このたび聖女様の契約母となりましたが、堅物毒舌宰相閣下の溺愛はお断りいたします! と思っていたはずなのに
「一つ、尋ねてもいいか?」
「はい?」
「なぜイリヤは、陛下を名前で呼ぶ?」
 なぜと聞きたいのはイリヤのほうである。なぜ彼はそのようなことを尋ねたのか。だが、聞かれたのであれば答えなければならないだろう。当時のエーヴァルトとのやりとりを思い出す。
「そうですね。前回お会いしたとき? 陛下のほうからそのように提案されました。私がマリアンヌの母親であって、将来マリアンヌとアルベルト殿下が結婚したら、私はアルベルト殿下の義母にもなると。そうなったときのために、今から名前で呼び合う練習をしたほうがよいのでは、と。ですが、マリアンヌが結婚したら私は閣下と離婚する予定でしたので、そのような理由から申し出をお断りしました」
 クライブの唇の端がひくりと動く。
「ただ、私と閣下が離婚しても、私がマリアンヌの母親という関係性は残るからということでして。まぁ、そんな理由です」
「あいつの考えそうな屁理屈であるのはわかった」
 やはりクライブは機嫌が悪い。腕を組んでいるところから、他人と距離を取ろうとしている気配を感じる。
「だったら、なぜオレのことを名前で呼ばない?」
「え?」
 結婚した当初も、同じようなことを言われたが、この結婚は契約結婚。いや、雇用契約である。
「私たちは、夫婦ですが夫婦でないですよね。それに、最初に私の雇用主になるとおっしゃったのは、閣下ではありませんか」
「そうだな。あのときはイリヤが家庭教師募集の求人を見つけてこちらにやってきたからな。だが、あのときと今では状況が異なっている。何事も臨機応変に対応する必要があるのでは?」
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