Anonymous〜この世界に生まれた君へ〜
(痛い……痛い……誰か……!)

痛みによる恐怖と不安で胸の中がいっぱいになっていく。その時だった。ふわりと肩に優しく誰かが触れた。

「大丈夫?一緒に保健室行こ?」

赤みがかった茶髪が視界に映る。紫月が顔を上げると、そこには綾音が立っていた。綾音は優しく微笑んでいる。その笑みに紫月の不安が薄れていった。

「……ありがとう」

紫月は差し出された綾音の手を取る。そして保健室へと連れて行ってもらった。その瞬間から紫月は綾音に恋をしていたのかもしれない。

紫月は幸成と綾音とクラスは違ったものの、同じ剣道部に所属し、絆を深めていった。そして日が経つに連れて綾音への想いが大きくなっていく。その想いが実ることは残念ながらなかったものの、大人になってからも紫月にとって綾音は特別な女性だった。

『幸成ったらね、この前アイスクリームを冷蔵庫に間違えて入れちゃってて、蓋を開けたらドロドロに溶けてたの!』

高校を卒業する少し前から幸成と綾音は付き合い始め、大学を卒業してからは一緒に暮らしていた。綾音はよく紫月に幸成とのささやかな日常を紫月に話していた。その時の彼女は、間違いなく幸せに満ち溢れていた。
< 257 / 306 >

この作品をシェア

pagetop