Anonymous〜この世界に生まれた君へ〜
勢いよく噛み付かれ、紫月は「落ち着きましょう」と声をかける。しかし千秋はさらに興奮するだけだった。

「今すぐに出て行きなさい!!」

「叔母さん、落ち着いてください。刑事さんはたまたま近くに寄ったので来てくれただけです。私はもう疑われてませんよ」

アノニマスが翡翠を演じる。彼女は千秋に駆け寄り、宥めるようにその体に手を回した。千秋は翡翠の手の温もりに落ち着きを取り戻したようで、息を整えながら彼女を見つめた。

「翡翠、無理をしちゃダメよ。近々和歌山にも行くんだから。自分を疑った刑事と一緒の空間にいるなんてストレスが溜まるでしょう」

酷い言いようである。しかしここで口を挟もうものなら千秋は再びヒートアップするだろう。紫月が口を閉ざす中、アノニマスが困ったように笑みを浮かべる。

「叔母さん、刑事さんに酷いことを言うのはやめてください。太宰さんは私を疑ったことはありませんよ」

「でも!」

千秋が不服そうな顔をする。紫月はアノニマスに訊ねた。

「泉先生、和歌山に行かれるんですか?」

「はい。水月町に取材旅行で」
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