Anonymous〜この世界に生まれた君へ〜
太陽はもう顔を出している。空は明るくなり、街は夜から朝の世界へと移り変わっていた。その様子を見て紫月はため息を吐く。

(今日から最悪な日々が始まるんだ。俺だけ夜の世界に取り残してくれたらいいのに)

残酷なほどに時間だけは誰にでも平等に訪れる。時間に抗うことは誰にもできない。夜が来れば必ず朝がやって来るのだ。

紫月が憂鬱な気持ちでタバコを吸い続けていると、軽やかな音が耳に響く。玄関のチャイムの音だ。紫月はタバコを吸うのを止め、部屋に掛けられた時計を見る。時計は六時を少し過ぎた頃だった。来訪するには非常識な時間帯である。

(誰なんだ、こんな朝早くに……)

紫月がそう思っていると、再びチャイムの音が鳴り響く。相手は紫月がドアを開けるまでチャイムを鳴らすつもりなのだろう。怒りが込み上げてくる。

「おい、こんな時間に非常識だと思わないのか!」

声のボリュームを下げつつも、怒気を含んだ低い声で相手に言いながら紫月はドアを開ける。するとそこには犬の尻尾があった。ーーーそんな幻が彼には見えた。
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