眠れる海の人魚姫〜政略結婚のはずが、御曹司の一途な執着愛に絡め取られました〜
 浮気を許さないというのも事故の原因を考えれば当然だろう。不義の子が生まれてまたお家騒動が起きても困る。そういうことだ。
 美雨は杖から目をもぎ離し、嶺人を仰いだ。

「あの、嶺人さん」

 生真面目な美雨の口調に、嶺人が意地悪げに片眉を上げる。

「もう俺たちは婚約者同士だろう。昔のように、もっと気楽に呼んでくれて構わない」
「そっ、そんなことはできません!」

 美雨はぶんぶんと勢いよく首を横に振った。事故以来、美雨は彼を「嶺人さん」と呼ぶようになった。今までみたいに無邪気に「嶺人くん」と呼ぶと彼が困ったような傷ついたような表情を浮かべるから。

「そうか、残念だな」

 言葉ほど残念がっているようにも聞こえない。「まあ、これから美雨と過ごす時間はたっぷりある。長期戦だな」余裕すら感じさせる口ぶりで言うと嶺人はコーヒーを口にした。キリマンジャロの華やかな香りがこちらまで漂ってくる。

 美雨は深呼吸してゆっくりと口を開いた。

「……本当に、私が婚約者でよろしかったのですか」
「どういう意味だ?」

 嶺人がカップを受け皿に置けば、カチンと固い音が鳴る。食器を強く触れ合わせるなどマナーを仕込まれた嶺人らしくない。その甲高い音は警鐘じみて耳に響き、美雨は細い肩をきゅっと縮こまらせた。
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