このたび聖女様の契約母となりましたが、堅物毒舌宰相閣下の溺愛はお断りいたします! と思っていたはずなのに
 その彼の悩み事が、まさかの聖女の身代わりの件だとは思わなかったが。
 ただ、互いに悩み事を言える相手がいてよかったのかもしれない。彼は口が堅い。信頼だけはできる。ただ、エーヴァルトとチャールズの言葉を素直に受け入れ過ぎる面はあるが、それすら彼を信用できる理由の一つにすらなっている。
「マリーのことなんですけども……」
 イリヤはぽつんぽつんと言葉を紡ぎ出した。
 マリアンヌが異世界からやってきたというのであれば、どのようなところからやってきたのだろう。彼女にも家族はいただろう。その家族の気持ちを思ったら――
 クライブの手がイリヤの背に回ってきて、抱き寄せる。
「……閣下?」
「泣きそうな顔をしている」
 たったそれだけであるのに、胸のつかえがとれた気がした。すんなりと息ができるような、そんな気持ち。
「……そうですね。マリーの母親の気持ちを考えると、自分がいけないことをしているような気になります」
 彼の胸元に額を押し当て、静かに目を閉じる。目尻からは少しだけ涙が溢れるものの、頬を流れることはない。
 その間、クライブは優しく背をなでてくれた。いつもイリヤがマリアンヌを宥めているときのように。
「マリアンヌがどこからやってきたのかはわからない。彼女が向こうでどのような暮らしをしていたのかもわからない。過去の文献での話しかないが、過去の聖女様たちは、こちらで過ごすことができてよかったともおっしゃっていたようだ」
 それが事実であるかどうかはわからないが、クライブがそうやって声をかけて、イリヤを励まそうとしている事実だけで胸が熱くなる。
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