アヤメさんと僕
「もうあかん。施設に入ることにした」
「……へ、へえ~」
突然のことに何と返していいかわからず、弱風でブローを再開する。

「本当はずっと前に入るとこやった。書類を出しに行く途中、ここの前を通りましたんや。あのとき、なんでか美容院寄ってから行こって思うてな」
自動ドアが開いて、アヤメさんが入ってきた朝のことを思い出した。

「そしたら、あんたがおって。息子の若い頃によう似てた。……ほんで、もう少し一人で暮らしてみよかって」
「そう……だったんですか」
僕は何も気の利いたことが言えなかった。

「あんたの嫁になりそこねたわ。『カキツバタアヤメ』になれるとこやったのに」
クソつまらない冗談を言ったアヤメさんは、強がってニッと笑って見せた。
その拍子に両側に銀歯が見えたから、オニが笑ったような顔になった。
(ったく、アヤメさん、こんな時に笑わせるなよ)
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