相変わらずそれほど表情が動かないながらも、思い詰めた様子の彼女の肩を、ヴィクターがぽんと軽く叩いた。
「まだ開戦した訳ではありませんし、ライズ王国だって、戦を望んでいる訳ではありません。どんな手が打てるか、考えましょう」
「はい」
彼女の瞳が希望の色に輝く。けれど、思案気に俯いた彼女の表情は、再び翳った。
「でも、私がいては、お二人にご迷惑をかけてしまうかもしれません。戦を仕掛けて来ようとしている国から急にやってきたなんて、ライズ王国の方々に、何をしに来たのかと疑われても仕方ありませんから」
そんなアマリリスの手を労わるように取ると、ヴィクターがきっぱりとした口調で言い切った。
「何を言っているんです? 私たちは、アマリリス様なら大歓迎ですよ。むしろ、是非とも私たちの元に留まっていただきたい。そうでしょう、ロルフ?」
ロルフも勢いよく頷いた。
「うん!! 師匠の言う通り、ここにいてくれますよね?」
期待を込めた瞳を二人から向けられて、アマリリスは困惑しながらも、彼らの温かな気持ちに涙が浮かびそうになるのを堪えていた。
「ありがとうございます。何てお礼を言ってよいのか、わかりません」
「水臭いことはなしですよ。この屋敷には部屋も余っていますし、アマリリス様が使ってくださったら、もっと賑やかになりますね」
「そうですね、師匠。僕も楽しみです!」
思いがけぬ歓迎に、アマリリスの表情も次第に柔らかくなっていた。
「魔法が得意ではない私にも、何かお役に立てることがあるとよいのですが。掃除や炊事、洗濯くらいなら……」
「えっ。貴族のアマリリス様が、そんなことまでできるのですか?」
目を丸くしたヴィクターに、アマリリスは頷いた。
「はい。昔、実家では、ある程度やっていましたから」
聖女と認定される前には、義母を中心とした家で、食事にありつくために、メイド同様に働かされていたことを彼女は思い出していた。
「それは大変助かります。もちろん、無理をしていただく必要はありませんが」
「では、これから、どうぞよろしくお願いします」
ヴィクターに取られたままになっていた手で、アマリリスは彼と改めて握手をした。彼の手は大きく、そして温かかった。
「ロルフ、アマリリス様に部屋の用意をお願いできるかい?」
「はーい!」
弾むような足取りで駆けて行くロルフの後ろ姿を、アマリリスは胸がじわじわと熱くなるのを感じながら見送った。突然自分のところに転がり込んできた幸運が、信じられないくらいだった。
「そうだ、一つ、アマリリス様に訂正しておかないといけないことがありました」
ヴィクターにじっと見つめられて、アマリリスは目を瞬いた。
「それは何でしょうか?」
「貴女様が、魔法が苦手なはずはないと、私はそう思います。……魔物に襲われそうになっていたあの時だって、お見事でしたよ」
「えっ?」
驚いたようにヴィクターを見つめ返したアマリリスに、彼は軽くウインクをした。
「まあ、いずれわかるでしょう」
彼の言葉の意味はまだわからなかったけれど、それでも、アマリリスは、未来に向かって確かな光が差し始めたように、胸が自然と弾み出すのを感じていた。